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ラジ・ドゥクレ
大阪で連勝、北京五輪優勝が究極的のターゲット

12月末、フランスのスポーツ紙「レキップ」が、全国のスポーツジャーナリストの投票により選出された、その年最も活躍したスポーツ選手を発表した。

05年フランススポーツ最優秀選手は、ヘルシンキ世界選手権大会で男子110mh、4x100mリレーの2冠を獲得したラジ・ドゥクレ(23歳)に決定した。『ぼくが選考されるなんて思いもよらなかった!』と、ドゥクレ自身が驚いた結果だった。フランスのスプリンターの多くは、かつてのアフリカ植民地からの移民2,3世か、カリブ海に浮かぶ諸島、海外圏のグアドロップの黒人男女選手が圧倒的に多い。フランス陸上史上最高のスプリンター、バルセロナ、アトランタ両五輪で200,400m連続優勝したマリア−ジョセ・ペレックもグアドルッ
プ出身だ。ドゥクレはジュニアから10種目競技、110mhでフランス記録を次々と更新。フランス選手初の12秒台に突入した、稀有の才能を持つ逸材だ。アテネ五輪110mhで優勝した中国の劉翔とは仲がよく、ジュニア時代から好ライバルでもある。今季の目標は、
欧州選手権優勝、ハードリングマスターの二つを掲げる。アメリカ合宿前、パリ東の郊外のヴァンサンヌの森にある国立スポーツセンターISEP(Institut National du Sport et de l’Education Physique)と呼ばれる巨大な室内練習場で取材した。父親はマリ、母親はセネガルからの移民。弟、2姉妹、年間3000万以上の収入ながら、両親と一緒に住んでいる。

究極レースは、北京五輪優勝だ

ISEPの施設は、ローマ五輪でフランス陸上競技惨敗に業を煮やした、時のドゥ・ゴール大統領が建設したもの。現在では、各種のスポーツ施設、研究所、宿泊所などがある。日本の柔道選手も、ここで合宿する。昨年、劉翔らは2週間合宿を行っている。今年の冬は記録的に冬が長い。400mトラックに隣接した巨大なかまぼこ型の室内競技場がある。室内に自転車のピスト、1周166m4レーンのトラック、一番外側のコースは1周340m、直線120mが両サイドに4本、60mが8本、棒高跳び、走り高跳びが各2箇所、走り幅跳び、三段跳びピット、各種器具などが完備している。

−110mh、4x100mリレーのダブル世界チャンプ、05年は最高のシーズン。振り返ってみてどう思いますか?
ドゥクレ−本格的に110mhに転向してから3年目。自己記録を新、サブ13秒も記録できて、4x100mリレーも世界選手権大会で優 勝できた。次に目的達成に大きな励みになります。

−フランススポーツ最優秀選手賞獲得は?
ドゥクレ−ぼくがもらえるなんて!こっちが驚いています。F1でルノーが優勝、バスケット、ハンドボール,サッカー選手など、優秀な選手がいっぱいいるのに・・・、この賞に恥ずかしくない活躍を続けるようにと、陸上界に与えられたものと思っています。

−サッカー、十種競技、110mh転向の理由は
ドゥクレ−サッカーは小さいころからプレーしています。今でも大好きです。13歳の時、プレー中に足を骨折してから陸上競技に専念。そのころから今のコーチとヴィリー・チャテリオン(注:パリ南東郊外20kmにある町)で出会い、混成競技を薦められました。01年、10種目でフランスジュニア記録7794点を樹立。この競技が好きですが、円盤投げをするたびに内股の筋肉を痛めたため、そのたびに練習を中断。(注:コーチは円盤投げのテクニックが悪いために内股の筋肉を傷める。食生活の改ざんをくどく教育した。)03年パリ世界選手権大会出場のため、110mh一本に専念することに決めました。

−パリ世界選手権は準決勝で故障で敗退ですね。
ドゥクレ−あの時も故障が再発しました。

−03年、18歳でアテネ五輪110mhで18年ぶりのフランス記録を更新した。
ドゥクレ−調子は良かった。第1次予選で13秒18(注:この時、谷川聡が同じ組)、準決2組で13秒06、この記録は決勝で2位に相当するが・・・(笑う)最後のハードルが魔物だった。

−アテネ五輪の決勝の最後のハードルで失敗、なにを掴みましたか?
ドゥクレ−勝つこと!ジュニア時代から知っている劉翔が、目の前で世界タイ記録で優勝。ぼくは最後のハードルを引っ掛けて、バランスを崩して8位。かれの喜んでいる姿を惨めにも眺めている悔しさを忘れません。そのためにはなにをしなければならないのか、目的意識が違ってきました。

−それがヘルシンキ優勝の結果ですか。
ドゥクレ−かもしれないし、あれは北京五輪優勝をターゲットに入れた過程のひとつに過ぎない。ぼくは劉とは同じ年ですが、かれはジュニアから110mhのスペシャリスト。ぼくは01,02年故障で練習ができなかった。03年はハードル一本に絞ってきたルーキーだった。05年、パリGLで劉翔、アレン・ジョンソンらのトップ選手が集結したレースで、13秒02の自己新記録で勝ったことが大きな自信になりました。さらに、オスローGLではアレン・ジョンソンを始めトップハードラーと向かい風の中で対決、13秒00の自己最高記録を出した。コーチもあのレースはスタートからフィニッシュまで、ほぼ完璧な理想の走りと言い、あれが北京五輪優勝レースのお手本だと言っています。

−世界選手権決勝の走りをどう思いますか。
ドゥクレ−不安定な悪い走りだった。最後の8台目から、ハードルを越えた着地で腰が深く落ち、リズムが狂った。最後のハードルにも当たった。あれをヤッたらダメですね。スピード、リズム、技術がバラバラだった。劉が最後のハードルを越えてからグーンと出てきましたよ。もう少しで抜かれるところだった。

−劉翔らは、ドゥクレのスピードは凄いが、技術的に難点があるので走りが不安定だと言っています。
ドゥクレ−それは確かだが、それは経験の差。(笑う)でも、前よりはかなり上達してきているよ。

−劉翔のどんなことを知っていますか。
ドゥクレ−アテネ五輪後、中国のスーパースター。ボディガード付きか、顔を隠さなければ外出できないことなどかな。フランスではありえないこと!

