社会的に女子の台頭が著しく、その影響を反映してか、女子長距離選手による国際的な活躍は目覚しい。トップ選手はいずれも高地練習を行っている。理由は定かではないが、一般的に、男子選手が外国で高地練習する機会が女子選手ほど多くないのはどうしたことだろうか。女子選手の高地合宿地は、米国ボルダー市、近年は中国の雲南省昆民市がメッカと呼ばれて久しい。近年、高校生らの合宿まで行われている。日本長距離走者の第一人者、福士加代子(ワコール、25歳)が、4月始め世界男女が自他共に誇る「長距離王国」エチオピアの首都、高地2400mのアディス・アベバの新環境で高地練習を敢行した。協会関係者の中には「足でも折ったらどうする!」と、自分の無知を棚に上げて怒った者もいたらしい。それほど日本陸上関係者の中には、エチオピア長距離選手の強さは知っていても、変なところでアフリカ軽視、蔑視が頭の隅にあるのだろう。本音の暴露ではないかと思う。エチオピアの練習環境を実際に知る経験者は非常に少ない。周囲の反対を押し切って敢えてこの冒険を犯しながらも、トラックで「世界に通じる選手」に執着する永山監督。「アジア最強」の福士から脱皮するため、あえて「未知」の世界最強長距離王国に飛び込み、探求の「旅」を続ける。初回のアディス3週間合宿を4月7日から開始、いったん帰国して、さらに5月22日から再び3週間の合宿。そして、昆民で合宿を続け、最終的に日本で日本選手権大会に備える予定だ。今季、福士がどのような走りで「エチオピア効果」を発揮することができるだろうか。トラックで世界を追い続ける永山監督、福士の「旅」を現地で訊いた。
なぜ、エチオピア高地なのか
3月末、アディスでの永山監督のエチオピア合宿決断は早かった。視察中に本国に電話して、エチオピア合宿準備の指示を出し、帰国後1週間で三原コーチが福士、湯田、フィジオを同行して現地入りしている。「練習環境は予想以上に整っているし、現地の陸上関係者の温かい歓迎があった。」と言い、エチオピアナショナルチームがアテネ五輪前、長期合宿した旧約聖書に出てくる「ノアの箱舟」漂流地のアララト山にちなんで名付けられたホテルに滞在した。コーディネーターには、亜細亜大学出身、箱根大学駅伝を走り流暢な日本語を話すビズネ・トラがバックアップしている。
−なぜ、エチオピア高地練習ですか。
福士−これまで昆民、ボルダーで高地合宿経験があります。ディババ(ティルネシュ、21歳。注:パリ世界選手権史上最年少5000m優勝、ヘルシンキ5000,10000m史上初の2冠。)、ディファー(メサラット、24歳。注:アテネ五輪5000m優勝、5000m世界記録保持者)さんらとアテネ五輪後から、欧州遠征で一緒になんども顔を合わせてレース経験をしてきました。彼女たちの強さを体験してきたので、一体どのような環境でどのような練習をしているのかみたかったんです。
−刺激を受けて、一歩前進したかった。
福士−そうするのが最も手っ取り早いと思ったし、実際に自分の目で、肌で感じて確かめたかったですね。それがひとつのきっかけになればと期待しました。
−日本では刺激が薄い。
福士−こんなこと言っちゃあ、いけないですが・・・、レースでも練習でも、ディババ、ディファーさんらと一緒に走るような刺激はありません。なんだかんだと言っても練習ができてしまう自分がいますね。
−彼女らと話すようになったのはいつごろからですか。
福士−05年ぐらいかな、欧州転戦中に一緒のレースに出場、顔を合わせて喋るようになりました。
−いつごろからエチオピア合宿を考えるようになりましたか。
福士−監督は03年ごろから考え始めたと聞いていますが、わたしは昨年ぐらいからですか。監督は欧州遠征でエチオピコーチとコンタクトを少しずつ始めたようですし、わたしも選手を知るようになって、エチオピア合宿の可能性が“グ〜ン”と近づいたような気がしました。
−最初の印象は。
