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小さな巨人ゲテ・ワミ、五輪マラソン優勝を狙う

10年間以上に渡って世界長距離界のトップランナーとして活躍しているゲテ・ワミ(エチオピア、34歳)は、日本選手より小柄だろう。世界クロカンで96年、99年ロングコース、01年ショートコース個人優勝、団体種目を含めると合計19個のメダルを獲得。アトランタ五輪10000m3位、シドニー五輪10000m2位、5000m3位、01年世界選手権10000m3位など、輝かしいトラックキャリアの持ち主だ。99年、亡命先のオランダ国籍を獲得した元エチオピアでマラソン選手だったゲテネ・テサマと結婚。03年エヴァを出産している。02年、アムステルダム初マラソンで2時間22分19秒で優勝。初マラソン史上2番目の好記録だった。しかし、予想以上に「産後立ちが悪く」05年ロックンロールマラソンで優勝したが、完全復活は06年ロスマラソンまで待たなければならなかった。献身的な夫の指導で不死身の如く、世界のトップマラソンランナーに返り咲いた。06、ベルリンで2時間21分34秒のエチオピア新記録で優勝。07年ロンドンで2時間21分45秒で2位。昨秋はベルリン連覇を達成。その1ヵ月後、昨秋のNYでワミは驚異的なエネルギーで世界をアッと驚かせた。NYマラソンで出産後初の復帰レースでポーラ・ラドクリフと最後まで激戦して敗れたものの2位に食い込んだ粘りを見せた。新設された5大マラソン総合得点で初代優勝者に輝き50万ドルを獲得した。ワミは新人の如く余勢をかって、一躍北京五輪優勝候補に上がってきた。ハイレ・ゲブレセラシエの家から徒歩で数分の距離、新居のテラスからパノラミックにアディスが一望できる高台に豪邸がほぼ完成した。気負いもなく淡々と「北京五輪は、キャリアの有終の美を金色のメダル獲得で飾りたい。」と言って静かに微笑んだ。



賞金50万ドル悪くはない

ワミ夫妻は、多くのエチオピア選手が南のアサラ地方出身が多いが、首都アディスから北に150kmほど離れたデブレ・ビルハン市の出身だ。ワミは性格的にも控えめでもあるが、黒人アフリカ女性で初の五輪10000m優勝したデラル・ツル(バルセロナ、シドニー五輪10000m優勝、世界選手権、世界クロカン、マラソンでも大活躍した選手。)の陰に隠れていた存在だった。ラドクリフとは過去10年以上トラック、クロカン、マラソンで凌ぎを争っている。今春、北京五輪前哨戦として、NY続き「ワミ−ラドクリフ」の再現レースがロンドンで展開される。

−凄い大きな家ですね
ワミ−良いでしょう(笑う)屋内の細部、裏庭がまだ完成ていませんが・・・、住むには支障がありません。わたしたち3人だけではなく、親戚の家族が入る予定になっています。

−4月ロンドンでラドクリフとNYの再レースですね。調整は順調ですか。
ワミ−と思いますね。ポーラとは宿命的なようなもの。(笑う)10年以上、トラック、クロカン、マラソンで一緒に走りお互いになんども勝ったり負けたりしている。ロンドン、北京で2度走って決着をつけようかな。(笑う)多分、向こうでもそう思っているでしょうね。
テサマ−北京五輪前、ロンドンでもう一度ポーラと走るのは良いことだと思う。

−NYマラソンで激戦の末負けたが・・・、ベルリンの疲れが残っていたのですか?
ワミ−疲れは感じなかったのですが、セントラルパークに入ってやはり最後の勝負どころで腹痛がきたので思うように力を出せなかった。セントラルパークに入ってから腹痛がきたのが怖かった。それから一時腹痛が消えたのですが、残り1kmぐらいで勝負を掛けてポーラと並んだ時、また腹痛がきましたね。もし、あればなければポーラも疲れていたので勝敗はわからなかったでしょう。

−NY1本に絞ってきたら勝ってたと思いますか。
テサマ−さあ〜、それはやってみなければわかりません。35日間の短期間で2本のレースは、勝負時でポーラと並走したとき腹痛が起きたのは疲労が原因だったのかもしれませんね。

−ラドクリフをあそこまで苦しめて2位だったが、総合得点で優勝、50万ドル獲得わるくはない。
ワミ−でしょう(笑う)
テサマ−とにかく上位入賞するのが第一目的だった。NYで優勝よりは、上位入賞して得点を上げて「ワールド・マラソン・メジャーズ」総合優勝が目的でしたから。

−ロンドンでポーラとの再現は楽しみですね。
ワミ−次は勝ちたい!練習を充分消化すればポーラとかなりいい勝負ができるのではと期待しています。また、サブ20分台にも突入したいですね。でも、勝敗は「神のみぞ知る」。

−02年、アムステルダムで2時間22分19秒で優勝。初マラソン史上2番目の好記録だったのですが、出産から完全復活まで数年沈滞していたが・・・、その原因は。
ワミ−それは03年8月長女イヴァの出産後、足、背中などが痛くて満足に練習ができませんでした。産後の3年半ぐらい普通の状態に戻りましたね。だから、ポーラは産後10カ月であそこまで走れるのは凄いことです。とにかく身体がフィットしなかった。身体が走りたくないようでしたね。でも、アテネ五輪マラソン出場を狙っていましたが走れませんでした。(笑う)
テサマ−女性は出産後、身体の変化が激しいもの。ワミもそのような状態で無意識に身体が走りたくなかったと思います。ゆっくり時間を掛けて、多分、自然に走る意欲が生まれ、身体が納得するまでゆっくり休養したのが良かったのかもしれません。

