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ジャネト、クラウディオ、2人で五輪優勝を

大阪世界選手権女子800m優勝者のジャネト・ジェプコスゲイ(ケニア、24歳)とコーチでフィアンセのクラウディオ・ベラルディリ(イタリア、28歳)は、基礎練習を赤道直下の2400m高地のエルドレッドから、シーズン中はイタリアのブレッシアで調整基地を移して800mを征した異色のカップルだ。ジェプコスゲイは、パワフルな欧州勢らを尻目に、スタートから恐れもなく終始先頭に立って独走優勝した。この種目でケニア女子初優勝だった。寡黙の人が多いケニアで、茶目っ気たっぷりの明るい女性だ。ベラルディリはケニア滞在5年目を向かえる。07年、彼のコーチしたマラソン選手は、ロンドン、NY、シカゴを始め、各地で11勝、上位入賞が4名、世界選手権で男女800m優勝、男子マラソン3位の実績を上げた、世界でも最も新鋭な長距離コーチだろう。2人がイタリアで知り合ったのは5年前。ジャネットは「クラウディオのお陰。」と断言する。世界選手権後、ケニア女子選手と若い「ムズング」(ソワヒリ語で“白人”の意味)コーチの戦果に国内コーチの反発を買って、「出て行け!さもなければ殺すぞ!」とまで脅迫されたと言う。また、12月に行われた大統領選挙の結果、これまでアフリカ大陸でも平穏なケニアが過激な部族闘争にまで発展、数百人の死者を出した惨劇が起きた。国連から調停委員らが派遣され、内戦一歩手前の不穏な状況下が続いている。一時、クラウディオは身の危険から国外退去したが、1月半ばエルドレッドに飛んで北京五輪優勝に向けて練習を再開した。



北京は新作戦で対処する

「カレンジン」と総称される海抜2400mにあるエルドレッド市周辺の人たちは、ケニア長距離選手の宝庫だろう。エルドレッドの高級住宅地の一角は、世界陸上競技史に名を残す名選手の豪邸が立ち並んでいる。イブラヒム・フサイン、ヨベ・オンディエキ、モーゼズ・タヌイ、パトリック・サンガ、テグラ・ラループらだ。そこにガブリエラ・ロザ(注:イタリア人。本職は医者だが、1993年ごろから世界のトップトラック選手のモーゼス・タヌイ、ポール・タガートラをトラックからマラソンに転向して大成功させた。かれの手腕で急激に高速マラソン化に突入した。息子のフレデリコも本職は医者だが、大手のマネージャー業。)のケニア本部、ジャネット−クラウディオらもアパートを側に借りている。父親はアマチュアの長距離選手。母親は彼女が生後3ヶ月で亡くなっている。ちなみに、ケニアから来日する多くの留学生、長距離選手は国内最大のキクユ族か対立関係のない部族出身者で、かれらの高地練習は東部のニャルル市周辺だ。この両部族の微妙な対立感情は、外ものにはなかなか理解が難しいものがある。

7種目から800mに転向

−なぜ、長距離ではなく中距離を選んだのですか。
ジャネット−わたしは小学校のころから走るのが好きだったが、もとは7種目の選手だったんですよ。(笑う)器用だから400mhも走ったこともあります。800mは7種目最後の種目でしょう。でも2分12秒ぐらいで走ったので、800m専門に練習すればもっとイイ記録が出ると思ったんです。(笑う)01年、ポール・エレング(元400mランナーから800mに転向。短期間でソウル五輪800m優勝者。かれはIOC、IAAFがエルドレッド市に建設したキプ・ケイノH.P.T.C(High Performance Training Centre)で中距離選手のコーチをしていたが、03年8月テキサス大学エルパソ校中長距離ヘッドーコーチに就任、現在に至る。)の勧誘を受けてセンターに入所を許されました。かれに「800mの才能がある」と激励、アドバイスがあって800mランナーになりました。

