04年から為末大(26歳)は、日本人初のフルタイム”プロ”陸上競技選手を宣言した。400mHでアテネ決勝進出の夢を無惨にも絶たれたが、感傷に浸る間もなくベルリンゴールデンリーグ最終戦の参戦して3位。今季の獲得ポイントで世界アスレティックファイナル出場権を獲得した。この大会出場権を与えられた各種目選手は、シーズンを通して活躍した世界ベストトップ8だ。もちろん、日本人トラックでは初の快挙。本格的な「プロ」シーズン通して、プロ選手生活を具体的にモナコで聞いた。
マニュアルのないプロスタート
「五輪後、ブリュッセルGLに出場できなかったので、ちょっとベルリンGLまで時間があり、一時帰国しました。一応、決められた行事にはすべて出席。でも、自分は“プロ”としての仕事をすると公言していたので、五輪の結果が駄目だからといって走ることをやめることはできません。”ヨーイ、ドン!”と一歩走って『ナンボ』の世界で生活が掛かっているわけです。五輪は賞金が出ません。やっぱり、ぼくにとって、ベルリンGLで走りポイントを獲得、賞金が多い世界陸上最終戦に出場するのが目標でした。
これまでは大阪ガスの陸上部に属した企業スポーツ活動の一環、ようするに、サラリーマン陸上選手ですね。退職理由は、企業の恩恵に不満があったわけではありません。あくまでぼく自信が競技生活を続けていくためには、ギリギリの環境に自分を置いて競技生活を続けることが最適と考えたからです。プロ宣言してから、すべて全く1人で手探り状態からはじめたのですから当惑の連続でした。とにかくぼくが事業主ですから、ぼくが動かないとなにも始まりません。ぼくのところにくる取材など、とても1人でさばくのはちょっと無理だったのでそれをやってくれるようなところを捜していたのです。
ところが現実はメチャ厳しく、どこでも陸上競技はお金にならないので、3、4社あたったのですが、やはり断られたんです。知人の紹介を通じて、サニーサイドアップ社を紹介されました。最初は食事をしながらいろんな話をしたのですが、ぼくが、面倒をみてくれても、見てくれなくても会社を辞めるようなことを言ったので、無鉄砲な意気込みばかりで、見ている方がハラハラしてしょうがないので、多分、『手を貸してやろう』と同情を買ったと思います。(笑)…本当に陸上競技ではお金にならないことを知っています。会社としては、アマチュアスポーツを少しでもメジャーなスポーツに近付けることができれば…そんなぼくの心情に共感してか、かなり冒険的な判断で賭けもなく、多分、持ち出し覚悟でエージェントを引き受けていただき大変に感謝しています。おかげで今季は1年契約でスポンサーがつきました。」
走ってナンボの生活、誇りに思うプロ選手
「今季を終えて、”プロ”陸上競技選手が、スポンサーなしでもやればなんとかやって行けるようですね。(笑)でも、はっきり言って経済的にはギリギリ!GLで3位ぐらいになれば約100万円の賞金を貰えるんですが、1レースの平均収入は約40万円強になりますかね。レースは結果に応じた賞金、スポンサー、ナイキからも少し頂いているのですが、それらの全ての総収入は、大阪ガスのサラリーマンの年収と比較して、10〜20%は落ちていますが、心配してたよりは酷くはなく約600万円でしょうか。しかし、今までは会社務めだったので会社が負担してくれていましたが、今後はこの中から自腹での経費の出費がかなりありますね。
その上、こんなことは一切知らなかったのですが、社会保険などいろんな出費で差し引かれます。すると残りはほとんどなくなります。(笑)ぼくは二つのエージェントに面倒を見て貰っています。これは分かりやすく言うと、ひとつは陸上競技のスペシャリストで、もう一つは全く陸上競技に関係ないプロスポーツ業務専門の会社です。このプロスポーツ選手エージェント専門の会社サニーサイドアップ社(注:サッカー中田英寿選手のマネージメントで一躍脚光を浴びた会社で、水泳の五輪2冠北島選手らが契約)のほうは、競技に直接関係ない日本国内のこと。もうひとつは外国GP出場などの出場交渉スペシャリスト、オランダのプロスポーツインターナショナル(注:カロライン・フェイス、女性がマネージメントする世界最大規模、約20人の選手と契約。手数料は15%。最近では20%要求することもある。)というエージェントです。
