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ウィルソン・キプサング・キプロティチ

:1982年3月15日 リフトヴァレー州ケイヨ地域出身
:警察官クラブに所属
:既婚、子供3人
:身長182p、体重58s
:イテン市に居住
:カレンジン族
:マネジャー ジェラルド・ファン・デ・フィーン(オランダ)





2分台の世界新記録は目前だ、ウィルソン・キプサング

ほとんどトラック経験がないままロードレース、クロカン、マラソンと距離を伸ばしてきて成功した選手。数年ハーフマラソンで鍛え、2010年パリマラソンでデビュー。2時間07分30秒で3位に気を良くして、本格的にマラソンに転向した。その年の秋、フランクフルトで2時間4分57秒の好記録で優勝。わずか2レース目のマラソンで一躍世界のトップ選手に踊りでた。2011年琵琶湖に出場して2時間06分13秒で圧勝。パトリック・マカウがベルリンで2時間03分38秒の新記録を樹立した1か月後、フランクフルトはあわや世界新記録かと思わせるハイペースで進行した。ハーフ通過タイムはマカウの世界記録を数秒上回り、キプサングは34qから独走。世界新記録ペースを知らされずに、残り数qで世界新記録のチャンスに気が付いて力走したが、すでに時遅かった。わずか4秒差で世界新記録のチャンスを逃がしたが、2時間3分42秒の公式タイムは歴代2位の好記録だ。キプサングは、「新記録はならなかったが、自己新記録に満足した。また来年があるさ!新しいモチベーションになってイイよ!」と、快活に笑い飛ばした。

エルドレットから車でゆっくり走っても30分の距離にイテン町はある。町の東側には、地球の割れ目と呼ばれる深い谷、「リフトヴァレー」峡谷が南北に走っている。この地球の割れ目は、北はシリアから南はモザンビークまで6000qにも渡り走っているようだ。標高2400mのイテン近辺で最も深い谷間は約1000mとか。この小さな町を世界的に有名にしたのは、約100年前にこの町に創立された全員寄宿生のSt. Patrick’s High School。古くはピーター・ロノ(88年五輪800m優勝)イブラヒム・フサイン(ボストンマラソン3連覇)、ウィルソン・キプケター(元800m世界記録保持者)、デヴィッド・ルディシャ(現800m世界記録保持者)など、数々の世界的なスター選手を輩出している名門校だ。また、最近ではケニア生まれでオランダ国籍を取得した、元女子ハーフ世界記録保持者のローナ・キプラガトが夫と一緒に建設した「高所トレーニングセンター」が、欧州選手らの高地練習拠点になっている。この日は英国五輪中・長距離候補選手が長期合宿中で、モー・ファラー、ポーラ・ラドクリフらの姿も見えた。欧州のトップエージェントも契約選手のために「キャンプ」を設置するこの町は、ケニアトップクラスの中・長距離、マラソンの練習拠点として世界の注目を浴びる。人口約4000人の小さな町に約1000人のランナーが住んでいるのだ。

アフリカの朝はどこも早い。キプサング組の練習もまだ朝靄が掛かって暗い6時半からだった。十数名のランナーが、起伏が激しく石がゴロゴロしている悪路で1時間走を始めた。朝靄の中を、車で選手を追いながら撮影する。彼らはゆっくり入ったものの、後半になるとグングンとスピードアップして終わった。練習が終わり、イテン町の外れにある彼の一軒家で、ミルクと砂糖入りの「チャイ」を頂きながら今季の抱負を聞いた。

キプサングはマラソンの経験は浅いと前置きして、「トラックでは食えないのでロードレースに活路を見出したのさ。そもそもあまり長い距離のマラソンは好きではなかったが、2008年ニュデリーハーフマラソンで59分26秒。翌年もハーフで58秒59と記録が伸びたので、最初は見たり聞いたりの自己流だったが、とにかく長い距離を走る本格的なマラソン練習を始めた。最初のパリマラソンが2時間07分13秒で3位。これで大きな自信になった。何とかマラソンをやって行けるような気がしてきた。2回目のマラソンでは自分でも驚いたが、2時間04分57秒!で優勝。走っている最中はそれほど早いと感じていなかったが、終わってみるとすごい自己新だった!あんなこともあるんだね。3回目が琵琶湖の2時間06分13秒。4回目が昨年のフランクフルトの2時間03分42秒であと少しで世界新記録だったが、気付くのが遅かった!でも、またチャンスは自分で作るもの。強運がどこまで続くかわからないが…、この調子でロンドンと五輪を迎えたいものだね。今春のロンドンで6回目のレース。少しはマラソンを経験したが、最近ではわからないことはレナト(イテン在中のイタリア人コーチ。レナト・カノヴァ)からアドヴァイスを受けることもある。」

「五輪代表候補6選手全員が五輪に出場したいだろう。しかし代表は3選手に限られている。そこがポイントだね。五輪ケニア五輪代表選考は、非常にフェアな選考をする。今春のレース結果を基準にして4月に3選手が選考される予定だ。誰が選考されてもレース結果によるもので、自己責任の恨みっこなしだ。現状では全く問題がないだろうし、さらに3選手を五輪合宿に招待して、最も調子の良い選手を最終選考すると聞いている。だからベストを尽くして頑張るだけさ。」と淡々として話す。もし、五輪代表に選考されたら、どんなレース展開を予測できるか聞いた。「オレはそこまで用意はしていないよ(笑)ひとつだけ言えるのは、五輪は勝つことがすべて。記録が目的ではないので、タクティカルなレースになるのは間違いない。ケニア勢とエチオピア勢の戦いかな。いずれにしても、われわれには連勝のプレッシャーが掛かってくる。もし五輪出場ができなければ、たぶん昨年優勝したフランクフルトで世界新記録を狙うだろう。あまり大きな声で言いたくはないが、気象条件に恵まれればサブ3分は行けると思う。どちらにしても4月の春マラソンの結果次第で、われわれの人生の進路がかなり違ったものになるだろうね。」と苦笑した。

 
(2012年月刊陸上競技4月号掲載)
(望月次朗)

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