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ジョージア大学の町
アトランタ滞在、ドゥワイト・フィリップス取材記

今回もアムステルダム経由、アトランタ往復KLM便が最も安かった。クリスマスが 近づいたので、この期間を数日でも遅らせると料金が倍になるから恐ろしい。
アトランタ五輪以後初めてのアトランタ空港に降りる。アムステルダムからの所要時間は10時間、家を出てからすでに16時間経過。五輪期間中は非常に蒸し暑かったが、北のアパラチャタン山脈からの吹き降ろし風が予想以上に寒く、今にも雪が降りそうな空模様だ。
この空港からさらに東北160km離れた、かのゴルフ名門コース、オーガスタに近いジョージア大学の町アトランタが最終目的地。ここで世界選手権、アテネ五輪男子走り幅跳優勝者、ドゥワイト・フィリップスを取材するのが目的だ。

空港内は半袖、外気は度。気温差はゆうに20度ある。シャトルバスが何時にくるか、聞いても誰にも分からない。本数が少ないので乗り遅れた大変だ。空港から吐き出される人の中に、わずか駐車場かバスまでの距離だろうが、この寒いのに男女を問わずショーツ、半袖の人達がいる。
どこにでもいるシロタク運ちゃんが寄ってきて行く先を尋ね、120ドルと吹っかけてきた。別会社のシャトルバス運転手のオネ‐さんが話し掛けてくる。状況を説明すると「シャトルバスは必ずここにくるから20分待て!」と親切に教えてくれた。風を遮ることもできない場所で待機すること1時間半。凍えそうだ!!
ヤッと、アトランタ行きシャトルバスがきた。早速バスに飛び乗り暖を取る。ヤッと生き返ったようだ。出発まで約20分待ち。シャトルバス料金がわずか35ドル。乗客は4人だった。若い運ちゃんが知った高速道路を素っ飛ばしても、目的地までやく1時間半掛かった。
DAYS INNの無愛想な受付のアンちゃんに迎えられた。部屋に入った途端、無性に眠気に襲われ、そのまま夕飯抜きで寝てしまった。

アテネ滞在1日目

大学構内、町を散策。スナップショットを撮ったらこの日2度怒られた。

昨夜、数度浅く目が覚めたが、11時間も連続して寝たのは最近では稀なことだ。外は雲ひとつない青空。朝飯が受付の横でセルフサービスがあった。
受付で地図を貰うと、この地図は歩行者用のものではなく、車で動くためのもの。ホテルを出てから坂を100mほど下る。どちらをむいても町らしき様子が掴めないので、勘を頼りにすぐに右に曲がった。
少し上り坂だ。途中、原色のけばけばしいジャマイカレストランがあった。隣りのうちのドア‐にクリスマスの飾りがあったので写真を撮った。

数歩そこから離れたら、後ろから呼び止められたので振り返ると、ゴツイアンちゃんと若い衆が飛び出してきて「なんでオレの家の写真を撮ったんだ!」と、かなり癖のある発音で迫ってきた。一瞬、ドキッとしたが「ぼくは観光客。了解を得なかったのは悪いが・・・飾りが綺麗だったから撮った」と説明すると、「本当か?」と疑ったようすだがすぐに許してくれた。
あの英語は、多分、ジャマイカ系の人だろう。どうもダウンタウンの方向が、なんとなく違うようなので来た道を逆戻りする。

大きなホテルが二つあった。坂の上にくると“1785年創立のジョージア大学”の看板が構内に見えた。しかし、この日は日曜日なのか、ダウンタウン通りに人の姿がほとんど見えない。確かに、DAYS INNの広告キャッチフレーズが「大学まで歩いての距離」は正しかった。大学は道路境にしてダウンタウンに分かれる。大学のシンボル小さな「アーチ」を潜り南に長く伸びている。
このアーチを入った最初の建物の前に記念碑があった。それを読むと、1961年1月9日、大学創立初めての黒人学生、ハミルトン・ホルメス、チャラヤン・ハンターが入学を果たした40周年を記念、両者の名前が付けられたものだ。アメリカ国内人種差が法的に施行されていたのが、すでに遠い昔のような気がするが、実はつい先日まで南部で徹底されていた歴史的事実があったのだ。
静かな構内にある巨木の樫の木が多い。リスがいたるところにいる。構内は大きな起伏があり、急な坂を下ってゆくと、左手に10万人収容能力の大学フットボールスタジアム“サンフォード”が見える。

