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野口みずき左脛骨筋を痛め、ベルリン出場断念

9月6日、野口みずき(シスメックス)は、9月24日に控えたベルリンマラソンで2時間18分台達成は難しいと判断。出場辞退を公式発表した。ことの起こりは、8月17日、野口はバスルームで滑って転倒。尾てい骨を強打した。しかし、支障なく練習を消化してきたが、身体がなんらかのバランスを崩した。27日に左脛骨筋の痛みが激しく練習を3日間中止。ようやく、29日の午後からトラックで歩行を開始。30日の朝練から軽いジョギングを始めた。30日、医者の診断を受ける。炎症のため「3日間の休養」を命じられた。このような不慮の事故は、絶好な休養になるときもあるが、予想外に回復が延びた。事故が起きるまで、過去最高の練習を消化。調整に自信を持ってきたが、9月24日のベルリンマラソンは、記録への挑戦が目的のため、中途半端な状態の出場を避ける「勇気ある」ベルリン回避を決断した。

03年パリ世界選手権前、アテネ五輪、昨年ベルリン、今回もスイスアルプスの山奥のサンモリッツで高地合宿を続けている野口、廣瀬コーチらの取材に訪れた。現地で2泊3日の密着取材、インタビュー、一連のフォローアップのレポートです。

チューリッヒ中央駅から海抜1770m高地にあるサンモリッツ駅まで、スイスアルプスを眺めながら電車で所要時間は約3時間40分かかる。ホテルは決めていなかった。この時期、陸上選手の合宿は終えているだろうと予想、野口、廣瀬、高橋トレーナーら、おなじみメンバーの合宿先にうまくチェックインできた。

午後の練習時間に合わせて階下に降りると、昨年と変わらない合宿トリオにロビーで再会。挨拶を交わして直ぐ、廣瀬コーチが「実は・・・」と言って、前述した不慮の事故から派生しただろうと予測する故障、左足脛骨筋痛を伝えられた。『エッ!』と思わず口に出た。予期しなかった言葉にこっちのほうが慌てた。その日、痛みが派生してから3日目。走ることもできない状態だった。

野口、廣瀬コーチは口を揃えて「遠いとろからきていただいてこんなことになってすいません。」と前置きして、事故を説明してくれた。「無念、落胆するのはあなた方です」と言っても、もちろん、慰めの言葉にもならない。

「実際、事故が起きてみてから思うのですが、『調子がよい時ほど事故が起き易い』と言われます。合宿中からレースが終わるまで不安だらけですが、細心の注意を払っているつもりなんですが・・・。事実、野口は昨年より練習が充実して調子が良かったんです。今は回復状態を見ている状況ですが、少なくとも1週間ぐらい練習を落としても、かえって程々にいい休養になるのですが・・・、それ以上練習が再開されないと出場は問題でしょう。」と、近くのトラックに歩きながら説明してくれた。

29日の午後の練習は、1時間の歩行だけだった。廣瀬コーチは「前日まで歩行困難だったので、かなり回復してきています。」、高橋トレーナーからは「まだ、しこりがありますね」と説明があった。

午後、廣瀬コーチと話す。「今回の準備は今までより多少早めに、菅平で2週間2回の合宿を消化しているのが違います。練習内容はそれほど変化はなく、昨年までと同じような形ですが、消化内容がほぼ完璧に結果を出しています。タイムも変わらないのですが、気象状況によって違いますので一概に比較できませんが、大切なことは「余裕」をもって走ることです。パリ世界選手権前は、練習で事故が起きたのですが原因がはっきりしています。そのとき、数日休養して完治しました。今回のような不注意で起きた事故の場合は、当然、大丈夫だと思って走っても、どこかカバーしているために次は別のところでなにが起きるかわからない不安がちょっと怖いですね。それがなかなか読めない不安だらけの状態、走り出してどこか悪くなる不安が常に付きまとうものです。今の時点では出場チャンスは五分五分。今までやってきた分があるので、そんなに早く崩れるわけではないので、うまく立ち上げることができればそれなりに走れると思います。」

事故前の調子を維持して、レース当日天候に恵まれれば「2時間18分30秒で行けたか?」の問いに、廣瀬コーチには(笑いながら)『サブ19分は行けたでしょうね』と、返答があった。

30日、すぐそこの山々は新雪で化粧していた。外気は3度。6時からの朝練で軽いジョギングができた。

軽く走れるように回復したので、野口にも明るい表情が戻った。

11時から近くのジムで補助、ウエート練習をたっぷり1時間消化する。

午後4時からトラックで30分軽いジョッグ。脚の状態をいろんな形でテスト。廣瀬コーチは「結局、ぼくも野口から訊かなければ分かりませんから」(苦笑)と言いながらも回復の兆しを確認した様子だった。

この日、野口と話す機会があった。彼女はベルリンで走る以外に雑念はない。

「わたしの不注意で皆さんに迷惑を掛けました。今回3回目の合宿で、ここでの練習に慣れてきたこともあるのですが、前回より練習の質、タイムが上がってきています。気持ちが充実しています。自分でもうまくコントロールできる自分を感じています。実績に伴う自信から来る余裕だと思います。サンモリッツはわたしにとって、練習を通して成長を確認できる場所です。練習内容はそれほど今までと変化はありませんが、練習中に自分の走りをクールに見つめて分析、チェック、訂正しながら走れる余裕ができました。これは大きいと思います。距離走より、インターバル練習を苦手としたのですが、このときでもきつくなりながらもフォームのチェック、腕振りのチェック、訂正ができるようになりました。これまではただガムシャラに、バタバタ走るだけで気持ちの余裕がなかった。これは大きな進歩だと思います。昨年のレースは予想以上に気温が高くなって後半ペースダウンしました。レース日が高温でなければ、もうちょっといい記録を出せる自信があります。その連続でここまでやってきています。今年のベルリンで、記録への挑戦ができるまたとないチャンスと思い『やる時にやる意欲』ですね。昨年、足の小指疲労骨折は、レース1週間前になんか違和感を感じたのですが、すでにレースモードに入っていたので、レース当日はすっかり忘れました。(笑う)それよりは気温のほうが記録には響きましたね。練習中、アテネのゴールシーン、今まで良かったシーンを思い出すことによって、精神的な張り合いが出ます。これはわたしのメンタルトレーニングの一種です。今度はサブ19分、それができてもできなくても自分は絶対やってやるという気持ちで向かいます。今度の怪我も、非常に大きなショックでした。パリ世界選手権大会前に起きた事故と比較すると、同じような感じで受け止めています。あの時はすっかりあせって精神的に大きなプレッシャーになりました。でも、結果はどうあれ、前向きに対処してゆきます。」

30日、医者に見てもらう。3日間の休養を要求。

9月2日、各紙が藤田監督談として、「野口、足首故障でベルリンマラソン出場辞退か?」と、故障箇所を間違えて掲載。

廣瀬コーチからeメールで「最終決断は6か7日に判断決定するでしょう」と一報があった。

9月8日、野口帰国。ベルリンマラソン辞退を公式に発表した。

(06年月刊陸上競技誌10月号掲載)

 
(望月次朗)

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