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2004年11月17日 ラグビー、仏vオーストラリア
フランス快勝、オーストラリアを一蹴!大きく成長したミシャラク
04年11月、北半球は南半球代表チームを迎えての国際ラグビー試合が華々しく方々の都市で開催された。この中にスコットランド−日本戦も含まれる。
いずれのチームをすでに次回WRCに向けての準備戦を念頭に選手選考。3年後を見通しての新チーム計画、試合経験を通してのテストであることは言うまでもない。

フランスは11月13日、スタッド・ドゥ・フランスに豪州を迎えた。フランスは弱点の集中力を継続、ミスを最小限でとどめた。一度もピンチらしき状況にならず、大半の局面で有利に展開、執拗に強く攻めつづけた。

最初のトライはFBブルスキュが相手の甘いタックルを振り切って左サイド隅に飛び込む。わずか22歳のミシャラクが、フィールド内でベテラン顔負けの風格を漂わせる。相手の動きをよく見て、瞬時に、右ブラインドサイドを抜いた個人技で2個目のトライを獲得した。
フランスのスクラムサイドは、ベツエン、史上最強の呼び声も高いマーニュらの突進。対面のスミス、ワーグらの強かな相手フランカー攻撃を封じた鉄壁なDFが凄い。

ラインアウトはほぼ互角だった。フランスFWは積極的に前に出る。
心配した新ハ−フコンビのスクラムハーフのエリサルド、ミシャラクとのプレーをバックアップ、攻守にも穴がない。
フランス大型バックス陣は、滅法肉弾戦に強い。潰しあいにわずかに勝っていた。ボールがスリークオーターに回ると、しばしアドバンテージライン突破ができる。その数歩の前進が、徐々にオーストラリアが受けに回った。
マーシュが好調のルジェリを走らせる。ブルスキュがライン参加で繋ぐ。前に出るときのフランスは強い。やや形成が受け身になるオーストラリアのハーフ、グレガン、ラーカムらの動きのスペースがない。劣勢のため一度も攻勢な形に作れず。ズルズルそのまま押し切られた。

フランスが予想外の27―14で快勝した。
得点差13点はフランスの対オーストラリア戦史上3位、58年3月9日、19−0、1976年10月30日、34−6で勝利を収めた歴史的な快挙に続くものだ。
3戦全勝を目標に掲げたフランス、次回は対アルゼンチン戦。最終戦をNZ戦で今秋のテストマッチを終える。果たしてどのような結果が生まれるだろうか。

同じ日、萩本監督の率いる日本が、スコットランドになんと100―8の歴史的大敗を記した。これは日本テストマッチ史上ワースト3位の100失点だった。そして、その次の週末にはルーマニアにも敗れた。

古い話を持ち出して恐縮だが、80年代に日本ラグビー代表(日本ではどうしたわけかが、英語で“ジャパン“と呼ぶ。自国の代表チーム名を外国語で呼ぶことに違和感を持たない国民も日本人だけだろうが・・・)が、フランス遠征をした。
当時の国際儀礼として、その前年フランス日本の招待を受けたお返しとして、フランス協会が日本代表を招待したのだ。
まだ、あのFBサルジェ・ブランコが現役の時だった。日本チームがメチャメチャにされ、無得点試合を3度記録。「相手が弱すぎる。練習にもならない!」と、フランス新聞が扱き下ろした。

それからほぼ20年の歳月が過ぎたが、あれから日本と列強国の実力差はますます広がるような気がするのはぼくだけだろうか。

(望月次朗)

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