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エチオピアの急激な躍進の背景


現状はケニアが質と量でエチオピアに一歩先んじている様子だが、今年に入ってエチオピアの躍進ぶりが凄い。

1月3日、中国福建省厦門市でフェイサ・リレサ(19歳)が2時間08分47秒で優勝。2位にネガリ・テルファ(26歳)が2時間9分40秒で入った。続く、1月17日のヒューストンでテショメ・ゲラナが2時間7分37秒で優勝。上位1,2,4位をエチオピアランナーが独占。その1週間後、ドゥバイではハイレ・ゲブレセラシエ(36歳)の世界記録更新は期待外れに終わって、かれにとって極めて平凡な2時間6分9秒で3連覇を達成した。しかし、2位のチャラ・デチャセ(25歳)が2時間6分33秒、3位のエシェツ・ウェンディム(24歳)が2時間6分46秒で上位3位を独占。ハイレに引っ張られていずれも自己記録を大幅に更新した。このレースで男女ともトップテンに7人のエチオピアランナーがそれぞれ占めた。一方、女子も男子同様福建省厦門市でデアツデ・バヤサ(22歳)が2時間28分53秒で優勝。ヒューストンでテイバ・エルケソ(27歳)が2時間23分53秒の自己新記録で圧勝。ドゥバイでマミツ・ダスカ(26歳)が2時間24分19秒。昨年バーミンガムで開催されたハーフマラソン世界選手権で3位になったアデル・ケベデ(19歳)が初マラソンで2時間24分26秒の2位。また、大阪ではアマネ・ゴべナ(23歳)が冷静なレース運びで2位以下を振り切って2時間25分14秒で優勝。びわ湖マラソンでも、ベルリン世界選手権4位の実力者、イエマネ・ツエガエ(24歳)が後半雨中の中を独走して圧勝。いずれにしても、今年の男女エチオピアマラソン選手は、新年から世界各地で驚異的活躍が目覚ましい。ケニア選手に匹敵するマラソン選手の質と数の著しい成長の背景を考えてみた。

昨春はケニア、秋はエチオピア勢の活躍

昨年、恒例の欧米の春マラソンは、ケニア勢らの好記録続出で幕を開けた。4月5日、ロッテルダムでは、それほど名前を知られていないダンカン・キベット、ジェームス・クワンバイらが競って、予想外な歴代3位の2時間4分27秒のアフリカ新記録の同タイムで1,2位。3位にはアベル・キルイがはいり2時間5分4秒の好記録を叩き出した。同じ日、パリでヴィンセント・キプルトが2時間5分47秒の大会新記録で優勝。その2週間後のロンドンで、サミュエル・ワンジルが2時間5分10秒で優勝。春先の世界の主要大会はケニア勢のほぼ独占状態だった。マーティン・レル、ロバート・チェルイヨット、パトリック・イヴティらのベテランが故障、不調で世代交代を囁かれたが、控えのケニア選手の潜在能力、層の厚さは圧巻だ。キルイは余勢をかって真夏のレースを2時間6分54秒で世界選手権を制し、2位もエマニュエル・ムタイが来た。昨秋のケニア勢はワンジルがシカゴを2時間5分41秒で優勝。フランクフルトでギルバート・キルワが2時間6分13秒で優勝した以外、それほど目立った記録を出していない。逆に、昨秋はエチオピア勢の活躍がわずかに優勢だった。ハイレがベルリンで2時間6分8秒の独走3連覇。ロンドンで腹痛を起こしながら2時間5分20秒の自己新で2位、世界選手権でも腹痛が起きて3位になったツガイ・ケベデが、福岡で国内初の2時間5分18秒の自己新記録で2連覇を果たした。ケベデは世界新記録に「一歩だ!」と公言して勢いを見せた。これらの一連の結果は、ケニアに遅れること約15年、閉鎖的なエチオピアに外部の独立プロ育成システムが実を結び始めた証なのだ。

独立プロランナー育成システム設立

ダグラス・ワキウリが87年ローマ世界選手権のマラソンで優勝。88年ソウル五輪で2位になって本国の長距離陣を刺激したのが、そもそもケニアマラソンの契機だった。続いてアメリカ留学、3000m障害からマラソンに転向したイブラヒム・フサインが、ボストン、NYマラソンで大活躍。かれの獲得賞金が国内で大きな話題になった。しかし、当時のケニアでマラソンの知識、指導者は皆無だった。93年世界選手権男子10000mでハイレに負けて2位になったモーゼス・タヌイが、ガブリエラ・ロザ(イタリア)にマラソンコーチを要請、94年から本格的にマラソン転向した。ロザは長距離メッカのケニア西部のエルドレッド市にキャンプ地を設立。個人の投資で本格的なマラソン育成プランを開始したパイオニア。同じ頃、テグラ・ラループ、ジョイス・チェプチュンバらの女性ランナーは、ドイツでドイツ人コーチの指導を受けて成長した。このアイデアは、市場が拡大したマラソンブームに便乗して大成功。続いて、ポール・タガートが世界新記録を樹立。マーティン・レル、キベット、クワンバイらと現在に続いている。

