shot
 
NEWS
第25周年記念ロンドン大会
ラドクリフ、独走優勝、完全復活を鼓舞

アテネ五輪2種目に惨敗したポーラ・ラドクリフ(英国、32歳)は、地元ロンドンマラソンでスタートから完全独走で優勝した。2位に5分以上の大差で、主催者側の宣言する女子単独レース世界最高新記録2時間17分42秒を樹立した。それも32km過ぎて腹痛を起こして、トイレに駆け込む事故を起こしながらの記録だ。レース前の意気込みも、ハーフを68分30秒設定!主催者はペースメーカー探しに困った。「アテネの失敗で、アスリートとして、さらに逞しくなった。自己記録(2時間15分22秒)を破る自信がある。」と、意欲的だった。昨秋、NYマラソンでラドクリフとゴール直前まで熾烈な戦いで2位に甘んじたスザンヌ・チェプケメイ(ケニア、29歳)、昨年の覇者マーガレット・オカヨ(ケニア、28歳)らを、はなから全く相手にしないぶっち切りだった。出場料50万ドル、優勝金、コース新記録などで255万ドル。その他のスポンサーからのボーナスを含むと、総額獲得は1億円を越すと言われる。ヘルシンキ世界選手権大会は、10000mとマラソン2種目制覇を狙ってくるのか?いずれにせよ、日本マラソン女子選手の眼前に立ちはだかる強敵が完全復活、世界最強の健在を世界に示した。

ペーサーがつけない高速スタート

レースの朝、ロンドン郊外では霜が降りた。肌寒い朝だった。日中の気温予報は15度以上に上がったが、ラドクリフはなにもかも全く無関心。スタートからペーサー2人、ライヴァル選手も完全無視。わが道を突っ走った!かつて中山竹道が理想のマラソンは「スタートからぶっちぎりの独走優勝」と言ったが、まさにスタートから完全独走だった。最初の1マイルでこそ2人のペーサーとラドクリフが先頭。20m遅れでスザンヌ・チェプケメイ(ケニア、29歳)、マーガレット・オカヨ(ケニア、28歳)が続く。レア・マロット(ケニア)とレスティツダ・ジョセフ(タンザニア)らは、5kmまで先頭に立って、なんとか「仕事」を務めたが、次第にハイペースに遅れだす。5km通過はラドクリフト、スン・イングジエ(中国、28歳)ら、同タイムでトップ集団が通過。第2集団に、コンスタンティナ・ディタ(ルーマニア、35歳)、ジョイス・チェプユンバ(ケニア、34歳)、ムル・セボカ(エチオピア、21歳)、ベニタ・ジョンソン(オーストラリア、25歳)、テグラ・ラルーペ(ケニア、31歳)らが、5kmで早くも30秒遅れで後続する。

ロンドンマラソン主催者は、長年「女子単独レース」を世界最高記録条件として提唱してきた。IAAFに確定した規定がない。その盲点を突いて、2年前、ラドクリフに異例の2人のケニア男子ペーサーを立てて、驚異的な2時間15分25秒の世界最高記録を樹立した。この記録が現在IAAFで世界最高記録に認定されている。しかし、元10000m世界記録保持者デビット・ベッドフォード・レースディレクターは、女子単独レースに再び戻した。女子単独レース世界最高記録はラドクリフの2時間18分56秒と宣言。好き勝手に、単独、混合レースの女子マラソン世界最高記録を設定している。今年は昨年の優勝者ルトがタワーブリッジの下を通過する時、転倒した難所の石畳、急激に曲がるカーブを回避したコースに変更された。18箇所のカーブが消え、少なくとも45秒短縮が可能とか。

今年のレースも、女子レースは良くも悪くもラドクリフ一辺倒。ラドクリフは「このレースはわたしにとって非常に重要なこと。ロンドンで走るのは、お金のためではない。まだすることが山ほどある。ハングリー精神でいっぱいです。」地元で復活証明を断言した。

