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ロンドンマラソン 修羅場を潜った佐藤復活か、今季、日本人初の9分台で8位

佐藤敦之(中国電力、33歳)は、アテネ五輪3位のメブ・ケフレジギヒ(USA)と併走。最後の直線で振り切り、両手を横に広げうっすらと笑顔でゴールに飛び込んできた。佐藤のタイムは2時間9分16秒。今季、異常なまでに不振な日本男子マラソン唯一のサブ10だった。体調不良を押しての北京五輪出場、完走が精いっぱいだった最下位で76位。ショックでまともに走り始めたのは年が明けてからだという。一時は引退もちらりと脳裏を掠めたが、修羅場を潜り抜けて、「五輪の失敗は五輪で返す」を目標に掲げて次回五輪開催地のロンドンで再スタートを切った。坂口監督は、「日本男子マラソン復活の先鋒は佐藤だ」と断言。また、女子800m日本録保持者で昨季引退した美穂夫人(旧姓杉森)が同行して内助から支えた。

レース前、中国電力の坂口監督、佐藤、美穂夫人らの表情は明るかった。それがそのまま走りに通じた。心機一転した佐藤に、レース後の心境を聞いた。

−北京五輪後の初マラソンの感想は。
佐藤−とりあえず10分を切ることを目標、口にしていましたから、これでやっと達成できて良かったと思います。また、現実に結果を出したことによって、マラソンへのやる気もおき、うまい具合に一緒になってよかったと思います。

−第2グループは2時間7分台設定だが、レース展開はどうでしたか
佐藤−最初の5kmを14分30秒で入ったので、『このまま行ってくれればいいな〜!』、1km3分で刻んでくれると7分台で行ける!と望んでいたのですが・・・、そんなことを思っていた矢先、10kmを過ぎると、回りの選手からペースメーカーに『早すぎる!』と声が飛んだためか、ペースダウンしたのは残念でしたね。あのまま行ってくれたらよかったんですが、自分ひとりで飛び出すことはできないし、ここで大きな失敗は許されないので・・・みんなと同調しました(笑う)。32kmを過ぎて離されたが自分のペースで走れてうまくまとめることができて良かった。

−優勝タイムと、まだ4分の差がありますね。
佐藤−現状ではこんなものです。(苦笑)これからどのようにして差を詰めていけるか・・・、大きな課題が待っています。

−ワンジルらのレースをどう思いますか
佐藤−かれらはあれだけのスピードで思い切って突っ込んで行っても、大きく崩れることなく5分台で完走できる力を持っているんだな〜!と、世界トップ選手との距離を実感しました。これは凄いこと!ぼくもこれからはスピードで突っ込んでも、最後まで持つ走りができないことにはとても世界と対決できません。1年掛けて体力を取り戻す考えです。その中で、自分でできるレベル、目標がしっかり見えるようになると思います。

−世界のスピード化が恐ろしく早い
佐藤−そうですね。世界の高速マラソン化が早いですね。最初の10kmを28分30秒は、自分の中でもそれほど早いとは思いません。機会があれば、高速マラソンをやってみたいですね。日本ではこれだけ早く走れるペースメーカーはいないし、多分、上が『そんなものは早すぎる!』と言って止めるでしょう。現状では日本のレースではできないので海外に行くしかないでしょう。

−レースの駆け引きやワンジルなどはギアーを10段ぐらい持っている走り方をする。
佐藤−ホント!イーブンペースも大切なんですが、ギアー作るのはアップダウンをやって練習の『質』を高め、ギアーを数段持たなければ、海外レースの流れに対処できなくなってしまいます。練習も同じことをやっていたら、リフレッシュすることができません。チャレンジ精神は強く持っているつもりなので、新しい試みをどんどん取り入れて上を狙ってゆきます。