福士−想像を超える大自然でしたね。(ワッハッハ!)クロカンの場所を見て、「あ〜!こんなところで走っているんだ。」と感激したし。でも、同じコーチの指導で、みんな同じトラックで練習、同じメニューに従って練習していながら、ディババ、ディファーさんのような五輪、世界記録保持者、世界選手権優勝者を作り出していることに、興味がありましたね。わたしは世界のトップ選手は、てっきり違うメニューで練習すると思っていました。ナショナルチーム全員が同じ練習メニューを消化、みんな世界記録を出すチャンスを与えられても、世界記録保持者とそうでない人の差が出ますね。
−食事または食材調達は困りませんか。
福士−わたしはなんでも食べることができますので、ここの食事、インジャラ(注:テフの粉で作ったパンケーキのような平たいパンの一種。これはエチオピア人の主食。)は鉄分を含むので食べます。ホテルが出してくれるものはなんでも食べます。ここは朝練が1日で最も重要な練習なので、ブランチと夕食の1日2色ですませていますね。わたしたちは、どこで合宿しても基本的には現地の食事で済ませて、食品を持って動くようなことはしません。洗濯機も購入して、自分たちで洗っていますが、シューズは雨が降ると汚くなるのでホテルの人たちが1足5ブル(約65円)で洗ってくれます。
−ナショナルチームの練習の質はどうですか?
福士−とんでもなくタカ〜イ!アップをディババ、ディファーらさんらと一緒にしたことがあるのですが、付いて行くので必死でしたね。(笑い)とにかく早い!1回目の合宿のときに、800mx5セットの練習をしました。わたしはタイムをを取っていないのでわかりませんが、ここのトップ選手は65秒で入って、わたしは68秒。間をかなり適当にとっていました。見ていると、最後のスプリントは全力疾走!“バーッ!”と走って、50秒台に上がったのではないかと思います。ホント!コテンパンにやられました。(ワッハハ)その下の選手らにもギリギリ対抗できるか、抜かれるような状態ですね。凄いの一言!ここには30秒台が5人(注:5000m14分30秒台)、40秒台もかなりの人数、多分、50秒台はいっぱいいるでしょう。
−不整地をガンガン走るここの選手の印象は。
福士−協会のコーチ、選手たちも非常にわれわれを歓迎してくれます。ここの選手たちと根本的に走りが違います。胸を張って腰を高く、腰の重心移動がスムースでストライドが大きい。われわれが通常走る練習コースは、トラック、道路、芝生の上でも完璧に整地されているところを走りますが、ここの人たちは自然の不整地を、ごく普通の練習コースとしてガンガン走る。あれは凄い!ここの人たちのようにスイスイ自然に走れたらいいですね。まだ、そこまでできていません。
−最初の3週間合宿と2回目の3週間との違い、高地練習の影響をどこで感じますか。
福士−帰国後、非常に楽に練習を消化できたことかな。良くわかりませんが、不整地を走ることでこれまで使ったことのない動きができます。身体の作りが変わったのかと思いましたよ(笑う)芝生は身体に優しく、身体が喜んでいるようです。ロードはキツイ!ですね。
−同じ競技場で世界トップ選手と合同練習はどうですか。
福士−合同練習になっていません!ジョッグから考える暇もありません。ゆっくり入ってドンドンスピードアップ、とてもつけません。アップでいっぱい!!彼女たちは笑いながらスイスイ状態ですが、こっちは全力で必死でやっても付いてゆけない実力差があります。予想以上に凄いこと!ショッキングな事実でしたね。これが大きな刺激になっていることは確かです。こんな必死な経験は入社以来です。ですからこの経験でわたしの原点に戻ったような状況です。(笑い)世界最強選手らと一緒のトラックで練習できる環境、目の前で世界の頂点に立っている選手が走っているし、時にはちょっと付いて見たりすることもできます。前を行く背を見ながら走るのはいい経験です。コテンパンにやられていますから、そんなとき『日本記録とはこんなものか』(ワッハハ)と考えますね。これまでの記録、練習の質、モチベーション、練習環境など、すべてのものが一体なんだったのだろうかと。ここで世界を肌で感じ、『世界の現実』を実感しています。