−02年、ジュニア世界選手権大会800mで優勝したが、その後、伸びなかった原因は。
ジャネット−H.P.T.Cに入所してから本格的に800m練習を始めたのですが、ポールがアメリカの大学コーチに就任。センターに800m指導者が不在で練習に集中できなかったからです。
クラウディオ−ケニアは独立して練習を続けることは非常に難しい環境です。ジャネットの記録が伸びだしたのは、ぼくがコーチしてから1年半ぐらい経ってからです。

−コーチを始めたのはいつごろからですか。
ジャネット−初めて会ったのは02年ごろ。コーチを始めたのは03年の夏です。
クラウディオ−最初、03年の夏、マネージャーのフレデリコからジャネットの「コーチを頼む!」と、イタリアで頼まれました。トラックの経験はゼロだったのをジャネットがあるがままに受け入れ、「一緒にやろう!」と言って始まったのです。それから始めて4年後、世界チャンピオンが誕生したことを誇りに思います。
ジャネット−優勝できたのはクラウディのお陰よ!(笑う)

−コーチを始めたころのジャネットの印象はどんなでしたか
クラウディオ−正直に言って、ジェネットがアフリカ選手権、大英連邦大会、世界選手権で優勝するとは全く予想しなかった。ひとつだけ確かなことは、ジャネットは競技に対する姿勢が純粋でストレート、練習態度が常に真剣だったことです。適当に妥協しない。競技に対するパッションが、ランナーとコーチを互いに強く結びつけ、そのほかのことは全く必要のないことですね。

−あなたから見たクラウディオの手腕はどうでしたか。
ジャネット−どうですかね(笑う)年齢が近いので話し合いができるし、頭ごなしに命令しません。800m、トラックのコ−チ経験がなかったために、おかしな固定観念を持っていない柔軟性のある思考、わからなければ徹底的に勉強してわたしに説明してくれます。お互いに納得して行動してきました。ですから、わたしもかれの努力に答えることで、中途半端な態度で練習、レースができません。

−結果を実感したのはいつごろでしたか。
ジャネット−04年9月、リエティGPで2分00秒52で7位になって、ようやく自己記録を更新できました。これでもっと「いける!」と思いましたね。05年シーズン後半、チューリッヒGLで1分59秒31で走ってから連続3回サブ2分を記録。1分57秒82のケニア新記録、このシーズンランクは世界で6位でした。こうなるとレース、練習も楽しくなります。
クラウディオ−ぼくが思うのは、06年大英連邦で1分56秒66で優勝した時ではないかと思うな。3月末の大会だったので、ほとんど調整らしきものをしないで、予選、準決勝、決勝戦とも完璧なレースでマリア・ムトラ(モザンビック)、ケニア・シンクレア(ジャマイカ)らに圧勝。ジェネットに大きな自信をもたらしたと思う。このときジャネットもぼくも、予想以上に大きなポテンシャルを実感しましたね。

ブッシュランナーの夢

ジャネット−確かに、大英連邦大会800m決勝のあのメンバーで勝ったのは凄く自信になりました。始めマリア・ムトラが出場したので、つい名前負けしてドギマギしましたが、レースになったらそれほど気にならなくて自分の走りができたと思います。勝った時はホント嬉しかった!(笑う)
クラウディオ−800mは強力な体力が必要な種目。ジャネットの凄いところは、大きな大会でも自分を見失わないこと。プレッシャーをエネルギーに換えて闘争心を高めながら平常心で走ることができる能力です。これは大きな大会になるほど強力な武器になります。身体的な能力もさることながら、大きなタイトルのかかっている大会で始めて精神力の強さなど潜在能力を発見することができます。

