史上最強のマラソンランナー
ジムで延々2時間以上のワークアウト 週2回の 「目先が変わったトレーニング」 ケニア西部のエルドレットは、人口約30万の国内4番目にあたる大きな町だ。リフトバレーの標高2200mの高原地帯に肥沃の広大な農地が広がっている。この一帯で陸上競技以外のスポーツはほとんど目にしたことはない。町は自他ともに認める中長距離・マラソンのメッカ≠ナ、走る伝統が深く根を下ろしている。「オリンピック栄誉賞」を受賞したレジェンドのキプチョゲ・ケイノ(78歳/ 1968年メキシコ五輪1500m優勝・5000m2位、1972年ミュンヘン五輪3000mSC優勝・1500m2位)らカレンジン族の名選手が自然環境の土壌から育っている。エルドレットから半径50km内のイテン、カプサベット、カプタガットらの町や森の中に大小のキャンプ(合宿所)が多く散在する。 ある朝、市内が1日の動きをまだ始める前、エルドレットの中心部にあるジムに向かった。目的は、リオ五輪王者のエリウド・キプチョゲ(33歳)が率いるマラソングループが室内で行う朝練習を取材するためだ。 これまで彼の屋外練習にはカプタガットで何度も同行しているが、室内練習は見たことがなかった。このあたりだと見当をつけた建物の前で立っていた男に、キプチョゲから聞いていたジムの名前を言って「ここか?」と尋ねると、「そうだ」という返事があり、彼は「ジムは2階だよ!」と大きな声で叫んだ。 建物のドアを開けると、中央の吹き抜けから2階まで階段が伸びる。その上から凄いボリュームのテクノミュージック(?)が耳に飛び込んできた。一瞬、面食らった。ジムとは関係ないだろうと高を括って2階に上がったが、ミュージックはジム内部からだった。 ジムの内部はかなり広く、複数の部屋に分かれている。入り口にいた男に「キプチョゲに会いに来た」と伝えると、うなずいて強烈な音楽が飛び出してくるドアを開けて中に姿を消した。数分後、シャワーを浴びたような全身に汗をかいたキプチョゲが笑顔で現れた。 キプチョゲの後について部屋に入ると、暗い電灯の下で強烈なリズムとアフリカ人特有の体臭が充満する部屋で、男女14 〜15人が手に小さなウエイト(重り)を持ち、スピーディーに独特のリズムで台を上下するセッションに取り組んでいた。これは長距離の練習というより、ダンスの練習のようだ。ウエイトを持つことで上体を鍛え、脚に負荷を掛ける階段上りのような強化練習になるだろうか。マラソン選手がこんな練習をするなど想像したこともなかった。 キプチョゲは「この練習は僕が始めたんじゃない。このジムのインストラクターの創作だよ。これも一種のランニングさ。変わった動きに負荷をつけて身体の基礎体力をつける。みんな週2回ここに来るけど、目先が変わった練習がお気に入りだよ」と説明してくれた。 10分ぐらい同じ台を使った動きをすると、全員が時計方向に回って次の台に移動。脚の動き、ウエイトの重さも変わってくる。いろんな角度から十分に撮影を終えた。片隅で見物していながら「いったいいつまで続くのか?」と思ったら、なんと全員が延々1時間45分ぐらい休憩なしで激しく動き続けた。さらにインストラクターの指導で器具を使っての体操をたっぷり30分。朝練が終了した。 「Breaking2」で 2時間突破の可能性を証明 キプチョゲは弱冠18歳で2003年パリ世界選手権5000mに優勝。1500mとの2冠に挑んだヒシャム・エル・ゲルージ(モロッコ、当時28歳)、10000mに続く長距離2種目優勝を目指したケネニサ・ベケレ(エチオピア、当時21歳)との三つ巴の激戦を制した。 その後の世界選手権、五輪は不運にもエル・ゲルージ、ベケレらの陰に隠れて1度も優勝はできなかった。2012年のロンドン五輪ではついにケニア代表を逃し、これをきっかけにマラソンへ転向。すると、水を得た魚のように全能が開花、気力が充実してレースごとに成長してきた。 2016年、キプチョゲはカーブが多く、終盤は起伏も多くある難コースのロンドン・マラソンで世界記録にあと8秒と迫る歴代3位の2時間3分05秒をマーク。それで大いに自信をつけ、4ヵ月後にリオで圧勝した。 そのリオ五輪後、キプチョゲのスポンサーでもあるナイキ社から前人未到のプロジェクト「Breaking2」の話が舞い込んだ。それは、ランナーと科学者がチームをつくり、42.195kmで夢の2時間突破に向け、最新のシューズ、新たなトレーニング・栄養管理・リカバリー理論、最高のコースを用いて挑むミッション。 2時間突破の話題は人の口には上っても、まともに挑戦を試みようとするランナーはそれまでいなかった。それほど2時間突破は非現実的なものだと言えよう。 