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2005年1月2、3日第81回東京箱根間往復駅伝
グローバルスタンダードから見た箱根駅伝

駒澤大学4連勝に終わった恒例の学生箱根駅伝は、正月の風物詩のひとつだ。今年もタスキに賭けた数々の感動ドラマ、エピソードを記録した。
東海大学がエース不在で往路を初制覇したが、実力に勝る駒沢大が総合4連覇を果たした。
過去、中大、日体大、日大、順大らが史上4連覇達成を成している。駒沢大は名門の仲間入りを果たした。選手は監督、アンカーを胴上げして感極まり泣いた。
モガンバの12人抜き、5区で順大の今井は標高差835mの山登りを驚異的な1時間10分を切る快走で11人抜き。区間記録を2分17秒短縮した。まだ、今井はマラソンを一度も走っていないが、アホなメディアは「北京の星」とまで持ち上げていた。
駒大の田中、塩川は4年連続優勝経験者だ。過去10人しかいない不敗伝説ランナーに仲間入りをした。
駒沢大大八木監督は選手決定の重要な鍵は、選手の表情で決めるとか。なんとなく摩訶不思議な“魔術”だ。
一方、東海大の9区の倉井が15kmを過ぎてから失速、区間最下位転落の大ブレーキを起こす。「すまない・・・」顔の前で両手を合わせて、腰を折って11位でゴール。ひざをついて号泣する高岡を同僚が抱きかかえる。
選手の母親が神社に参拝して息子の故障回復を祈ったなど、枚挙に切りがない。

ダブルチェックができないので責任持てないが、これらの情報のすべてはインターネットで拾ったものだ。実は、わたしは箱根駅伝を取材したことがなければ見たこともない。
大学生の箱根駅伝は、甲子園高校野球に本質的にファナティックなディボーションの部分で類似すると常々思っていた。真夏の炎天下、砂埃、汗、涙らとは季節だけが対照的だ。高校野球は3年間の短い時間、狭い野球だけの世界で、全国大会夏の甲子園で優勝することが至上目的である。ほとんどセミプロ化している。すべてを投げ打って燃え尽きる球児の「姿」と「郷土ヒロイズム」が混同される異様な夏の風物詩で盛り上る。
こんなスポーツは世界には稀だ。とはいっても、それで十分満足“青春謳歌”をしている選手も確かに多い。

箱根駅伝は関東学生陸連主催だ。関東大学の伝統的な長距離レースがTV中継されてから年ごとに神格され隆盛を極めている。正月TV番組煽動の産物とでもいえよう。
4年間の短期集中決戦。全日本大学選手権よりさらに限定された関東地域大学間で凌ぎを削る。正月2,3日の2日間に捧げるひたむきな濃厚なエネルギー、パッション、エクスタシーが学生を魅力する。
高校生長距離選手が “箱根駅伝”、出場チャンスがあることが進学条件に入れるとも聞いたことがある。箱根駅伝を走ることは、この時点で五輪参加より大きなロマンがある。

しかし、グローバルスタンダードから見る箱根駅伝は、ローカルな学生の駅伝程度だ。例えばIAAF公式サイトには全国実業団駅伝、宮崎女子ロードの結果は掲載されても、箱根駅伝には興味はない。異色レースなため、主流から大きく外れているのだ。日本のスポーツ発展は戦後学校教育一環のひとつとして、世界にも稀な文部省の指導下で急速な発達をしてきた。このため中学校、高校、大学と、その都度に短期間集中指導を受け、結果を厳しく追求するパターンで争われているのが現状だ。

個性適正をテストする時間、考える余裕もなく、学校クラブ活動では長期的な視野、モチベーション、一貫した指導はなく、マスの大義名分の前に個性の尊重は希薄になる。
それらの頂点は箱根駅伝らが典型的な例で、わたしにはあのレースが中途半端な距離と、あの駅伝に投入する独特な環境での後遺症、「burn out」、が惜しまれるのだ。

毎年卒業生を否応なく放出、新入生が多数入学してくるサイクルが存在している。過去20年、箱根駅伝から世界に通じるマラソン選手は、ロンドンマラソン、91年世界選手権優勝した谷口博美(現沖電気監督)だけだろう(?)選手の数、膨大なエネルギー消費の割には誠に少ないと言えるだろう。

例え優勝の栄光を獲得しても、猛練習で酷使された精神、肉体は燃え尽き、潰され、二度と走る余力もなくなった選手がゴマンといるだろう。

箱根駅伝を目指す大学生の長距離選手の4年間、膨大な若いエネルギーの凝縮が駅伝に集中される。「burn out」 された精神、肉体に、大学卒業後、大きく開いた空洞を埋める箱根駅伝に匹敵する新鮮かつ具体的な「目標」を捜すことは至難のことだろう。

(望月次朗)

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