−ロザとのかかわりは。
クラウディオ−彼との出会いは02年。ロザのマラソン練習法に興味があって、かれがコーチしているケニア選手の練習をブレシアに見学に行ってからです。ミラノ大学で「スポーツ科学科」の「耐久スポーツ」を専攻したので、自転車のロードレース、ノルディックスキー、マラソンなどに興味を持っていました。04年、ロザの提唱する「ディスカバリー・ケニア」と銘打っての新人発掘、選手育成プリジェクト現地責任者に任命され、ようするにケニアに長期滞在して若い現場コーチを依頼されました。あのころ、と言っても未だに学生の身ですが・・・、教授も「滅多にないチャンス!」と言ってバックアップしてくれて今日まで至っています。今年3月に卒業できそうです。

−基本的な仕事は。
クラウディオ−若いポテンシャルの選手発掘、育成がぼくの仕事です。はっきり行って基本的な仕事はそれほど難しくない。学校、人からの紹介、レース、毎日の練習にやってくる「ブッシュランナー」(注:好きで走って健脚自慢のランナーがケニアにはゴマンと存在する。かれらがロザの契約選手らと一緒に練習するケースがある。)から、われわれのシステムなどを話し合って理解を求め、プロ選手になる可能性を見つけることです。

−あなたが呼ぶ「ブッシュランナー」とは、どのような選手ですか。
クラウディオ−かれらは走ることが好きでいつまでも「夢」を追っているランナー。無職で、「お前がやれるならオレだって」と、いつかは「オレも世界に出る!」と、夢を追い続ける自己流で走っているランナー。そんなランナーがここにはゴマンといます。かれらが大成するかのチャンスは五分五分ですね。うまく行けば一発のレースで人生を変えることができます。

−あなたはロザの育成システムによって、ケニア選手を世界トップ選手に築き上げることを目標にしているわけですね。
クラウディオ−そうですが、ここではなんでも屋です。(笑う)ケニアは長距離選手の新人発掘、育成の「素材」が容易にできる最高の環境だと思います。しかし、その素材を「育成」するのが非常に難しいのです。特に、文化、メンタリティの差が大きな問題にもなりますが、コーチはもとより、日常生活からいろんなことを教えなければならないケースも多く、些細なことまで配慮が必要になります。

若干28歳、世界最新鋭のコーチ

−ケニア選手を直接コーチしたのはいつからですか。
クラウディオ−04年、初めてロザの「ディスカバリー・ケニア」が終わってから。ぼくはロザが世界最高の長距離コーチと信じています。コーチ経験のないぼくを最初からすべて一任されて、関わった人たちの多くは、ぼくより歳が上だったこともあって少しは苦労しましたね。(笑う)

−現在、コーチしてる選手の数は何人ですか。
クラウディオ−エルドレットの半径50から100kmの距離に3箇所のキャンプ場で約30人の選手がいます。時には、首都ナイロビ近くのンゴング(注:首都ナイロビの南西20kmにある町。ここにポール・タガート、ロバート・チェルイヨット、パトリック・イブティ)らが滞在して練習している町。)からここにきて練習する選手もいます。それと3倍以上の「ブッシュランナー」が練習に顔を見せうちの契約選手と一緒に走ります。練習にくるランナーは拒みません。

−あなたがコーチしたジャネット以外で大阪世界選手権の優勝者はだれですか。
クラウディオ‐ぼくのコーチした選手が世界選手権に出場したのは初めて。直接コーチした選手の男女800m優勝、男子マラソンが3位でした。運が良かったかもしれないが・・・、次の北京五輪は世界を敵に回して戦わなければならないので、おなじ作戦では危ないし、期待からのプレッシャーで恐ろしい状況になりそうですね。(笑う)
ジャネト‐でも、失うものがありませんから・・・(笑う)思い切って行きますよ。