歴史的に有名な1マイル「4分の壁」も、かつては夢のタイムだった。「そんなに速く走れば死んでしまう!」とまで、まことしやかに言われていた時代があった。1954年5月、英国のロジャー・バニスターがついに史上初の4分の壁を突破。それでも3分59秒4という歴史的な世界記録はわずかに46日しか持たなかった。その後1年のうち37人もが4分を切り、翌年には何と300人のランナーが4分の壁を破った。 現在のマラソン2時間突破も、過去の1マイル同様「Mission Impossible!」と言われる不可能な試みと思われていた。 その話を聞いたキプチョゲは、ひと呼吸おいて「やって見よう!」と返事をした。 「オファーを受けて尻込みはできない。結果うんぬんより僕自身の挑戦だった。夢、それが記録であろうがなんであろうが、挑戦する大切さを伝えたかった」とキプチョゲは言うが、プロジェクト挑戦を決めてからの7ヵ月間、プレッシャーで神経をすり減らし、身体を酷使してベストを尽くした。 2017年5月6日、イタリア・モンツァのF1サーキットで実施された本番は、10数人のペースメーカーが代わる代わる先導し、給水方法なども国際陸連の公認条件に沿っていない非公認レースながら、キプチョゲは「2時間00分25秒」でフィニッシュ。 目標達成にわずか26秒足りなかったが、「僕にとって、あの挑戦は失敗ではなかったと考えている。近い将来、人類が間違いなく2時間の壁を破れる可能性を証明できたことに歴史的な意義がある」と言ってキプチョゲは胸を張り、そのチャレンジについてさらに話を続けた。 「リオ五輪の優勝も、ベルリンでの世界記録挑戦も充実していたが、壮大なスケールのBreaking2は過去にまったく経験がないようなことだった。各種の専門家、たくさんの人たちの英知、努力の結晶で完璧に準備されたプロジェクト。素晴らしいチームワークのプロジェクトに関わって人生観が変わってきた。僕の役割である走る≠アとは小さな部分だった。個人的には2時間突破の挑戦はまだあきらめてはいない。もし、またあのような機会が与えられれば必ず再挑戦したい。 あのプロジェクトを通しての経験から、今から7年後の2025年には人類初の2時間突破が成し遂げられると思う。スポーツだけの世界ではない。人生には時に難関の壁に当たる時もあるだろうが、一歩一歩の努力の蓄積によって難関を克服できると信じている。7ヵ月間の体験は大きな財産であり、誇りだ」 キプチョゲのこうした真摯な姿勢がマラソンで結実。公式レース7連勝中で史上最強ランナー≠ニ呼ばれている。 安定した結果を 残し続ける要因とは― キプチョゲは2003年から2012年までの10年間で9年も5000mサブ13分を記録。この安定した実績によってケニア国内で「Mr.Constant」(ミスター・コンスタント)と尊敬の念を込めて呼ばれた。 趣味は読書。小説や偉人の伝記などを好んで読む。彼は生い立ちから陸上競技のキャリアを含めた人生論、夢の大切さなどを学校、外国から招待されて大勢の前で講演する異色のアスリートだ。そんなことで、最近では「Philosopher」(哲学者)とも呼 ばれることもある。同僚、練習仲間は「名実ともにリーダーに相応しい」と、彼に寄せる尊敬と期待は大きい。 キプチョゲの強さ、成功の源になっている「マラソン7箇条」を紹介しよう。 キプチョゲのマラソン7箇条 ・自己訓練(Self-Discipline) ・計画と周到な準備(Well-planed and Prepared) ・組織の確立(Well-Organized) ・積極的な思考(Positive Thought) ・チーム(Team Work) ・不屈(Constancy) ・ぶれない。自分を見失わない(Being Yourself) 次戦は4月22日のロンドン 「世界記録はすでに自分の中にある」 昨年9月のベルリン・マラソンは雨中の悪条件下でも2時間3分32秒で走って優勝。三つ巴の戦い≠ニして注目された前世界記録保持者のウィルソン・キプサング(ケニア)、ベケレはキプチョゲの強さに屈し、いずれも30km付近で途中棄権した。 キプチョゲの次のマラソンは、4月22日のロンドンとなる。 「世界記録はすでに自分の中にあるものだと確信している。メンタル、身体の中で周到な準備、用意ができている。ただ、マラソンはトラックレースと比較にならないほど難しい。ショートカットはない。マラソンは何が起きるか予測がつかない不思議な怖いレース。でも、前述の7箇条をしっかりフォローできれば自信、自由な発想を持ち、レースに全力で尽くすことができる。 ロンドン・マラソンは常に世界トップ選手が参加する、世界で最もタフなレースだ。