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女子100m、ジャマイカスプリンター、アメリカ勢を圧倒。史上初の上位独占

シェリー−アン・フレイザー(ジャマイカ、21歳)は、昨年まで11秒31の並みのスプリンターだったが、短期間に大バケした異色選手だ。五輪決勝で10秒78の好記録で2位以下に3mの大差をつけて優勝。世界を驚かした。ジャマイカスプリンター3人娘らの活躍の兆候は、6月末のジャマイカ選手権の結果に見られる。このとき10秒80でケロン・スチュワート(24歳)が優勝。2位のフレイザーが10秒85、シャロン・シンプソン(24歳)が10秒87、4位に大阪世界選手権2冠のヴェロニカ・キャンベル(26歳)が10秒88で入った激戦だった。五輪前から、スプリントはジャマイカとアメリカ選手の間での熾烈なメダル争いになると予測された。ところが、五輪決勝でスチュワート、シンプソンらの2人が10秒98の同タイムで珍しく2位の同着。ジャマイカ3選手が、100mで上位独占したのは史上初めての快挙だった。

フレイザーは「ホント!こんなことがあるかしら!結果が信じられない。スタートは最高の飛び出しだった。後は全力疾走。ゴールの瞬間、シャロン、ケロンの姿が視界に入ってきた。とても五輪出場なんて夢だった。五輪出場だけでも名誉なこと。正直言って、レースごとにベストを尽くすことを心がけた結果です」と。ゴール直後、トラックで躍り上がって喜んだ。五輪の年に急激な成長を示して、一挙に、頂点に上り詰めた天才的な幸運児だ。2位のシャロンは長い故障の末今年復帰した。ケロンはアメリカ留学で素質を伸ばしてきた。

いずれも国内の「Primary Champs」(注:ジャマイカの陸上競技全国大会)で裸足で走ってきた。

キングストン生まれだが、アサファ・パウエルの出身地に近い、首都から北へ50kmのウォーターハウスで成長。多くのジャマイカ選手の背景がそうであるように、両親の強い薦めがあって陸上競技を始めている。元スプリンターの母親、マキネ・シンプソンは、長男オマールを妊娠したため競技を断念。彼女の夢を娘のシェリー−アンニに託してバックアップしてきた。家庭は貧しかったが「わたしがまだ無名のころ、母親がすべての面でサポートしてくれたので競技を続けることができました。この優勝の喜びを母親と分けあいたい。母親が最も喜んでくれるでしょう」

現アサファ・パウエルのコーチ、ステファン・フランシスに一時期コーチを受けたこともある。

ジャマイカ女子スプリンターは、80年五輪の200mで3位になったマリエーヌ・オッティが先駆者として登場以来、100〜400mでグレイス・ジャクソン、ジュリエット・カスバート、テンヤ・ローレンス、デオン・へニングス(400mHで優勝)、ロライン・グラハムのメダリストを輩出している。ジャマイカ選手の五輪優勝は、半世紀前のロンドン、ヘルシンキ五輪で活躍した不滅の「偉大な4人」と呼ばれる4x400m優勝以外、ドン・クォーリーの76年五輪200m優勝が唯一の金メダルだ。ベン・ジョンソン(カナダ)、クリシティーヌ・リンフォード(英国)、ドノバン・ベイリー(カナダ)らの世界的なスプリンターのルーツはジャマイカにある。なぜか、不思議と生粋のジャマイカ選手の五輪活躍が半世紀に及ぶ長期にわたって沈滞していた。その積もりにつもった鬱積が北京五輪で「ボルト効果」によってふっ切れ、名実共に「スプリンター王国」になったと言えようか。

 
(08年月刊陸上競技10月号掲載)
(望月次朗)

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