しかし、地元の新聞は「ラドクリフ限界説」、知人の陸上専門記者の間で消極的な意見が多い。引退したかつてのライヴァル、5人目の子どもの出産を控えているリズ・マッコルガンは「ラドクリフはアテネで完走するべきだった。彼女はピークを過ぎた。」と、場外で非難したが、利口なラドクリフは、マッコルガンの仕掛けに乗らない。やんわりと「メディアを通しての批判は止めたら?」と避けた。また、別な新聞記事は「五輪優勝するまでは子供は作らない!」など、別な切り口でマラソン一筋の姿勢を皮肉る英国独特な消極的な記事が横行した。

そんなジャーナリズムに真っ向から向かって、自らの力を試し負けるわけには行かなかった。

総てのお膳立ては揃った。ラドクリフに迷いはなかった。スタートからいきなり世界新記録ペースだった。

1マイルのアヴェレージペースは、一度だけ4分58秒の驚異的なペースだったが、機械のように正確無比に5分15秒で刻む。アテネ五輪女子800,1500m2冠を獲得したケリー・ホルムズ(このまま引退が噂されている)以上に、聡明なラドクリフはアテネの悲劇も同情が加わって、沿道のファンの声援は”耳が痛くなるほど”強烈だった。

ハーフを68分32秒、設定タイムより2秒遅れの正確さで通過。後続のオカヨが70分、ディタ、70分15秒、チェプケメイ、70分17秒らが続いた。6〜18マイルの間の上下差はわずかに5秒!

ところが、それまで快調に飛ばしていたラドクリフが、前触れもなく、突然、アテネ五輪の劇的なシーンを思い出した人も多かっただろうが、腹を押さえてロード際で立ち止まってしまった。ラドクリフは「朝食べたものが合わなかったため、15〜16マイル地点で急にトイレに行きたかったが、TV、沿道の観衆の見ている前では・・・とても・・・引き伸ばしていたが・・・22マイル地点ではとうとうたまらず。それまでの3マイル間で、1マイル毎に約10秒はペースが落ちていたはずです。」と、レース後に説明があった。

続いて「この間約15秒を失ったが、もし、早くトイレに行けたら、記録はもっと短縮できたはず。レース前にも言ったように、アテネの失敗は生涯忘れることはできないだろうし、ある人たちはダメージが大きくてカムバックは難しいとまで言われてきました。が、あの経験でアスリートとしてさらに強くなった。また、ピークを過ぎたと言われましたが、今日の結果でさらに世界記録を短縮できることを証明できました。今回のレース調整は、殆ど2時間15分25秒を出した時と変わりません。しかし、残念なことに記録を出す条件が総て揃わなかった。自分の不注意で食べたものが合わなかった。カーブが少なくなった新コースも、心理的なことかもしれませんが登り坂がきつく感じられたし、後半の向かい風は2年前より条件が悪かった。」気負いなく、淡々として反論。レースを分析していた。

ヘルシンキ世界選手権への予定をこう語る。「今後、リカバー、体調を見てから出場目を決定します。できるものならトラック、マラソンの2種目で優勝を狙いたいが、どの種目に出場するかを決めるのは非常に難しく、現在では決めかねますね。」

ラドクリフは地元ロンドンでの復活レースで、レフレッシュ再起のスタート地点に立った。

記録不作の男子、マーティン・レルが優勝をさらう

マーティン・レル(ケニア、26歳)は「正直、とても優勝するとは思っていなかったが、36km過ぎて、ポール・タガートがぼくの走りを見てスパートするよう声を掛けくれたおかげで優勝できた。」と、自己記録2時間10分02秒を大幅に更新。2時間7分26秒で名立たる大物選手を押さえて番狂わせの優勝だった。