当然、トップ選手は勝敗を重視するだろうし、もし、今度のロンドンで世界記録破りに失敗しても、秋のどこかのレースで再挑戦すると思う。これまで世界新記録のチャンスがあったが、気象状況の悪化などで運悪く逃しているので、必ずものにしたい」 今回のロンドンは地元の英雄、モハメド・ファラー(34歳)が参戦。トラックスターの本格的なマラソン進出が大いに注目され、これまでとは違った雰囲気になるだろう。 「モー(モハメドの愛称)はアメリカのアルベルト・サラザール・コーチとの関係を断ってから初のマラソンとなる。現在は女子マラソン世界記録保持者、ポーラ・ラドクリフ(英国)の夫、ゲイリー・ラーフ(元1500mランナー)に師事し、エチオピア合宿を経てロンドンに臨むと聞いている。地元レースの重圧で彼も大変だと思うが、彼なら十分に活躍できるはずだ。 どのように調整してくるか予測は難しいが、彼は並のランナーではない。過去のマラソン経験は2014年ロンドン(2時間8分21秒で8位)の1回だけだが、今のモーはまったく別人と考えるのが適切だろう。彼の参戦で我々も自然に気合が入って、周到な準備が必要になってくる。舐めてかかったら大変なこと。誰でもマラソンに慣れるまである程度の時間が必要だろうが、彼ならマラソンに早くに慣れて大成功するだろう。 モーだけでなく、ロンドンには今年も世界のトップランナーが大勢出場する。ケネニサ・ベケレ、グエ・アドラ(ともにエチオピア)、昨年優勝のダニエル・ワンジル、スタンレー・ビウォット(ともにケニア)もいる。これだけの選手が集まるとどうしても記録より勝負重視の傾向になるが、僕は世界新記録のチャンスがあれば全力を尽くして挑戦する」 キプチョゲは、そう話を結んだ。 リオ五輪優勝後、日本の自動車メーカー「ISUZU」のケニア輸入元がキプチョゲのスポンサーになった。この取材が終了後、彼はISUZUの新車で快く、行く先が同じ方向の「エゴン・ビュー」と呼ばれる場所に私を送ってくれた。そこは五輪、世界選手権の優勝者など名声を挙げたアスリートが好んで豪邸を構える、近辺で最も土地が高価な場所だ。キプチョゲ、彼のコーチ、パトリック・サング(53歳/男子3000mSCで91年東京世界選手権、92年バルセロナ五輪、93年シュツットガルト世界選手権にいずれも2位)、デヴィッド・ルディシャ(29歳/男子800m世界記録保持者)、マーティン・レル(40歳/男子マラソンでロンドンX3、ニューヨークX2)、ジョフリー・ムタイ(36歳/ボストン・マラソンの大会記録2時間3分02秒保持者)、エドナ・キプラガト(38歳/女子マラソンでテグ、モスクワの世界選手権2連覇、ニューヨークX2など)、ユニス・スム(29歳/女子800mモスクワ世界選手権覇者)ら20人以上の著名選手の住居がある。 キプチョゲとロンドンでの再会を約束して別れた。 ジョフリー・カムウォロル(25歳) 世界ハーフ3連覇に向けて調整中 エルドレットのジムで朝練習をしていたキプチョゲ・グループには、他にも顔見知りの選手がいた。7度目のマラソンだった昨年11月のニューヨークでウィルソン・キプサングに3秒差で競り勝ったジョフリー・カムウォロル(25歳/自己ベスト2時間6分12秒)も一緒だった。北京世界選手権10000m2位、世界クロカン2連覇(2015、17年)、世界ハーフ2連覇中(2014、16年)で、5000m12分台(12分59秒98)のスピードランナーだ。次世代マラソン界のスターの期待が大きい。 「ニューヨークでやっとマラソンに優勝。うれしかった。ゴール前のスプリント争いでウィルソンに競り勝ち、自信になった。しかし、僕は完全にマラソン、ロード専門に転向したわけではなく、今季もトラックレースに出場する予定だ。 グローバル(オランダのエージェント会社、グローバル・スポーツ・コミュニケーションの略)の契約選手は、これまでトラック長距離、クロカン、マラソンで歴史的な大活躍をしたハイレ、ケネニサ・ベケレ、キプチョゲらが、同じように5000m12分台、10000m 26分台の実績を積んでからマラソンに転向して大成功。だから、先人のキプチョゲのノウハウをしっかり受け継ぐことが成功のカギと考えている。我々のリーダーは模範的なキャリアのランナー。時間をかけてキプチョゲから学んでからでも遅くはないはずだ。 2020年の東京五輪でどの種目の出場を目指すかまだ考えていない。今は3月24日にバレンシア(スペイン)で開催される世界ハーフでの3連勝を目指して調整している」
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