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村上、フィンランド白夜で思考錯誤の体験

6月30日、ヘルシンキ郊外のエスポーと言う町の大会に出場した村上幸史(スズキ)は、6投目に73.74mを投げて4位に終わった。4日前のクオルタネ大会は76.15mで8位。よほどフィンランド遠征結果がこたえたのだろうか、「クッソー!惨敗だ!」と、澄み切った紺碧の空、自然がいっぱいの環境とは裏腹に、村上は心底から悔しさ、もどかしさを叩きつけるように吐き出した。

今回のやり投げが国技と呼ばれる「やり投げ王国」フィンランド武者修行遠征は、村上自身の強い希望で実現した。

そもそも村上がベルリン世界選手権で堂々3位になって世界をアッと驚かせて以来、かれの世界観が大きく拡大してきた。アジア大会、世界選手権、ロンドン五輪へ向けての長期的で明確なビジョン、ターゲットが確立してきたことはごく自然な成り行きだ。その踏み出しの一歩が、やり投げ王国フィンランド国内の競技会出場で世界のトップ選手と一緒に交わり「刺激」をうけるための遠征だった。それは結果、記録云々よりも自分の目、肌で感じることが絶対に必要だと確信した行動。かれ自身、「貴重な体験だった」と言う。

とはいえ、不慣れな王国遠征では、予想以上に現実の壁は厚く、手厳しいショックをまともに受けて帰国した。かれとクオルタネ、エスポー市に同行、2大会を挟んで白夜の中、フィンランドやり投げ大会を取材。次回アジア大会、世界選手権、究極のターゲットを2年後の五輪に置いた村上選手の心境、ビジョンをフランクに話してくれた。

世界選手権決勝大会のようなハイレベル

フィンランドは欧州で7番目に大きな国だが人口は520万人と小国だ。ジャン・シベリウスの名曲『フィンランディア』、そのものをイメージする国土の大半は平たんな地形でどこまでも続く森と点在する湖。世界でも数少ない原始からの自然豊かな国土が大部分を占めている。首都のヘルシンキから350km西北にある人口数1000人の小さなクオルタネ村の大きな湖の湖畔に「クオルタネ・スポーツ・リゾート」がある。ここは広大な松林の自然環境の敷地内に、陸上競技場、ハンマー、砲丸投げなどの投躑練習場、室内練習場、水泳、テニス、室内アイスホッケー、ホテル、宿泊施設、サウナなどが点在する。また、世界陸連やり投げハイパーフォーマンス・トレーニング・センターと公認された練習場でもある。

村上は渡辺辰彦マネージャー、アメリカ在のコーディネーター岡本英司氏とのトリオで遠征。6月26日のクオルタネから開始する30年以上の歴史ある5国際大会シリーズ(3戦には実業団の中長距離選手が参戦する)の最初の2大会に出場した。多くの種目では、国内選手と隣国選手が参加するささやかな国際大会だが、ことやり投げのレベルは半端ではない。五輪2連覇、世界選手権優勝者のアンドレアス・トルキルドセン(ノルウェー、PBは91.59m)、かれの良きライヴァルで地元のスーパースター、テロ・ピトカマキ(PB 91.53m)、ティーム・ウィルカラ(PB 87.23m)らを筆頭に、国内トップ選手、ここで合宿中の前アジア大会優勝した韓国の朴財明(PB 83.99m)らの9選手が出場。村上の自己記録83.10mは参加選手中、最下位だった。初戦後、遠征目的や大会の印象を聞いた。


―世界の強豪が集結してやり投げ王国で戦った印象はどうでしたか
村上―やはりフィンランドは国技がやり投げ。参加メンバーのレベルの高さ、観客の目も、反応も凄いものですね。(注:好天に恵まれ観客数はこの日4000人とか。ほとんどの入場者はやり投げに興味を持ち、入場券購入に長蛇の列ができた)このメンバーは世界選手権決勝並み。レベルの高さにショックを受けました。

―やり投げの注目度が凄いですね。
村上―現世界記録保持者ヤン・ズレズニー(チェコ)が、始球式ならず「始投式」を行ってやり投げ競技会をスタート。こんなの初めて見ました。さすがやり投げが国技だと言われるだけあって大人気。観客からのシビアな視線、期待を肌で感じますね。フィンランドの選手やアンドレアスらはこうした環境の中で育ち、鍛えられていることが実感できました。

