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モーゼズ・チェルイヨット・モソップ

:1985年7月17日生まれ。リフトヴァレー州、マラカウエット地域カマシア村出身。
:部族、カレンジン
:9人兄弟の4人目
:既婚、2005年ローザ・チェルイヨトと結婚。一人娘を設けたが離婚。2010年2010年ベルリンで優勝したフローレンス・キプラガットと結婚。娘アイシャを授かったが昨年12月離婚。
:練習本拠地を昨年12月イテンからンゴングに移転。
:身長177p、体重66q
:昨年12月ナイロビの郊外ンゴング町に移住。
:警察クラブ所属
:コーチはレナト・カノヴァ(67歳、イテン在のイタリア人)
:マネージャー グローバル・スポーツ・コミュニケーション(オランダ)
最高記録
:3000m 7分36秒88 2007年7月11日 ローザンヌ
:5000m 12分54秒46 2006年7月8日 サンドニ
:10000m 26分49秒55 2007年5月26日 ヘンゲロ
:ハーフ・マラソン59分20秒 2010年3月21日 ミラノ
:25000m 1時間12分25秒04(世界新記録) 2011年6月3日 ユージン
:30000m 1時間26分47秒04(世界新記録)2011年6月3日 ユージン
:マラソン 2時間03分06秒 2011年4月18日 ボストン
:マラソン 2時間05分37秒(大会新記録)2011年10月8日 シカゴ

ロッテルダムで2分台の世界新記録、五輪代表、五輪優勝を狙う

モソップの初マラソンは昨年のボストン。ジェフリー・ムタイに続き2時間03分06秒の衝撃的な記録で2位だった。2回目はシカゴで後半失速しながら2時間05分37秒の故サミュエル・ワンジルの記録を4秒上回るコース新記録で圧勝。本格的にマラソンに進出してわずか1年で世界トップランナーに急成長した。今最も勢いのあるランナーだ。

まだ入居して2ヶ月も経っていない、ンゴングに彼が構えた新居で今年の目標を聞くと、いきなり「ロッテルダムで2分台の世界新記録樹立でケニア五輪代表になること。五輪代表になれば五輪優勝、最低でもメダル獲得がターゲットだ。もし悪天候や故障、調整不足などで記録が思うように伸びなかった場合と、1週間後のロンドンで代表候補4選手が好記録を出すならば、おれの五輪出場チャンスは完全に無くなる。その時は、秋のベルリンで世界新記録に挑戦する計画だ。いずれのレースでも、あらゆる条件さえ整えれば2分台突入は難しくない」と自信満々で抱負を語った。

世界最強の実力者と言われるランナーは、昨年あの難関コースのボストンで2時間03分3秒の衝撃的な記録で優勝したジェフリー・ムタイだ。そのムタイと同格の実力を持つのは、初マラソンのボストンで4秒遅れの2時間03分6秒のモーゼズ・モソップであると言われる。最近のマラソン選手では珍しく5000m12分台、10000m26分台の本格的なスピードの持ち主だ。世代交代の激しいケニアでジュニア時代から走り続け、2005年ヘルシンキ世界選手権10000m3位、2007年世界クロカンでも2位と活躍。それらの経験を活かし、マラソンに参戦して今年で2年目だ。次回出場予定のロッテルダムが3回目のマラソンとなる。初マラソンとなったボストンは、ただ前を行くムタイについて行っただけと言うが、足の故障で調整不足だった2回目のシカゴでも、後半急速にペースダウンするものの2時間05分37秒の故サミュエル・ワンジルの記録を4秒上回るコース新記録で圧勝。本人はトラックやクロカンからマラソンへの転向に「カノヴァの指導はそれほど苦にならなかった。トラックよりマラソンは適している。」と言って笑う。

ニックネームは「Engine Kubwa」(スワヒリ語でBig Engine)。そう呼ばれるパワフルなランニングスタイルは写真にも現れる。2月に、ンゴング滞在中4度、環境が違うコースで練習を追うことができた。カノヴァコーチが週1回イテンからきて練習を直接見る以外は、イテンから同行してきた練習仲間とカノヴァが週ごとに作成する練習プログラムを消化する。

朝5時半の集合時間、外は真っ暗で肌寒い。荷台に座って車が走ると、さらに寒さが増した。震えながら10q先の「マサイ族の土地」に向かった。そこは半砂漠の乾いた大地。車は少ないが路上に小石が散乱しており、選手が走るだけでも砂ぼこりの舞い上がる乾いた土地だ。路上でキリンと遭遇するチャンスもある。軽いウォーミングアップを終えて7時前に30q走がスタート。7時を過ぎると日が昇る1700mの高地にはゆるい起伏がある。モソップは石がゴロゴロしている不整地をつま先で着地、そのまま突っ走る。カノヴァコーチはGPSを使って正確な距離を測り、1qごとに通過タイムを伝える。やがて30kmを1時間38分27秒で完走。午後5時から15qを46分43秒で走る「ブロック」と呼ばれる練習をフォローした。イテンから同行したモソップの練習仲間に7,8分台の選手がいるが相手にならない。コーチは「このタイムで走れるのは、世界中でモソップとムタイだけだろう」と胸を張った。

昨年6月3日、モソップはプレフォンティーン・クラシックで、30年間瀬古利彦が持っていた30000m世界記録を2分半も短縮する1時間26分47秒の世界新記録を樹立。25000m通過記録も、瀬古の持つ世界記録を1分短縮する1時間12分25秒の世界記録を樹立した。

初めてのマラソンがボストンだったので、あの程度の起伏が難コースと言われてもそれほど気にならなかった。2度目のシカゴは故障上がりで、練習をまともにできたのは3週間足らず。完全に調整不足だった。後半スピードが落ちたのも当然だ。モソップは、「これまでタイトルとは縁がなかったが、トラックの30000mの世界新記録やシカゴで優勝して初めて勝った喜びを味わった。楽しいね(笑)3度目のマラソンとなる次回のロッテルダムは、五輪代表権が掛かっているので失敗ができない。レースまで故障なく順調に練習を消化できて天候に恵まれれば、2分台の真ん中ぐらいのタイムで走れる自信がある。僕ら世代のランナーにとって、偉大なポール・テルガトやハイレら、先駆者のイメージや記録は完全に過去のもの。それをワンランク越したところで勝負や記録にこだわっているのが現状。ロッテルダムで3分の壁を破る自信はあるが、それ以上はどこまで行けるかわからない。北京五輪出場を逃して悔しい思いをした。五輪代表になって優勝を狙う。五輪優勝の行方はケニア勢がレースの主導権をコントロールして優勝するだろう。」と結んだ。

 
(2012年月刊陸上競技4月号掲載)
(望月次朗)

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