−世界のトップ選手からどんな刺激を受けましたか。
佐藤−日本ではマラソン選手はちやほやされがちですが、(笑いながら)ここにいると隅っこのほうに置かれる小さな存在でしかないのですね。この世界は実力がものを言います。世界の凄いプロ選手が真剣に戦う場所。肌で感じることは大きな刺激ですね。かれらのように「陽」のあたるところに出たい羨望な気持ちもあります。世界のレベルと日本の環境のギャップが大きいですね。

−日本の環境は甘い?
佐藤−現状では日本トップ選手のレベルでは、海外トップ選手と対等に戦える実力がありません。環境に恵まれすぎて、日本の環境の中にいると実感として海外のことがなかなかわかりません。また、居心地がいいのでリスクを背負ってまでも、海外に出てイメージを悪くするよりは、ぬるま湯につかっていたほうが安全だし、楽しくやって行けると思います。しかし、世界トップを目指す選手には、精神的にあまりいい環境とは言い切れません。それでは海外選手と世界選手権、五輪ではまともに戦えるチャンスは少ないと思います。目的意識をどこにおくか、大きな大会での戦い方が違ってきますね。緒方さんもここでケチョンケチョンにやられても、その後見違えるようないい走りをしてきました。時には、そのぐらい叩かれることも必要かなとも思います。
佐藤−刺戟されたと言えば、月陸に掲載されたマーティン・レルの練習プログラムを読んで衝撃を受けて(笑う)あの夜は寝ることができません。かなりショックでした。あの2400mぐらいの高地であれだけ高い質と量を消化する能力に驚きましたね。ケニア人だからと言って才能だけではなく、才能にさらに猛練習で鍛錬した結果だということが理解できました。

−もう一度マラソンをやろうとした根拠はなんですか。
佐藤−あの北京五輪の惨敗のまま競技を終えたら、あれだけで人生なんか『負け犬』のような気がしてきたんです。あのまま引き下がることは、断じてできません!誰の責任でもありませんが、北京は不完全燃焼もいいところです。もう一度五輪に向けて挑戦したい意欲、いわば「五輪の借りは五輪で返す」、負けん気がフツフツ湧き出るように感じ始めたからです。内面から「グ〜ン」とくるものがなければ。上辺だけで走れるようなものではありません。やはり、体調を崩したことも大きな原因ですが、北京ではすべての面でまったく納得が行かなかったので、考えれば考えるほど悔しかったですね。

−悔しさを「バネ」に!
佐藤−それがもっとも大きな動機です。練習、レースでいつもなら勝っていた選手に負けている自分が悔しかった。悔しく感じるようになって、少しずつながら走れるようになってここまできたのです。もうひとつは、日本男子マラソンの不振を言われて久しいのですが、マラソン選手として自分がなんとかして見返してやりたいという反発を持っています。それを言われるのも嫌で悔しいですし、そんな状況をひっくるめて、少しずつながらもやる気が起きたのが現状です。

−練習再開はいつごろからですか。
佐藤−最下位の屈辱を味わって、もう、マラソンを走れないかと思った時期もあります。ホント!年明けまで走れなかったです。年が明けてから少しずつですが走れるようになっても、やはり北京を思い出すのは嫌でしたね。走りたい気持ちがあっても、練習をやっていないので負けてもしょうがないのですが、いざレースに出場して負けるのは悔しかったです。まだ、負けん気が残っていました。

−レース前から表情も明るかった。自信があったような印象ですが・・・。
佐藤−そうですね。監督からも大丈夫だ!といわれてきたし、かなり新しい試みを取り上げてきました。北京惨敗の反省点をいろんな角度からチェックを入れて分析したのですが、これまで練習をやりすぎる傾向にあったのです。練習の割に結果が伴わない部分があるので、今回は練習を少し押えて、ホント!今までの練習と比較するとやっていません。今回は700km程度ですが、量は少なくとも継続することによって『力』になると考えたので、その代わり『質』は落とさないように心がけてきました。