−劉翔は12秒85を目標にしていると答えたが・・・どう思いますか。
−凄いね(笑う)ぼくは記録よりは、走りを習得したいね。記録は自然と後からついてくる。

−フランス人初のサブ13秒、12秒97を記録したが、あなたのポテンシャルは?
ドゥクレ−わからない(笑う)ぼくはハードラーとして、まだまだ習うことが山ほどある。最近はスタートは良くなったほうだが、以前のものは酷かった。前足の上げ方、肩の入れ方、時にはまっすぐ前を見いていない。手の使い方など、まだまだ完璧ではありません。この競技そのものが、わずかのミスが決定的なダメージになる。記録は狙ってでるものではない。あるレースが自然の形でひとつになるとき、理想的な走り、リズムが生まれると思う。

−劉翔はあなたを北京五輪最大のライバルと考えていますね。
ドゥクレ−怖いね(笑う)次回はぼくの番!お互いにその前に何度も一緒のレースで走らなければならない。

−110mhで優勝から1日置いて、4x100m優勝は大変嬉しそうで4人で踊りだした。
ドゥクレ−チームの和で勝ったから。アメリカが失格したので、優勝はオープンだった。われわれのチームは合宿からバトンタッチの練習を繰り返してきたので、タイミングが完璧だった。

−100mの最高記録は。あなたがフランスで最も速いのでは。
ドゥクレ−それはないとおもうが、03年、10秒48(03年),200mは20秒75(01年)今ではもう少し速くなっているかも。

−今季の目標は。
ドゥクレ−欧州選手権大会で優勝、技術習得でコンスタントに記録を出すことです。

−そのためにはなにが必要ですか。
ドゥクレ−高いレベルでの試合経験から技術を習得すること。コーチのアイディアですが、4月初めからアメリカ、オランダにあるトライアスロンセンターで1ヶ月の合宿。天候、設備が良いので調整ができる。また、ゲインズ、テキサスリレー、カンサスリレーなど、4レースに出場して、アメリカのレベルの高い競技会で経験を消化。5月1日、海外圏のマルティニックGPに出場して結果をテストする予定です。

完全自動化を目指す

ルノード・ロンギュヴレロ・コーチ談。(35歳、元棒高跳び選手、最高記録5m)

「ラジを最初に見たのは、かれがまだ13歳のころから。正式にコーチを始めたのは1998年9月から。なんのスポーツでも、フランスで世界のトップクラスに育てるのは非常に難しいこと。フランス人は遊ぶことが大好きで、長けている国民性もあり、レジャー、リクリエーションなどの施設が国中に開発されている。こんな『誘惑』の多い環境で遊び盛りの若者に、プロ意識を植え付ける教育をしながらコーチしています。ウエイトトレーニングを週3回行うことや、土曜日の朝連、フランス中の10代の若者が、土曜日に朝方まで遊んで朝寝坊をしているとき、練習をしなければならない。楽なことではないが、自己管理することができなければ、簡単に世界のトップにはなれない。数年前、バカンスから帰ってくると、体重が9kgも増えて戻ってきた。ハンバーガーなどの『ジャンクフード』を食べた結果です。なにを摂食しなければならないのか・・・、とにかく、一から教育しなければなりません。(笑う)どのくらいかれのポテンシャルがあるか、実のところわかりませんが、多分、ハードラーの中では世界最速でしょう。ラジのように素質ある選手は、高い目標を持って、北京五輪優勝を掲げて目指さなければならない。まだ、サブ13秒30で走った経験は15回です。アレン・ジョンソンはサブ13秒30で走った経験は110回あります。大ベテランのかれでさえも、アテネ五輪準決勝で大きなミスが起きた。110mhは、機械のように精密性を必要としています。ですから。1回でサブ13秒で走っても、五輪、世界選手権大会のような、短期間に4回のレベルの高い勝敗を賭けてのレースを、完璧に走ることは至難のことです。北京五輪を目指すにあたって、モスクワで60mhで2位になったダイロン・ロブレス(キューバ、20歳)が、劉、ラジの2人にとっての新しいライバルになると思います。かれはヘルシンキの予選に13秒83で楽勝したが、準決で8位。この時点ではポテンシャルはあるが、まだ3〜4年先の選手だと思っていたら、予想外な脅威の急成長をしてきた。決勝で最後のハードルで引っ掛けて失敗したが・・・、あれがなければ勝っていたかもしれない。今年から2年間で、身体の隅ずみまで110mhのテクニックをロボット以上に『完全自動化』、目を瞑ってもミスなしで完走できるようにしなければならない。わたしにとって、12秒80で走るよりは、五輪優勝が究極的なハードルだと思っています。」

(06年月刊陸上競技誌6月号掲載)

(望月次朗)

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