−高地順応化の問題ではない。
福士−それだけの問題ではないでしょう。ここは2400mもあるのですから、最初ホテルの階段を上がることさえきつかったですが、わたしにとって高地はそれほどの問題ではありません。
−ここで練習する成果が現実に感じられますか。
福士−具体的な相違は、この国の選手と知り合いになったから、同じスタート地点に立っても今までのような緊張感は薄れるでしょうね。
−大阪世界選手権前、欧州のどこかで10000m日本記録を狙いますか。
福士−それで世界選手権前に勢いを付けたいですね(笑う)これまで日本記録は少なくとも10回ぐらいチャレンジしていますが、なんでしょうかね、あと3秒ぐらいがなぜか破れない。(注:日本記録は渋井陽子の持つ30分48秒59秒。福士は30分51秒81)10秒ぐらいの短縮ができる自信はあるのですが・・・、こうなると意地でも日本記録を破りたいですね。自己記録が02年ですから、4年間ぐらい時間が過ぎている。少なくともこの記録はもっと早く破っておかなければならない記録です。原因はなんでしょうかね。監督から日本記録への挑戦をいつ、どこでするか今までに話はないですが、日本選手権で記録を狙うのはきついので、選手権後欧州で狙うでしょう。
−地元開催の世界選手権をどのように考えていますか。
福士−行こうと思います。行きますよ!(笑う)メダル獲得なんて、エチオピア選手が4人、ケニア選手も3人出場すると、これだけでも大変なこと!とても無理!過去の世界選手権の結果は、パリ大会で5000,10000m両種目で11位。ヘルシンキ大会10000mでも、奇しくも11位だった。地元開催ですからなんとか入賞できればイイナ〜と考えています。でも、どうかな(笑う)入賞できれば最高としますよ。
−大阪世界選手権をひとつの区切りとして、結果どうであれ北京五輪に向けてマラソン転向が期待できますか。
福士−皆さんが、北京五輪に向けてわたしのマラソン転向を考えてくれるのは大変にありがたいことですが、現在のわたしはそこまで考えていません。アテネ五輪ではトラックで失敗しているので、もう一度トラックで出場したい考えが頭のどこかにしつこく潜んでいます。が、その考え方も流動的で、大阪の結果次第によっては、北京五輪ではマラソンでやる方向になるかもしれませんね。まだまだ揺れますね。
−同じ種目で五輪連続参加も素晴らしい実績になるが、スポーツの世界ではメダル獲得が非常に大切なこと。
福士−そうですよね。トラックで日本人が五輪メダルを獲得したことはありませんし、マラソンでは日本人が2大会連続優勝、メダル獲得の可能性はトラックよりはるかに多いのはわかりますよ。10000mにこだわるのも・・・、どうかな〜あ。大阪ではっきり目安をつけるかな。(笑う)
−マラソン転向にプレッシャーがかかる。
福士−逆に、周囲がマラソン転向に騒ぐほど、わたしは本音は違っても「ゴジョパリ」(強情)を通すかもしれませんよ。(ヒッヒッと笑う、ゴジョパリの意味は田舎の方言で「アマノジャク」の意味。)
−そりゃ〜困る。でも、ハイレからあなたにマラソン転向のアドバイスがあった。トラック練習のキツサを考えれば、マラソンはエンデュランスだけ。怖いものなんか全くないと言ってたが・・・。
福士−ハイレさんは、いとも簡単にマラソンは耐久力の練習だけ。走り込めたら『スーと行くよ!』なんて言っていましたが、本当ですかね。(笑う)まだ、今は気持ちがそこまで入っていません。
−なにはともあれ、今季はいろんな福士に期待できそうです。
福士−どうかな〜あ。でも、エチオピア合宿など、今までと違った環境での練習成果はキチット出したいですね。