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ベルリンマラソン2005
野口みずき、公約の日本新記録達成、世界3位の好記録で復帰走を飾る

第32回ベルリン・マラソンは、夏並に気温が上がった。野口みずき(27歳、グローバリー)は、2位に8分22秒の大差をつけた2時間19分12秒で圧勝。五輪後復帰緒戦の公約「日本新記録」を達成した。スタートから4人の男性ペースメーカー付きで独走。1kmを3分18秒前後、5kmを16分30秒前後のペースだった。35km過ぎてから20度を越す暑さと闘い、左足のふくらはぎに痛みを感じ、足裏に豆ができてペースダウンしたにも関わらず、世界歴代3位の好記録で優勝。このタイムは昨年渋井陽子(27歳、三井住友海上)が出した2時間19分41秒は無論のこと、孫英傑(26歳、中国)の持つ2時間19分39秒も上回るアジア新記録、コース新記録も樹立した。尚、野口選手の25km通過タイム1時間22分12秒と30km通過タイムの1時間38分48秒が世界新記録と公認された。従来の記録は01年、高橋尚子がベルリン・マラソンで2時間19分46秒の当時の世界最高で走った際にマークしたもの。この大会日本女子選手6連勝も達成。野口は18分台突入できなかった不満が残るものの、北京五輪2連勝に向けて大きな弾みをつけた。

苦境を乗り越えて、北京への再出発

これまで藤田監督、廣瀬コーチ、野口選手らの取材経験から、日本人チームとして異色な存在の印象を暫し受けた。と言うのも、このチームはおおよそ選手の調子など、誤魔化さないで率直に質問に応えてくれる。これまでパリ世界選手権大会前、本誌のインタビューで「メダル獲得、日本人選手1位」の目標を公約。アテネ五輪前はサンモリッツで「メダル獲得」、今回もサンモリッツで「日本新記録」目標を明確に発言している。そして、最も重要なことは、必ず結果を出している事実と、予想と結果に大差がないのは驚くべきことだ。長丁場のマラソンでは途中でなにが起きるか予測が尽きないことは十分知っている。そんなことは百も承知で、選手の調子などの質問を投げるのだが、多くの場合、指導者は結果を恐れて明確な発言を控え、とても額面どおりに聞けない。ある企業の監督は、選手の調子が良かろう悪かろうが、返答は常に「最高です!今日はいきます!」と、力んで自らを奮い立たせる。

藤田監督、廣瀬コーチ、走る野口本人も、どこか帳尻をあわせたのではないかと思うくらい、気負い、てらいもなく、プレッシャーも見られず「過去の4レースはいずれも記録ではなく勝負がポイント。今回は普通に走れば日本新記録は出ますね。」と、レース前に断言できる自信は大きな強みでもある。また、所属先のグローバリーが基幹業務である商品先物取引業からの自主廃業を発表。内部では陸上部の廃部がほぼ決定した矢先だが、そんなことはおくびにも出さない精神的な強さを持ったプロ集団の顔があった。

今回はアテネ五輪後の復帰緒戦。欧州で天候が急変することも珍しくはない時期だが、昨年は小雨、今年は快晴でマラソンには暑いぐらいだった。

藤田監督がバイク、廣瀬コーチが自転車で伴走。万全な体制を敷いた。誤算といえば気温が13度から20度まで上がったことだった。

野口選手はこう言う。「40km走をするような軽い気持でレースに向かいましたね。ペースメーカーをライバルに見立てて、35kmぐらいまで本当に気持良く走りました。ところが、やはり暑さのため、あれだけのハイペースで行くと、路面が以外に硬く、カーブが多かったためか左ふくらはぎが痛く、足にも豆ができて最後の5kmはきつかった(苦笑)」

ベルリンのシンボル「ブランデンブルグ門」を潜り抜けると、ゴールが左手前方に見える。野口選手は「あそこからゴールまで長く感じられました」と言う。両脇の特設スタンドから熱狂的な歓声、スタンディングオベーションで迎えられた。サングラスを外して小柄な身体を宙に浮かせてテープを切って、待ち構えていた藤田監督の胸に飛び込んだ。ゴール直後、レースの苦痛を物語るように、野口は顔を歪めてしばらく呼吸が荒々しかった。野口は「この優勝は藤田監督と今年引退した友人の中距離選手だった田村育子さんの誕生日プレゼントです。もう少し涼しければ2時間18分台が出たかもしれませんが、とにかく当初の目的、日本新記録達成はできたので大変に嬉しいです。記録への挑戦は、北京まで後1回ぐらいはあるでしょう。これが最後のグローバリーのユニフォームを着たレースになるかもしれません。今日の結果は、少しでも今までお世話になった会社への恩返しになればこの上のない喜びです。」と結んだ。

アテネ五輪金メダルに続いて、当然と言うべき日本記録への挑戦を、1年ぶりのマラソンブランクの影響もなくあっさりアジア記録も更新。コースレコードなどを含む賞金7万ユーロを獲得した。25km通過タイム、1時間22分12秒、30kmの1時間38分48秒が世界新記録のおまけまで付いた。ここでも気負いなく、まだ発展途中の選手が名実共に頂点にたち、北京五輪2連勝に向けての再出発の日でもあった。

(月刊陸上競技社誌05年11月号掲載)

(望月次朗)

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