−07年、あなたがコーチした選手の成績はどうですか。
クラウディオ−すべての練習プログラムはガブリエラ・ロサの作成プログラムと、かれと話し合いで作成したものです。また、われわれは電話で毎日話し、細かい微妙な調整は現場コーチのわたしの判断に任せています。各地のマラソンで優勝した選手は11人。上位入賞者が4人です。ボストン、NYで優勝したマーティン・レル(PB:2時間6分41秒)、シカゴでやっとマラソンで優勝したパトリック・イヴティ(PB:2時間7分43秒)、ローマで優勝したベンソン・チェロノ(PB:2時間7分58秒)、ローマで優勝したエリアス・ケンボイ(PB:2時間9分37秒)、アテネ、ドゥバイ、カプリ、フィレンツエ、コシチ、ミラノ・マラソンでそれぞれ優勝。ボストン2位のジェ−ムズ・クワンバイら、大阪世界選手権男子マラソン3位のヴィクトール・ロエトリン(スイス)も、ここにきて練習しました。女子トラックは、ジャネスと3000m障害の選手ぐらいなものです。

−凄い!
クラウディオ−ロザが長年の経験をもとにして作成した練習プログラムがあります。それを3箇所のキャンプの練習を交互に見ています。統計を見ると、世界トップ150人のマラソン選手の半分以上はケニアで、日本選手数もエチオピアよりわずかに数が多くて2位ですが、他の国の選手とでは根本的に選手の「層」「質」が違います。

−これまでどのようなコーチ冥利がありましたか。
クラウディオ−マーティン・レルがロンドン、NY、パトリック・イブティがシカゴで優勝ことなども、もちろん大変に嬉しいのですが、無名のジェームス・クトが「ブッシュランナー」から短期間に大成功したことは驚きです。かれの最初のマラソンが2時間18分。2回目が2時間12分から、今年2時間8分43秒まで短縮しました。かれの人生が大きく変わって、大変に嬉しく思います。まだ、ここにはマラソンで一発当てることで、一攫千金の値する報酬を得る大きなロマンがあるのです。ある選手が小さな大会で上位入賞した後、1000シリング(約$15)キャッシュで「ありがとう。これお礼だよ」と言って渡してくれたときは感激、驚きましたね。これは例外中の例外。ケニアの人たちは「ムズング」は金持ちだと思っているふしがあるので、かれらのほうから金をぼくにくれるようなことはほとんど考えられないことです。額の問題ではなく、彼の感謝の気持ち嬉しかった。

新作戦で五輪優勝を狙う

‐それだけの数のマラソン選手、ジャネットのコーチなどしていますが、どのように時間を振り分けていますか。
クラウディオ−ロード主体の練習とトラック練習の時間帯が基本的に朝と夕方に分かれます。ぼくがマラソンの朝練の時、ジャネットは1時間から1時間半のクロカン走で朝練を終えます。マラソンの朝練終了後、ジャネットの練習に付き合うこともあります。

−これからはマークがきつくなるでしょう。今季も「先行逃げ切り」ですか。
クラウディオ−もちろん、東欧州、ロシア勢の巻き返しが予測されます。若い選手の台頭も考えられるし、昨年と同じ作戦が効果的とは思っていません。
ジャネト−同じような戦法はしたくないし、いろんな走りを練習中からテストして、GLで試してから五輪に望むでしょう。

−ジャネットが大阪で優勝してから、とんでもない周囲の反応があった聞きましたが。
クラウディオ−世界選手権で優勝した嫉妬ですね。ぼくを脅迫して追い出そうと計った連中です。全く根拠のない「ドーピング」で強くなったと言う中傷と「ここから立ち去れ!でなければ殺すぞ!」と言った脅迫でね。一時は本当に怖かった。今でも暗いところは一人で歩きません。

−08年GL800mでジャックポットを狙いますか。
ジャネット−GLの女子800m出場の契約をIAAFと済ませましたが、ジャックポット優勝を目標にして調整しません。
クラウディオ−08年シーズンの最終目的は北京五輪です。ですから、昨年と同じように後半にピークを持って行くよう、シーズン開幕から飛ばすようなことはしないでしょう。