しかし、半世紀も前に活躍したアベベ・ビキラをマラソン「開祖」とするエチオピアは、ウォルデ・マモ、ミルーズ・イフター(モスクワ五輪5000,10000m2冠)、ベライネ・デンサモ、アベベ・メコネンらの名選手を輩出、マラソン伝統を継承してきたが、長い間、メンギス独裁政権(1977-1991年)が続き、保守的で閉鎖的な政策がケニアと比較して近代化が遅れる結果になった。

ロードレース市場拡大需要と供給

マラソンで一時代を築いたビキラ、デンシモ、メコネン、アベベらは、トラック経験なしで成功したランナーだ。最近、この伝統に復活の兆しが見える。ケベデらの若手選手は、先輩のハイレらと違いマラソン一本に絞る傾向が著しい。一般的に、陸上競技ビジネスは相次ぐ大物スプリンターのドーピングスキャンダルでダメージが大きく、世界的な傾向として10年前からかなり縮小された斜陽産業。トラックはケネニサ・ベケレ兄弟のようなごく一部のトップ選手だけが稼げる小さな市場だと言えよう。5000mで13分、10000mで27分そこそこの選手は、欧米のトップレベルの競技会ではアフリカ選手が飽和状態のため、タダでも出場を断られる厳しい現状だ。女子の場合も状況は変わらない。ティルネシュ・ディババ、メサレット・ディファー、メサレット・メルカム、ヴィヴィアン・チェルイヨット、リネット・マサイらが「おいしい」ところを完全独占しているのが現状である。これらの堅固な一角を崩して、少ないチャンスでそれなりの報酬を期待するのは非常に難しい。ところが、今世紀に入る前から世界的なジョギングブームで世界各地のロードレースが無数に開催されるようになった。ジョギングブームは、町おこし、健康、エコ、ライフスタイルなど、さまざまな形で広範囲に拡大されてきた。世界では10km、15km、ハーフマラソン、フルマラソンが無数に開催されている。遅ればせながら東京マラソンが大成功、大阪やほかの都市でも始まろうとしている。新しいロードレース市場は、需要と供給のバランスのとれたプロ活動の存続ができるようになった。しかし、このあおりをもろに受けて欧州のクロカンは大きく衰退し次々に閉鎖。世界選手権もスポンサー探しが難しく、今年を最後に隔年開催に縮小されるようになった。これも時代の流れと言えよう。

マラソンは貧しい者のスポーツ

エチオピア選手が、なぜ長距離やマラソンに強いのか。語弊が生じることを覚悟で短く答えるならば、高地民族特有の身体能力と非車社会の出身者であることが重要なファクターであると思う。先進国の科学的な情報、練習、環境、用具など、格段の進歩を遂げているものの、基本的な身体能力「素材」そのものが劣化している傾向からみて、多くは望めないだろう。近代高速マラソンは、高地民族の身体能力と高いモチベーション(明確な目的意思)でさらに加速する傾向にある。

車社会の日常生活では、これまで以上に足を使わなくなり、脚の自然「退化」は避けられない。先進国の長距離、マラソンが世界のトップレベルから後退して久しいが、その最大の衰退現象は脚力の退化とモチベーションの欠如に深い根拠があるだろうと思う。また、先進国の若者の成長過程環境は、目の前のインターネット、ゲームなど様々な甘い「誘惑」にあまりにも曝されている。習い事遊びも多い。走ることが、限られた少ない生きる手段ではない。「飢餓感」など到底ありえないからだ。北欧のフィンランド、スウェーデンの例をあげてみよう。この2カ国は、人口と比較すると国土が非常に広い。これらの国で車の少なかった時代、人は徒歩とスキーを多用したが。60年代までフィンランドのマラソン選手はたびたび来日、日本選手と好レースを演じて一世を風靡したが、80年代前半で見る影もなく急速に衰退した。次に、南欧のイタリア、ポルトガル、スペイン、メキシコ、そして日本も例外にもれなく、往年の面影は風前の灯になってきた。日本男子マラソンの衰退は激しく、高速化する世界と日本のギャップは年ごとに大きく広がり、この傾向は一向に止まりそうにもない。昨季、2時間10分を切った日本選手がわずかに佐藤俊之(中国電力)一人の寂しさ。このまま衰退を続けるなら、近い将来、男子マラソンTV放映の危機に立たされたと言っても過言ではなかろう。逆に、過去15年間でエチオピア、ケニアらのアフリカ勢がトラック、ロード、マラソンランナーの質、量ともに世界の頂点に君臨するようになった。