−04年、東京マラソンで2時間32分07秒で8位でしたね。
ワミ−あのころは身体も精神的にフィットしていませんでした。結果はあんなものでしょう。

―いつごろからマラソン復活に自信を持つようになりましたか。
ワミ−06年ベルリンで2時間21分34の自己記録、エチオピア新記録で優勝した時でしょう。
テサマ−アテネ五輪後、ぼくが本格的に自分のクラブを立ち上げ、ワミをはじめ男女マラソンのランナーを指導始めました。それから2年後、ワミが徐々に結果を出すようになりましたね。05年、サンディエゴで2時間30分07秒で優勝しましたが、暑かったので記録がそれほど伸びなかった。マラソンは1度の優勝では手放しで喜べません。記録は平凡ですが走り込み練習の過程である程度先が読めるようになりました。距離、スピードなど、徐々にですが十分に練習を消化することができるようになりました。私は06年の春、LAマラソンで2時間25分26秒で2位になったときではないかと思っています。

−トラックからマラソン転向に難しかったことがありますか。
ワミ−それほど大きな問題はなかったと思います。私の場合は身長の割りにストライドが大きくマラソンには不利だと言われました。だが、長い距離を走れるようになると、自然とストライドもロードレースに適したような走法に変わるものですね。
テサマ−ワミの場合、トラック、クロカンで鍛えてスピード、脚力があったのであとはマラソンに耐えられる距離練習だけでした。これは徐々に距離を踏んでゆくより他に手はありません。

−過去2年間のワミは驚異的な結果を残しましたが、好調の背景はなんですか。
テサマ−ワミはトラック、クロカンで世界のトップランナーの実績を持った選手。初マラソンでも21分台を記録しているので、産後から復活に時間が掛りましたが、本格的なマラソン練習が消化できるようになれば、昔に戻るだろうと予測はしていました。

−なぜ、エージェントからコーチを始めたのですか。
テサマ−私も元マラソン選手の端くれ。オランダの「グローバル・スポーツ・コミュニケーション」社のエチオピア在のエージェントですが、若い選手を育ててみたい夢がありました。最初にワミの指導を始めてから、眼にかなった男女ランナーの指導を始めました。ひとつは、エージェントの重要な仕事は、選手を最高の状態でレースに派遣すること。エチオピでも、ケニアと少し遅ればせながらも、個人指導者が選手養成を始めることができるようになりました。
(注:テサマは07年福岡マラソンで2時間6分50秒で2位になったデルバ・メルガらをコーチしている。)

−長い間、あなたはデラル・ツルの活躍の陰に隠れていたが、現在の状況はこれまでのキャリアで最も充実しているのでは・・・
ワミ−そんなことは考えたこともありませんが、マラソンの結果は非常に満足していますね。私が田舎からアディスに出てきて理由は、いつかはツルのようなランナーになるのが夢でした。彼女の存在は、エチオピア女性の憧れの人でした。

−最近のコンスタントに優勝に絡んでくる成績は凄いと思います。勢いを駆って北京五輪優勝狙いですね。
ワミ−そんな簡単には行きませんよ!(笑う)私は五輪で銀、銅メダルは獲得していますが、金色のメダルはまだなので有終の美を金メダルで飾りたいものですね。
テサマ−当然、出場するなら優勝を狙いますよ。

−あなたの北京五輪マラソン最大のライバルは誰ですか。
ワミ−アテネ五輪の暑さを克服して完勝したした野口、ポーラでしょうね。また、他の日本人選手も最高の調整をしてくるで要注意でしょう。もちろん、キャサリーン・デレバらも優勝候補でしょうか。
テサマ−私は東京マラソンコースを良く知っています。最後の数kmが上り坂の難コース。あそこで野口は2時間21分37秒で走ったのは凄いと思います。また、彼女のペースは、前半より後半のほうがアップしている。フラットコースなら18分台が出てもおかしくない記録でしょう。北京に向け焦点を見事に合わせて復活しましたね。野口は、これまで6戦5敗の成績、勝負にめっぽう強いのが特徴です。マラソン王国日本の期待の「星」。下手な走りはしないでしょう。私も気象条件を考慮した上ですが、野口、ポーラらがやはり優勝候補に上げます。北京は気象条件が非常に厳しい環境なので、番狂わせが起きる可能性もあります。調整が難しいと思いますが、野口はアテネで調整をしっかりした経験が大きい財産でしょう。逆に、ポーラはアテネで失敗をどのように生かすかが鍵ですね。いずれにしても、レースはサバイバル戦、その日の調子が良い人が勝つでしょう。

−野口の動きを追っているのですか。
テサマ−言葉もわからないし、それは無理ですよ。(笑う)特に、野口を追っているわけではありませんが、レース結果ぐらいなものです。

−真夏のマラソンのマラソン調整知識、経験がありますか。
テサマ−ありませんが、暑さ対策を完璧にやらないと自滅しますね。レース当日までいかに身体に疲労を極力少なくすることが「鍵」でしょうか。

−がんばってください。

 
(08年月刊陸上競技4月号掲載)
(望月次朗)

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