−室内世界選手権大会に出場しますか。
ジャネット−出場予定はありません。シーズンは長くなるので、ゆっくり北京に合わせます。

−今季、ジャネットに求められるものはなんですか。
クラウディオ−大阪は忘れて、新しい北京対策を作らなければならない。大阪2週間前、ジャネットは600mを1分25か26秒で軽く走っていたので勝てると思ったが、どのようなレース展開ができるかは別問題。大会前は先頭で走ることは全く考えていなかった。予選を終えてジャネットは「ホント!軽く、気持ちよく走れた。」と言ったので、ぼくはが「準決勝も決勝もそれで行こう!」と決めました。あの状況ではおなじスタイルを続けることがベストだと思ったからです。北京で大阪と全くおなじ調子でなければ、おなじ作戦を使うわけには行きません。今では世界中のライバルらがジャネットの走りを予測できます。ライバル選手は、様々な対策を練ってくると考えられますから、そのような状況に対処できるいろんなタイプの作戦、レース経験を積んで、瞬時に反応する頭と身体で対処しなければ勝てません。あとは故障しないことですね。

−ジャネットの400mの記録は。
ジャネット−数年前の記録が54秒台ぐらいだったかしら。練習中でも軽く53秒台で走ることができるので、実力は52秒で走ることができるでしょう。しかし、800mのスピードはスプリントのように瞬間的なものは必要ないので、スピードを長く維持できる能力がないと勝てません。

−記録の更新は?
ジャネット−できれば、自己記録は破りたいと思いますが・・・。今年は勝つレースが大事です。

−ロシア勢をどう思いますか。
ジャネット−世代交代期でしょうね。ロシアからは新しい選手が出てくる可能性もあるでしょうが、ムトラの時代は終わったと思います。注意しなければならないのは、欧州勢の若手選手の台頭でしょうね。

−1500mを走る予定はありますか。
ジャネット−今年は五輪がありますから、800mに集中してよそ見なんかしていられません。(笑う)そのうちに走って見たいと思いますが、走るなら五輪後でしょう。

−あなたの強さの秘密はどこにありますか。
ジャネット−ロングスパートは世界中の人たちが知っています。意地っ張り!負けるの大嫌い!クラウディオと一緒にジョッグでも負けるのは嫌!自分でもどんなパワーがあるか良くわかりません。(笑う)が、陸上競技が大好き!

(以下は電話、eメールでクラウディオにエルドレッド市周辺の近況を聞く。)

−現況で練習はできるのか。
クラウディオ−エルドレッドは平静で練習が再開できる状況まで回復してきた。とにかく、通常の生活ができる。春マラソンに出場予定の選手、トラックシーズンに向けての選手も非常に大切な時期だ。クリスマス前に一時帰国、4日イタリアに滞在、エルドレッドに飛んで練習を再開した直後、エルドレッド周辺に住むキクユ族を無差別に襲う暴挙に出た。エルドレッド近辺に住んでいた約10万人のキクユ族は、一斉にここから東に逃亡。暴徒が道路を閉鎖、町の店が略奪されて日常生活が困難になり、身の危険を感じたのでイタリアに逃亡しました。電話で選手に練習指示を出していたが、これで十分に練習管理ができるわけがない。幸い、キャンプは無事だったので練習再開ができたが、一時は無法状態だったのです。

−ジャネットは一緒だったのか。
クラウディオ−ジャネットはエルドレッド30km郊外で、家族と一緒だったので心配はなかった。

−このような状況はいつまで続くのか。
クラウディオ−国連、アフリカ諸国、アメリカからの調停委員らが派遣されて、事態を平和に解決を進めている。現職の東部に勢力を持つキクユ族のキバキ大統領、西部が基盤のルオー族(アメリカ民主党の大統領選挙オバマ候補の父親はルオー族出身)の選挙に負けた野党党首のライラらが強硬に対立、予断が許されない状況だ。このような状況でどこまで春マラソン、屋外シーズンに向けての練習ができるか楽観ができるような状況ではない。
最悪のケースは、契約選手をイタリアに移して調整することも考えている。

 

(望月次朗)

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