ジョフリー・ムタイ
:1981年10月7日 コイバテック地方、リフトヴァレー地方
昨年のボストンマラソンで、非公式ながら2時間03分02秒の驚異的な世界新記録で優勝して、世界をアッと言わせた。それまではマイナーな大会での優勝経験はあるものの、主要レースで勝てず万年2位だったが、ボストンで大ブレークした。NYマラソンでも後半に圧倒的な力強い走りを見せ2時間05分05秒で優勝。10年ぶりに従来のコース記録2時間07分43秒を大幅に塗り替え、ケニア国内で史上最強選手と呼ばれている実力を証明した。ケニア陸連指定のロンドン五輪マラソン代表候補指定選手で、五輪代表を目指し今年もボストンマラソンに挑む。 東アフリカの中・長距離は、伝統的に「貧者のスポーツ」と言えよう。ケニア人ランナーもエチオピアと同様、都会出身者はほとんどいない。高層ビルの立ち並ぶ首都ナイロビから一歩離れると、この風景は一変する。電気や水道さえもひかれていない農村風景は、同じ国とは思えないほどの貧富の差を感じる。しかし、そんな農村にまで陸上競技選手のサクセスストーリーは語り継がれる。貧困からの脱出を夢見て、自力で這い上がってきた「ブッシュランナー」が多いのもその為だ。素朴で単に強くなりたいという頑強な信念は、強烈なハングリー精神を支えているといって良いだろう。ジョフリー・ムタイも同じような環境から「世界最強ランナー」、「King of Road」と呼ばれるまでになった。ムタイの「成功物語」は、まだ始まったばかりだ。 ジョフリー・ムタイは9人兄弟の長男。エルドレットの紡績工場に勤務していた父親が工場閉鎖で失業。学費支払いができずに中学校を退学。大好きなランニングをやめて、電柱用の木を切る仕事で家族を支えてきたが、再び仕事の合間に走り出した。ムタイは、「どんなに疲れても走ることはやめることはできなかった。走ることはオレの血の中にあるんだ」と言う。本格的な練習に打ち込んだのは、ケニア選手としては異例に遅い24歳だった。国内レースに出場したのは2年後の07年だ。ムタイは、「国内レースでジェラルド・マネージャーに会った。この時を境にオレの人生が変わってきた」と笑う。08年初めてモナコで開催された国際マラソンに出場。2時間12分40秒で初優勝を果たし、束の間の喜びを味わったが、北京五輪10000mトライアルで惨敗の9位。「失意のどん底に突き落とされた。悔しかったが力不足だったね。世界の頂点を目指すのはそんな簡単なことではない。練習なくして進歩はあり得ないことを自覚できた」と自分をいさめた。09年ベルリン世界選手権10000mトライアルでも、持ちタイムが良かったにもかかわらず、Bレースに出場させられてチャンスが潰れた。 ムタイがこれまでの不運の連続からようやく脱却できたのは、2時間7分50秒で優勝した09年アイントホーヘンでのレース。これをきっかけに世界の主要レースへの出場機会が増えた。2010年ロッテルダムで、マカウに続き2時間04分55秒で2位。地元開催のアフリカ選手権10000mを27分33秒83で3位。同年、雨中のベルリンでは急成長したマカウに手痛い連敗を喫したが2位。2011年ケニアクロカンで優勝すると、続く世界クロカンでも5位。長距離「万能ランナー」の実力を発揮した。「本来はクロカンが最も好きなレースだが、走るところが違うだけでトラック、マラソンも長い距離を走ることに変わりない。最近の傾向として、長距離ランナーが他の長距離レースを走らなくなった。オレはトラック、クロカン、ロードレースの全部に興味がある。専属コーチを持たないので、自分の経験に基づいて練習プログラムを作っているし、好きなレースに好きなように調整してレースに出ることができる。強制、束縛されない自由が好きなんだ」 難関コースのボストンで、2時間03分02秒の衝撃的タイムで優勝し、つづくNYでもコースレコードを2分以上短縮して圧勝するなど、確実に成長を続けるムタイを、ケニア長距離練習のメッカ、イテン町に在住する中・距離、マラソンコーチのレナト・カノヴァ(イタリア、67歳)は、「現在の世界最強のマラソンランナーは、疑いもなくジョフリー・ムタイだ。かれとほぼ同格なのがモーゼズ・モソップ」と断言する。 エルドレット市郊外に、男子800m現世界記録保持者のデヴィッド・ルディシャや元スター選手らが住む高級住宅街がある。その一画の真新しい2階建ての豪邸は、昨年12月にムタイが建てたものだ。そこのベランダで話を聞いた。 「今年の目標は、昨年のような記録が出るかどうかわからないが、まずはボストン連覇を果たすこと。それ相応の記録で勝てば、子供の頃からの夢だった五輪代表にグッと近づく。五輪出場が決まれば、他の選手も同じようなことを考えるだろうけど、優勝を狙うよ。五輪優勝の予想は、春マラソンが終わってから。代表が決まっていないのに五輪予想はないだろう。気が早すぎるよ。五輪は記録より勝つことが大事。複雑なタクティカルなレースになるだろうね。その時になって考えるよ。とにかくボストンの調整に全力を注ぐ。五輪選考から落ちないようにしないと。世界新記録をどこまで伸びるか、人のことは知らないが、オレは気象条件、ペーサーなどが良ければ2時間2分半まで行く自信があるね」と言葉こそ少ないが言葉の端に自信がう |
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