昨日、シャトルバスの運ちゃんが「ここではフットボールは宗教さ!」と説明してくれた。赤い「ブルッドグ」のニックネームで親しまれているこの大学チームは全米の強豪らしい。スタジアムは谷間の底に、跨るように建造された。橋の下を見ると小川が流れている。橋を渡り向こう側の坂を登ると、森から抜けるよう印象を受ける。そこの一角は巨大な室内体育館、陸上競技場がある。
Spec Towns Trackと呼ばれる陸上競技場には、数人の選手とジョガーが練習に余念がない。しばらくしてから、110mハードラーの選手に声を掛けると、かれらはドゥワイト・フィリップスらの練習仲間とか。13秒36の男はパリGLに出場したとか、もう1人の選手は400mh48秒6とか、女性の三段跳選手もいた。
再会を約束して分かれる。また、構内を散歩しながら、起伏のあるダウンタウンに向かった。ゆっくり歩いたが、午後日差しは強く汗ばむほどだった。この町の中心は南北に300m四方ぐらいのミニサイズだ。町の最高地点に旧市役所がある。

街中にいた数人の男達のスナップ写真を1枚撮ったら、また、若い衆が飛んできて「なぜ、写真を撮ったのか?」と聞かれた。
今朝と同じような返答に、若い衆は本当に申し訳ないような表情だった。かれは「実は、我々はホームレスの人たちに食事を出している。それをあなたが撮った。ぼくらはFBIのものかと思った。9・11後、FBIは町中に監視カメラを設定(高いところを差して)、市民の行動を監視、我々がしていること、貧者に施すことを極度に神経質になっている。」
スナップショットを撮るのは難しい時勢になったものだ。下手にカメラを向けられないのは、どこの先進国も後進国も同じ言うな問題だろうか。先進国はプライバーシー問題かテロリストの恐怖、後進国で恥部を撮られる拒否など、感情的な拒絶からだ。

ホテルに帰ってきたのは、西にかなり日が傾いてきたころだった

アテネ滞在2日目

今日も1日、アテネ、大学構内の散策で暇つぶしだ。この日は月曜日。校内はさすがに学生が多い。昼飯を頼んだら、全く予想外のものが出てきた。学生さん相手の商売が多いのか、覗いたどこのレストランもメユーにあるのはサンドイッチ、包む(ラップ)、トルティーヤ、バーガーなどのスタイルのものばかりだ。
こんなものを食べてばかりいたら、スナックを食べた後のように、なんとなく本物の食事をとった満足感がないのだ。

ぼくは食べ物で指が汚くなるのを毛嫌いするし、サンドイッチ、ハンバーガーらの種類の食べ方が耐えられない。パッと噛み付くと横から汁が出る。口の周り、時にはシャツが汚れる。正直に私見を言えば、あれらは“餌”の食べ方しかできない。人間の食事の仕方しかたではないように思えるからだ。
満足感ゼロ、絶望感で頭の芯までが熱くなってきたが、ここではこのような食事スタイルが極普通なのだろう。食事は人の趣向で他人がとやかく言うべきではないという人もいるが・・・、いやはや一言も二言も言いたい。日本の若者の食事も、どうせコンビの食べ物で済ませるのが多いだろうが・・・これに似たようなものかな?

昨日から、2度目の“スターバックス”でコーヒーを飲む。とりわけここの店のコーヒーがうまいとは、とてもお世辞にも言えないが、店の外に座り西日を浴びながら時間潰しに新聞を読むのがちょうど良かった。

冬一番の寒さ、長い1日が始まった

荷物をホテルにおいてタクシーでグランドに向かう。まだ、誰もいないグラウンドに到着。風は強く、トラックの方々に氷が真っ白に張っていた。TVの天気予報では今朝は零下3度。雲ひとつない抜けるような青空だが、風があるの凍えそうだ。

ドゥワイト・フィリップが10時ごろやってきた。かれ曰く「冬一番の寒さ!」とのこと。

(望月次朗)

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