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ハイレがFIFA2002年WC抽選者に!

12月2日、ハイレ・アレム夫妻はエチオピアの首都アディス空港からケープタウンに飛び立った。

ハイレが2010年サッカーWC決勝大会試合組み合わせ抽選者に選ばれ、名誉ある6人の一人として招待を受けたからだ。

数週間前、ハイレがAlemuビルの最上階のHaile &Alem International の社長室でFIFAからの公式招待状を見せてくれた。

かれの反応は、「なんでオレがワールドカップ試合組み合わせの抽選しなけりゃあならないの?ッタク!今は忙しいし、ケープタウンに何日も滞在するなんて時間の無駄さ!意味ないよなあ。サッカーはそれほど好きじゃあないし。FIFAがなぜオレをえらんだかよく分かんない!これどう思う?」と、真顔で訊いてきた。

そこで、「多分、あんたがアトランタ、シドニー両五輪10000mで優勝した時、またはベルリンマラソンで世界新記録を2年連続樹立したとき以上に、アフリカ代表スポーツ選手としてペレ、ベッカムほかの大陸を代表するスポーツ選手と並んで抽選会場の壇上にいる映像が世界の隅々まで流れることは強烈なインパクトを与えると思うよ」とアドヴァイスをした。

「ホント!?」

それだけの反応でハイレはそのまま書類に目を落としたので会話は終わった。

その後、知り合いのBBCのTV、ユーロスポーツ局らの記者に情報を漏らすと、次から次へと祝福されてインタビューされていた。

数日後、国内新聞の1面に大々的に報道され、IAAFサイトにも掲載されるようになって、ハイレはようやく納得したようだが、どうも実感していない様子が面白い。

FIFAは太っ腹なことを見せて、招待状には、「・・・家族、友人同伴でも良い。できれば12月1日にケープタウンに・・・」と要望があったが、最終的に12月3日に飛んで、5日に帰国の予定だ。

ハイレはマラソン史上初の3分台に突入、2時間3分59秒の現マラソン世界記録保持者。

公称36歳と言いながらも彼自身ジョーダンっぽく「ことのよると40歳を過ぎているかも。でも、36歳と信じればそれでいいんだよ。もちろんロンドン五輪優勝狙いさ!」と笑い飛ばす。

ハイレを代表するエチオピア、ケニアらの走る発想と環境、日本のサラリーマン陸上部員の恵まれた状況と、単純比較は極端な飛躍であることは十分承知して・・・、世界の頂点に立っている男の1日のスケジュールは何らかの刺激になることを望んで簡単に記しておこう。

05:45 起床、紅茶とビスケットを食べる。

6時に裏山で単独2時間走。大きな石がゴロゴロある急な上下する山道。高地3000m以上になるとか。

08:30 シャワーを浴びて朝食。

09:00 朝食から携帯帯電話はひっきりなしになるが、基本的に電話を切るようなことは滅多にない。1995年世界選手権大会10000mで優勝した時の副賞のベンツで出勤。かなり古くなったと言いながらも、買い替える「必要なし!」と言って乗りまわしている。

高台の山から下りたところに、昨年から韓国製の「現代の車」のショールームがあるが、独占輸入元になりビジネスが軌道に乗ったので、4階建ての大きな輸入元本社建設を始めたばかり。工事現場に車を乗り入れて、約10分ほど簡単な指示を与えてから2km先の本社の社長室に入る。

通常、毎朝Alemu ビルの8階の社長室で、パートナーで奥さんのアレムと一緒に数人のディレクターらとミーティング、書類に目を落としながら絶え間なく掛ってくる電話に出る。

ここで12時過ぎまで仕事するのが日常だが、ハイレの友人ヤシンらが11時半ごろハイレを無理に引っ張り出して抽選会に着る民族衣装のショッピングに外出。面白いことにハイレの着るものは20年来のヤシンと言う友達に任せている。2年前、IAAF主催の「ガラ」に着るタキシード、靴のサイズまでヤシンがドゥバイで購入してきたのには驚いた。

ヤシンと一緒に、ハイレ注文の白い上下、ベストは金色に輝く派手なカラー、柄を選択、シューズなど購入、その合計金額がわずかの$75!!事務所まで帰りの車の中でヤシンが、「ハイレの服は$75ドル、ベッカムは一体何万ドルの服だろうか?」と言って大笑い。

次に床屋に向かうとき、長年のライバルのポール・タガートから電話が入った。床屋の所要時間は約15分で2ドル!

帰宅して昼食。

14時過ぎ、ポール・タガートがベイルートに行く途中とかでアデレ宅に昨夜一泊したとか、ケネニサ・ベケレの弟タリクも事務所に顔を出した。しばらくして、ポールはハイレ、アデレを誘ってケニア大使館に表敬訪問。アデレの大きな4x4の車でケニア大使館へ。

16:00 大使は不在だったが公使らが出迎えてくれ、30分間ほど雑談して退廷。ハイレは約束に大きく遅れ、ハイスピードで事務所に戻る。

16:20、ぼくはハイレと別れてシレシ、ディババらの練習風景を取材。(この練習インタビューなどは次の機会に報告したい)

ハイレは例によって、17時からたっぷり2時間半ジムで練習後、19時半までマッサージ。

19時半、ハイレは帰宅途中でたくさんの果物を買い込んだ。

帰宅して、例の注文した民族衣装を試着したのがこの写真。

ハイレは遅い夕食後、10時に2階の寝室に上がっていった。

12月3日、6時起床、1時間走を終えて7時に帰宅。フライトは8時55分。

15分でシャワーを浴びて車に飛び込んだ。座席に座ってクラッチペダルを踏んだ瞬間、ペダルは床についたままの状態で戻ってこない。慌てて車から降り、裏口の駐車場の急な階段を走って登りアレムのベンツに乗り換えた。

ハイレ宅には正面玄関は南、裏口は北と二つある。家は急斜面にあるので、南から北口に行くのは急な階段を50m以上登らなければならない。高地2400m以上で走るのは、平地から来た者にとってかなり呼吸がきつくなる。

ハイレ宅から眼下に見える空港まで5kmか?アディス空港はぼくの知る限り、市内から最も近距離にあるので至極便利だ。チェックインを済ませると、ハイレは再び2km先の空港から事務所に向かった。時計はすでに7時35分を過ぎている。「チェックインさえ済ませば、少しぐらい飛行機は待ってくるよ!」と平然たるもの。ディレクターらとミーティングを行い、指示、チェックにサインした後、再び友人ヤシンの運転する車で飛行場に向かった。

 

(望月次朗)

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