最初のことですから、この二つのエージェントの分担もお互いに完全に理解することもなくスタートしました。しかし、スポーツは結果が全てです。1レースごとに真剣に取り組み、結果を出さなければ収入が減るし、結果が悪ければマネージャーがいくら必死になって売り込んでも、厳しいもので次のGPに招待されません。シーズン中は、この繰り返しです。五輪前には、決勝進出を前提に想定したいろんなプロジェクトがあったのですが、結果はあのようなことになってしまったのですから、あの瞬間、目の前で総てのプロジェクトが霧散、潰れたのは相当なショックでしたね。
今までなら、会社が間に入って、ワンクッションおいて柔らかくなってぼくのほうにきたわけですが、今は良いも悪いもモロに当たってきます。ただ、まあ、総てが新鮮でスリルも含めたものが、生身、肌に直接ぶつかってきますから、気持ちがすっきりしていいですよ。今までは自分の知らない世界、値段の交渉などを含めて、スポーツビジネスの一旦の経験は興味があります。今あmでは職業が“陸上競技選手”とはいまひとつ言いがたかったのですが、それを言えるのは日本でぼくだけだと思って誇らしくもあります。
国内のプロ化対応が遅れている
「ぼくはヨコハマスーパー陸上に出場するのは、どちらかと言えば義務と考えています。陸上競技選手のプロ化は、世界各国が同じような状況になっています。陸連が民間企業ではないので、ぼくのほうもよく分からないのですが、事実、ヨコハマに出場した外国選手はお金が派生しなければ絶対に出場しません。外国での選手のプロ化の歴史はすでに十数年あります。日本で開催される競技会に出場する総ての外国選手は、主催者と選手のマネージャーと交渉、何らかの合意があって成立するものです。現状では日本の大会主催者は外国選手をプロ扱い、日本人選手はお金が派生しないものと従来の判断のままですね。
今度、ぼくは完全に独立したのですが、日本人プロ選手に対する待遇の変化は見られません。ぼくが動かなかったからかもしれませんが、向こうからもぼくの方にアプローチがありません。ほかの選手同様にぼくには“日当”という形で支払われます。これは規定どおりの約2.5万円です。まず、この程度の金額で外国選手がヨコハマに出場するはずがありません!!外国人選手に高額な
出場料金を支払い、国内選手の待遇改善が旧態然としているのはおかしな話で、なかなか納得できませんね。まあ、ちょっとずつ、ぼくがなんとかがんばっているのを見て、『じゃあ、ぼくもやってみよう!』と、後に続く選手のやる気を起こす刺激になればよいと思います。ぼくと同じような選手が10人ぐらい名乗りをあげてくれれば、ちょっとしたパワーになると思いますが…。
この4年間、自分でも成長したと実感できるのは、人に頼ることもなくどのようなレース状況下、自分の感覚に照らし合わせて的確なレース分析、次のレースに冷静に応用できることです。しかし、五輪準決勝レースは、今季最悪のレースだった。ちょっとあの日のレースがバックストレッチの風を気にしたなら、4年前に風という悪い経験をしているのに、その差を埋められなかったのはやりきれません。ただ、26歳の五輪にしては、あまりにも全身全霊を傾け過ぎて、あたかもぼくの競技生活死後のレースのように限界まで自分を追い詰め、独り崖っぷちに立たされたような心境でした。それはぼくの性格的に一発屋のところもあるんですが、力を出し切りたいと言うのもあるので、自然にそうなったのかもしれません。
いずれにしても、五輪の大舞台であまりにもシリアスになりすぎ極度の緊張、集中力で心の余裕がなかったかもしれませんね。それが思い切りを鈍らせ、その結果前半を中途半端なスピードで入ってしまったのだと思います。五輪決勝進出は、48秒10ぐらいで走れる精神的な余裕がなければできないだろうし、死力を尽くして本気のレースを1大会2度走れないと実感しました。今年ローマGLで48秒5〜6ぐらい、ローザンヌで48秒3ぐらいを記録していたら、その後がもっと楽だったでしょうが…。北京に向けて…がんばります。」(月刊陸上競技11月号掲載)