―「ムラカミはベルリン世界選手権で3位!」と、場内アナウンサーが紹介されましたね。
村上―そうですね。もう少しやれると思ったのですが甘かった。助走路がかなり硬いんですよ。硬いだけに反発は早く、こんなところで投げた経験がないので、ためができなく乗ってこないんですよ。こっちはどこもこんなに堅いんですかね。

―硬い助走路に慣れが必要ですか。
村上―柔軟なものの考え方も必要でしょうが、やっていればなれてくるケースもあるでしょう。そこから生まれる専門的な硬さに耐える筋力作りなど、自分なりの教材を作り修正を加えて行くんですかね。

―76・15m投げて9人中8位だった。
村上―結果は予想より悪かったんですが…、まあ、でもイイじゃあないですか。嫌な感じはありませんよ。(苦笑)競技以外に得るものは大きいと感じましたね。仲間と一緒のトライアル、投躑練習のような現場にしか存在しない非具体的ですが、目に見えないなにかを感じますね。この禅問答のような「なにか」ですが、これこそぼくは日ごろ必要だったと思うことです。これまでの国際試合では、勝負、記録にこだわり、精神的な余裕がなく到底経験できなかったことです。

―この遠征に備えて調整をしてきましたか
村上―いや、それは全くありません。勝敗や記録を目指してきたわけではありませんから。

―遠征の目的は。
村上―遠征目的は、ロンドン五輪でそれなりの結果を出すことを考えて逆算して考えました。すると、今年の目標はアジア大会優勝を挙げていますから、この時期になにをすることが最も大事かと考えた時、今回のフィンランド遠征が浮かび上がってきました。ぼく自身これまで海外遠征がなかったわけではありませんが、今までの海外経験はすべて大会出場が目的。世界選手権、五輪参加など、すべて陸連がスケジュール設定して、個人の自由や個人の目的意識で気軽に動くようなことは許されません。大きな国際大会で上位入賞しなければ、海外にこうして出るのもそれほど意味がないと思っていました。これまで投躑は、長距離選手と違って個人的な意思や希望で海外遠征などとても認められませんでした。しかし、ベルリン世界選手権の結果で状況が変わり、今回のような遠征が可能になりました。今回は記録や勝敗に執着しないで、やり投げが「国技」なんて国は世界にフィンランド以外にないですから、いろんなことを学ぶことができると期待してきました。地元選手ばかりではなく、ほかの海外選手ともじかに接し、闘いぶりなど肌で実際に感じることなど、そんなものなくてもイイ人もいるでしょうが、友好関係などを深めることがぼくにとって絶対に必要なことだと思っています。

―フィンランドにきたのは何度目ですか。
村上―10年ほど前に大学3年のころ遠征にきたのが最初で、2回目は05年の世界選手権に出場したときです。その世界選手権は68.39mで予選落ちしていますから、ここに来るたびにかなり手厳しくやられています。(苦笑)

―最初のクオルタネはそうそうたるメンバーだった。そこに調整なしにやってきたのはどんな意味がありますか。
村上―さすがやり投げ「王国」。出場した選手の顔触れはほぼ世界選手権決勝進出の常連メンバー。かれらとこうして同じ競技会に出場、少しは顔を知ってもらって挨拶程度だけでもイイ。次の大きな競技会で戦う機会に、気持ちの上で大きな親近、安心感を持てると思います。その微妙な精神的な余裕の有無は、大きな差だと思っています。知っているだけ、挨拶を気軽にかわすだけでも、メダル獲得に入り込む効果があると思います。アジア大会前、帰国してからフレッシュな刺激を糧にして、面白い考えが膨らむことを期待しています。今回の遠征で得た刺激、体験を通してなにが必要かじっくり試行錯誤して、本格的な冬季練習に入って、基礎から鍛えなおしてアジア大会に向かいます。

―アンドレアス・トルキルドセン、テロ・ピトカマキら90mの大台を投げた選手の印象は。
村上―これまで何度も試合で見たことがあったのですが、今回は気持ちの中で余裕を持ってじっくり観察することができました。身体も予想以上に大きく、体型も違うので簡単に比較はできないでしょうが、とにかくヤリの「初速」が早い!どのような動き、それに必要な筋力など諸々の要素によって初速のスピードは速くなるのか、その要因は何か、どのような筋力が必要なのか、それは面白い問題ですね。ヤリが遠くに飛ぶ物理的な要素は、「初速」のスピードにすべてが掛っています。また、ヤリの角度が驚くほど高いですね。これは今後深く研究しなければならないと思います。かれらはどんな状況でも85mをコンスタントに投げます。トルキルドセンが88.10m、ピトカマキが86.92mで1,2位を争いましたが、世界選手権、五輪では85mをコンスタントに投げることが上位進出の必至条件でしょう。