―例えば。
佐藤−スピード練習をひとりで行うと、モチベーションがなかなか上がりにくく、つまらないことで妥協してしまうので、あえてハーフの試合に何度も出場して厳しい状況において走り、かといって試合後に休めば継続にならないので、中1日ぐらいで練習を再開するようにしたんです。意識して『質』を高め、疲れたと思えば休んで少しずつ体調を戻してから練習量をあげればよいと考えています。(注:復帰第1戦は、2月1日、丸亀ハーフで62分24秒、姫路10マイルを24分57秒で2位、3月15日、全日本実業団ハーフ選手権は61分29秒で2位だった)

−その他の新しい試みは。
佐藤−今回は40kmを一度もやっていないので、従来の調整パターンとはまったく違っています。1回だけ35kmのクロカンを走っただけ。あとは30km程度です。もちろん、距離を走っていない分だけスタミナがどこまで持つか、多少の不安もありましたが、体調を優先してやることが大事と考えました。それでマラソンを走れなくてもダメージはそれほど残らないし、秋のマラソンまでには時間があるので土台はしっかり作れると考えて出場を決めました。もし、ロンドンで失敗してもトラックに出場してスピードをつけることも考えてきました。ハーフならかなり場数も踏めるし、トラックで自己記録更新を意識して走ります。

−新しい調整法がレースにどう活きましたか
佐藤−それほど大きな変化はなかったように感じます。30km過ぎてもう少し押してゆくところが弱かったと思いますが、その点は原因を良くわかっているので次回の準備のとき対策を考えてゆけばよい点だと思っています。やっぱり、距離走でも『量』より『質』を高めることが大切なように思います。ひとつには、『質』を高める練習をすることによって、身体に及ぼすダメージ少ない。35kmとか、いろんなパターンを組んでやるほうがいいと思いますね。これまでの練習パターンにこだわらないで、単に30km走でも、スピードで飛ばして「質」を上げて走るとか、率先してよいものをどんどん取入れて行きたいと思います。

−五輪の修羅場を潜って復活を遂げた、ニュー佐藤ですね
佐藤−五輪前後のプレッシャー、いろんなことがありましたが、あの修羅場を越えて再びやる気が湧き出し、新しい試みでここまで回復してきました。もし、体力がしっかり元に戻った状態になったときは、今まで以上に良いものが出せる自信があります。あの異常な興奮に包まれた『イケ!イケ!』状態から、一転、どん底を見てきました。そして、再び走れる状態に復活してきたんですから。これでも思ったより早い時期・・・、実は、今秋ごろになれば走れるだろうと思っていたんですが、意外に早くもここまで回復してきた感覚を持てて大変にうれしいです。

佐藤−監督から『お前ならどんな練習でも8、9分台はいつでも行ける!』といわれて結構心強かったです。
−監督は『ロンドン五輪でやれるのは佐藤しかいない!』と言い切っています。
佐藤−エッ!そうですか!?

−ベルリン世界選手権に出場予定は。
佐藤−もちろん、出場します。最終的な目標はロンドン五輪で活躍することです。海外の大きなレースに出場して経験を重ねることが大事です。このような大会で上位争いする選手が、アテネ五輪優勝者のバルディーニらのように、やはり五輪で活躍する傾向にあるので、海外のビッグレースに出場して世界のトップ選手らと対抗して走れるようなランナーになりたいと思います。がんばって海外レースで十分な経験をつめば、国内で走るとき気持ちの上で絶対に有利になると思います。ですから、極力海外レースに出場して、もまれるだけもまれたいな〜、と思います。

−奥さんの内助の功も大きくバックアップしましたか。
佐藤−一緒で良かったですよ。沿道でも応援してくれました。新婚旅行に行っていなかったので、連れてきていい走りを見せたかったんですよ。

坂口監督の指導で、佐藤夫妻らは次回ロンドン五輪に向けロンドン・マラソンで復活を果たして再スタートを切った。

 
(09年月刊陸上競技6月号掲載)
(望月次朗)

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