続けて「過去2回ボストンを走ったので、今年はロンドンで世界のトップ選手と競り合って記録更新を狙った。ケニアでは、ロンドンは世界でも最もタフなレースであると言われている。大きなチャンスだと思った。出場が決まってから、過去最高の練習量を消化して調整してきたのでイイ走りができる自信があった。また、調子も良かった。スタートは寒かったが、それほど気にならなかった。特別な作戦もなかったが、ポール・タガート、イバンス・ルトらをマーク。どんなペースでもトップ集団についてゆくことを考えた。早いペース展開を覚悟していたが、予想外にスタートからスロー。誰も積極的に前に出ない。意外にも練習より楽なペースだった。だが、後半、やはり予想した顔ぶれが残った。尊敬する経験豊かなポールが、”行け!”と、勝負ポイントで声を掛けてくれた。仕掛けると誰もついてこなかった。差が開き、逃げ切れることを確信してゴールに向かった。あのアドバイスがなかったら勝敗の行方はわからなかったね」と大喜びだった。

レルは恒例の記者会見にも呼ばれなかった。滞在先のホテル内で声を掛けると、「調子が良いが、走ってもないとわからない」と、のんきなことを言っていた。かれの外国招待選手ランキングは後ろから数えたほうが早い。記録はケニア国内ランキング100位内にも入らない。03年ハーフ世界選手権優勝、03年NYマラソン優勝、03、04年ボストンマラソン3位のキャリア持ち主だが記録に恵まれなかった。今年のリスボンハーフでは59分42秒の自己記録を短縮したが、レース前には下馬評にも上がらなかった。コーチのガブリエラ・ロザは「われわれもレルが優勝するとは思わなかった。スローペースが幸いしたかもしれない。マーティンは若くてマラソンデビューである程度成功してきた。潜在能力は高いと思っていたが、マラソンを甘く見てロードレースの延長ぐらいに考えていた節がある。イイ薬になったと思う。ボストンで記録に挑戦は難しいので、改めて、ロンドンに挑戦させた。優勝の原因は、100%マラソン練習打ち込んだ精神的な成長が見られこと。1月末からロンドンに向けて準備。これでポールの後釜ができた」と、満足そうに語った。

五輪の覇者ステファノ・バルディーニ、寒さでハムストリングがつる

ステファノ・バルディーニ(イタリア、33歳)は、レース前「ナミビアで十分走り込んで調子は良い。五輪優勝はひとつのステップ、さらにレースに貪欲になった。自己記録更新、あわよくば6分台で走れば最高だ。」と日焼けした顔が明るかった。

バルディーニは、前半、かれの希望どおり第2グループ、ハーフを63分20秒ペースにつく。ところが、15kmを過ぎるころ「多分、寒さのためだろうが、ハムストリングがおかしくなった。一時は棄権しようかと思った。」ところが、後半、尻上がりに問題なく走れるようになってきた。35kmを過ぎてから、第2グループのアブデルカデル(モロッコ、36歳、ロンドン99、01年優勝者、98、00年2位)、バルディーニ、ジョン・ブラウン(英国、34歳、シドニー、アテネ五輪4位)、少し遅れて諏訪らが、先頭グループのサバイバル戦で敗れたタガート、コリル、ルトら、落ちてきた選手をとらえて追い越して順位を上げた。バルディニは「足の故障がなければ、もう少し走れた。」と、残念そうだった。次のレースの世界選手権で優勝を狙う。

諏訪、タガートに2戦2勝した!

諏訪はレース前こう語った。「五輪前のマラソン練習と今回の準備とでは、かなり質、量とも違います。駅伝のレースに総て出場していますので、ロンドンに向けて練習を始めたのは2ヶ月前。ですから、10分をきればいいでしょう(笑う)」

レース後「潰れてしまいますから、トップ集団について行く予定は全くなかった。後方で自分の走りを見ながら行きました。後半少しは前が落ちてきたので拾いましたが、順位はあんなものですね。」