―同じようなことをトルキルドセンが言っていました。「(試合でかれのライバルと呼ばれる選手は)数試合連続して85mを超える選手。このような選手は一発引っかかると90mを投げる能力の持ち主。要注意だ!」と。
村上―そうでしょうね。実際、すべてのやり投げは水もの!簡単に5mの距離が出ますが、そこまで自力がないことには飛行距離は伸びない。

―ほとんどのトップ選手が専任コーチを帯同しているが、あなたはこうしたプロ専任コーチがいない。必要性はありませんか。
村上―日本はプロやり投げコーチはいないでしょう。ぼくは高校生から指導を受けてきた浜元一馬先生(今治明徳高、54歳)の指導法を変えるつもりは全くありません。10数年間一貫指導を受けてきた影響は大きく、ここまで「純国産」でやってきた意味は大きく、ここから育ってきたことは他では比較できない独特のものがあります。ぼくはコーチを受けることは、確認作業の連続だと思っています。練習できないことは試合ではできることはなく、コーチして貰うことはそこから精神的な感覚、暗示、ヒントなどを受けて修正して行くものだと思っています。

―南アで開催されたサッカーのワールドカップの日本戦を見たと思いますが、あなたがベルリン世界選手権で1投で予選通過、決勝での3位を決定した1投は、日本対デンマーク戦で本田選手、遠藤選手がFKで直接ゴール叩きこんだ瞬間と同じようなインパクトを日本陸上界に与えたと思いますが…。
村上―そんなこと比較は考えたことはありませんが、あのFKは凄かったですね。国中が熱くなった!これからロンドンまでやらなければならないことはたくさんあります。

―アジア大会のライバルは、やはりドーハで優勝した韓国の朴財明選手ですか。
村上―もちろんです。中国選手も地元開催ですから強くなってくるでしょう。ここでも朴は79.21mを投げています。ぼくの優勝ラインは83mを超えると思いますよ。やり投げだけではなく、走り幅跳び、三段跳びの韓国選手がクオルタネで長期合宿。今年のアジア大会、来年韓国で開催される世界選手権、ロンドンと目的は同じですね。来年の世界選手権、ロンドン五輪合宿もここでじっくり練習できたらイイですね。

フィンランドの夏、1日が最も長い季節。クオルタネの陽は23時にゆっくり湖の向こうに沈んで行くが、北極圏に近いため夜の帳が真っ暗に落ちるようなことはない。いわゆる「白夜」だ。数時間後にはまた陽が昇ってくる。

6月28日、主催者がロシア、ブラジル、フィンランド選手用に次回の大会地、350km南の首都ヘルシンキ郊外のエスポーに向けて提供したバスで同行した。延々と続くカラマツ、白樺の原始林、ときには湖畔を走る。エスポートの宿泊ホテルは、競技場に近く、大きな駅やショッピングモールが隣接したホテルだ。30日、まだまだ日が高い19時過ぎ、やり投げが開催された。前回4位になったアンティ・ルスカネン(PB 87.33m)、アリ・マニオ(PB 85.70m)らが出場したが、トップ選手はローザンヌDLに備えて欠場。村上のPBは4位だった。6回投げたが記録が伸びず6投目の73.74mで4位に終わった。

―エスポー大会で感じたことは。
村上―今日は6回投げてみたが記録が思ったように伸びなかった。力の差は歴然。世界のトップ選手に到底及ばない力の差を感じた惨敗です。世界との距離を実感しました。でも、ここで簡単にそれなりの結果を出すよりは、日本にいては絶対に味わえない屈辱にも近い惨敗経験をこの時期したことは良かったと思います。ここでの『惨敗』はイイ薬。この現実を避けることよりも、傷めつけられて、泥臭く地道な努力をしなければならないことを痛感しました。世界の壁は厚かった。それを正直に受け取り、決然と対処して行かなければなりません。そして、世界とどこでも勝負できる自信を築いて行かなければならない。

―ポジティブ思考から次が読めてきた。
村上―フィンランドは今回で3回目ですが、いずれもフィンランドの神様に翻弄され厳しい試練を託されたようなもの。試練の授かりは幸せだと受けとめています。この時期やらなければならないことが非常にたくさんあると言うことは、まだまだぼくのやり投げの限界が先にあると言うことです。

―アジア大会頑張ってください。

 
(10年月刊陸上競技8月号掲載)
(望月次朗)

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