ボクシングは、「貧しい者のスポーツ」と言われる。それはそのままマラソンに当てはまると思う。単調で長い距離に耐える脚力と忍耐力の強さが必要なことは言うまでもない。

エチオピアは東には砂漠があり、国の大部分が隆起した高地と険しい山々に囲まれていて、大自然が人の力をいまだに拒んでいる環境が存在している。最近、中国政府の援助で主要道路建設が徐々に広がっているが、これも幹線だけでここから一歩離れると、交通手段は徒歩か馬の背に依存しなければならない。地方の大きな町でも電気、水道、井戸さえもなく、8000万人の国民の多くが文明の恩恵が少ない生活をしている世界でも最貧国の一つだ。ハイレは片道10kmの道を通学したとか。バルセロナ五輪男子5000m3位のフェタ・バヤサに出身地を訊いた時、「おれの村は地図にも載っていない。バスから降りてから徒歩で丸2日掛る辺境の地だ」と説明してくれた。バヤサだけが特別ではない。エチオピア選手は国内最大のオロミエ州出身者の選手が多い。あのビキラ・アベベ、ウォルデ・マモ、ハイレ、ベケレ兄弟、ケベデ、ツル、ディファー、ディババ姉妹らは、いずれも幹線道路から離れた貧しい寒村出身の選手だ。かれらは子供のころから高地で生まれ育ち、自然環境で「脚」を使って生活、遊びながら自然に鍛えてきた。これがエチオピア、ケニア長距離選手の才能と言われる「素材」だ。前述の選手たちは、学校で走り始めたことがそもそものきっかけと言う。大多数のエチオピア、ケニアの人たちに生活の選択チャンスは非常に狭い。わずかなチャンスに賭けるハングリー精神は、あとを望めない環境から抜ける努力を惜しまない。単純で長い距離を走るランナーは、キツイ高地練習に耐えられる強靭な肉体、極限までプッシュできる精神力が不可欠のものであることは言うまでもないからだ。

州政策による究極の長距離育成システム

エチオピア陸上界は、伝統的に警察、刑務所、陸軍、空軍、銀行、セメント工場らのクラブ活動が、日本の実業団と似た形で基本的に競い合っている。ビキラは皇帝の近衛兵、ハイレは警察、ツルも警察、ベケレはムガーセメント会社らに所属してグループ練習から育った。国内大会ではこれらのクラブ代表らが争い、アフリカ、世界選手権、五輪など国の代表になると、陸連主催のナショナルコーチのもとで合宿をする。もちろん、現在もこのシステムが存在するが、国内実業団クラブの影響力は次第に薄くなってきた。これまで長い間続いてきた社会主義の閉鎖的な陸連の態度が軟化、外部の資本によって運営される独立育成クラブを認可するようになってきた。最大は福岡2連覇したケベデ、ドゥバイで2,3,4位の選手らが所属する男女総勢約40人のランナーを抱えるクラブだ。基本的に全員が合宿生活。ヘッドコーチはゲタネ・テサマ(42歳)で、徹底した指導を行っている。かれはエチオピアからオランダに亡命した元マラソン選手。オランダ国籍を獲得、99年自動車事故で競技を断念後、幼馴染の奥さんのゲテ・ワミにマラソン転向を薦めて成功した経緯の持ち主だ。かれ自身は元ロード世界記録保持者だったヨス・ヘルメンス(オランダ)のGrobal Sports Communication社(略してG・S・C)の社員。かれは一人でコーチ、キャンプ(合宿場)の運営、選手を練習場まで連れてゆくバス運転手、マネージャーなどを兼ねる忙しい男だ。短期間指導で妻のワミを第1回5大マラソン年間総合優勝達成に導いた。自らの経験と伝統的なグループ練習の成果で北京五輪マラソン3位のケベデ、4位デリバ・メルガ(現在は別のクラブ)、を育てた実績を持つ。

テサマはマラソン練習にトラック練習は必要ではない。「時間の無駄だ!」とまで言う。森の中、急な坂道など徹底した自然の不整地で、ケベデ、シドニー五輪マラソン3位のトラらが先頭で大きな集団を引っ張って走る。すべての練習は、基本的にグループで走る。ロード練習は週に1回。特別なマラソン練習はしていないと言うし、高地以外の練習環境で強くなることは不可能とまで断言する。

エチオピアで「ハイレに続け!」と、こんな合言葉があるとは思えないが、ハイレは20年のスパンでトラックからマラソンに距離を伸ばし、これまで26回の世界新記録を更新、現役マラソン世界記録保持者のライフスタイルは、若手選手の羨望の理想像。ハイレの巨大な邸宅は、アディスを眼下一望に睥睨できる山の中腹にデンと構えている。市内に3棟のビルを所有、銀行頭取、ホテル、現代車の輸入元など多角的なビジネスマンとしても裸一貫から大成功。若手へ無言のモチベーションを与えているのは言うまでないこと。ハイレだけではない。ベケレはホテル、スポーツセンター事業に乗り出し、アベラ、ツル、ディババ、ワミらもホテル、レストラン経営など、陸上競技選手がスポーツで獲得した金を確かな事業に投資している。

09年12月初め、歴代の数々の名選手を輩出したオロミア州が、新たな「州政策」として、2000人のエリート選手を12か所の合宿所で育てる選手育成「投資」プランを華々しく発表した。その会場でハイレ、ベケレ、ディババらと一緒に出席、長距離、マラソンの宝庫オロミア州の雄大な抱負を感じとった。

 
(10年月刊陸上競技4月号掲載)
(望月次朗)

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