スローペースに乱された2時間4分台の2人、ルトらは大きく期待はずれ

マラソンはある部分では、メンタルのスポーツでもある。マラソンの難しさを改めて証明するようなレースだった。世界最高記録2時間4分55秒保持者ポール・タガート(ケニア、35歳) が2時間11分38秒で8位、2時間4分56秒の記録保持者のサミー・コリル(ケニア、33歳) も2時間12分36秒で9位だった。特に、好調を伝えられたディフェンディングチャンピオン、優勝候補筆頭、3戦3連勝のイバンス・ルト(ケニア、27歳) は2時間12分49秒で10位と、意外な不振、不甲斐ない記録と成績だった。マラソンの怖さが身にしみたことだろう。

ロンドンは今年が25周年記念大会。豊富な2億6000万円(エリート選手用の出場料、賞金)の資金力にものを言わせて、名前のある大物選手の招待を片っ端から試みてきた。もちろん最大の目玉は地元の「ヒロイン」ポーラ・ラドクリフだが、男子選手にも好記録に期待を寄せ、レース前の記者会見で目玉「ビッグ3」、昨年の覇者ルト、タガート、五輪優勝者のバルディニらで、メディア露出度は悪くない。ハーフを62分45秒ペース設定した。好記録への注目は、マラソン無敗のルトに向けられた。03年シカゴでセンセーショナルなマラソンデビュー世界最高記録、2時間5分50秒で優勝。昨年のロンドンでは転倒しながらも2時間6分10秒、昨秋のシカゴでハーフを62分24秒の驚異的なハイペースで通過しながら、後半、シカゴ名物の冷たい北風に世界記録更新を阻まれた。現在、フェリックス・リモと並んで世界最強の注目選手だ。コーチは90年前半、旧東ドイツ出身のウタ・ピッピヒを育て、近年注目されている同じく旧東ドイツ出身、現ボルダー在のディエタ・ホーガン(KIMbiaAthletic)の指導のもとに才能を伸ばしてきた。ルトは自分の3人目の子どもに、ディエタと名づけるほど信頼を置いて、イテン、ボルダーで練習する。一方、ロンドンでツキのないタガートは、3月10日リスボンハーフで59秒10、自己2番目の記録で優勝して好調を伝えられた。

多くの招待選手の年齢は、36歳を頭に30歳を悠に超えるベテラン揃いだ。上記の選手のほかに、世界チャンプのジャウード・ガリブ(モロッコ、32歳)、昨秋のNYの覇者へンドリック・ラマラ(南ア、33歳)、エルムアジズ・アブデヵデル(モロッコ、36歳)、ジョン・ブラウン(英国、34歳)、ダニエル・ジャンガ(ケニア、28歳)、諏訪俊成ら、4分台が2人、5分台が1人、6分台、6人、7分台、5人、8分台、2人、9分台、1人。

この中で諏訪のように20歳後半選手はまだ若い。名声、キャリア豊かなベテラン選手の存在が、お互いに無言の心理的な影響、プレッシャーを掛ける。お互いの出方を見ながら走る。記録への挑戦、リスクの多い積極的な走りは極力避ける。男子1マイルは4分50秒、ちなみに女子は最初の1マイルが5分03秒だった。スタートから女子選手並みのスローペース。すぐに4分39秒にペースアップしたが、頑として誰も追わない。さらに7マイルで4分54、さらに7分58、7分53とスローダウン。ハーフは40秒以上遅れの63分32秒通過。それから1マイル4分40秒代後半のスピードアップ。記録への可能性が消えたわけではなかったが、大物選手の集団は25km過ぎてから再びスピードダウン。こうなるとペースを上げようにも身体がスピ―ドを拒否、筋肉は膠着する状態。36kmを過ぎて伏兵のマーティン・レルが飛び出してあっさり優勝した。レースに破れたタガート、コリル、ルトらは、生気なく第2集団に飲み込まれて後退、ゴールした。

(月刊陸上競技社05年6月号掲載)

(望月次朗)

Copyright (C) 2005 Agence SHOT All Rights Reserved. CONTACT