11月、ラグビー日本代表が欧州遠征で記録的な大敗を記した。
緒戦が対スコットランド戦、8―100、2戦目は勝てるルーマニア戦を10―25で落して、最終戦のウェールズ戦を0―98で大敗した3連敗だった。
スコットランド、ウェールズ戦は完全なミスマッチだ!
そもそも萩本監督は欧州出発前、ラグビーマガジン12月号のインタビューにこう答えている。少し長くなるが引用しよう。
萩本監督は「ルーマニアには勝たないといけない相手。対8強シリーズというならば、目標としては2番目。そこで勝ちにこだわって、8強相手にぶざまな試合をしていたら遠征の意味はない。ルーマニアに勝つために行くのではなく、あくまで8強のスコトッランド、ウェールズにどれだけしゃかりきになれるか。それが1番の目標だ」と、遠征目標を自信ありげに宣言した。
ルーマニアは始めから完全に勝算があったのだ。
続けて「善戦だけでは済まされない」と言い、“来年以降も指揮を執りたい気落ちは当然ありますね”と質問されて「遠征で100点ゲームになったら、そんなことは言っていられないでしょう」と、100点取られて敗戦するなら辞表提出は当たり前だ。と、この時点ではまだましなことを言っていた。
また、最終戦を前にして、萩本監督は「辞表を胸にしまって戦っている。これが日本のディフェンスだと言うものを見せつけたい」と意気込んでいたのだ。
その舌の根も乾かないうち、ウェールズのサイド、中央突破は容易で、日本選手のタックルが甘く、実に14トライを献上した。
「強かった・・・。それしか言いようがない」と、恥ずかしくもなく愚痴をこぼした指揮官。この無様な試合は、誰が見ても監督の責任そのものにある。
ウェールズに0―98と屈辱的な大敗後の記者会見で、責任を突っ込まれた萩本監督は、なにを血迷ったか“逆ギレ”して、「責任って、なんの責任なんですか。誰が言ったんですか」と声を荒げた見苦しさ。
その後、萩本監督は「点数以外の部分で自分がやろうとしていることが見えてきた」と、抜けぬけとこれでも言い訳を述べている。この人には恥の一欠けらもなく、続投に意欲を見せる厚顔さだった。
負け惜しみならもう少しうまく言うものだが・・・、日本代表監督の器ではない。言葉は古いが男ではないのだ。
人は窮地に遭遇して初めて本質が見えると言うが、萩本監督は「辞めろと言われればいつでも辞める!!」と、コロコロ変わり、これだけ大敗しても自らの非を認めて潔く退陣できない小心者だ。
協会の真下は「人(監督)を代えれば強くなるならば、毎日でも変えますよ」と、焼け気味のバカなことを言うやからもいる。
この遠征は始めから狂っていた。前記に述べたように、新生日本は世界8強目指しての第一歩の遠征だが、スコットランド、ウェールズを舐めていたのか、無知なのか、自信があったのか、国際試合経験を積ませるため若手選考主体の代表チームだった。
とても相手の戦力を掌握できていたとは思えない、若手主体でもあわよくば対等の試合を夢見ていたとんでもない誤算があった。
平尾前代表が監督の時、テクニカルディレクターとしてバックアップした現強化委員長の勝田は、ウェ―ルズ戦を前にして帰国した。
この国際派(?)の強化委員長は、ウェールズに勝ち目はないことを読んで(こう言う読みだけは抜け目がない)、敵前逃亡を図った重大な戦犯だ。
この人は3年間もラグビーに関係ない(?) JOC勤務。そしてJOC勤務を兼任しながらラグビー強化委員長に抜擢された、なかなか強かな政治力も持つ“寝業師”だ。
借り物の言葉を巧みに多用、物知りぶる癖あり。おいしい話にはいつのまにか滑り込むテクニッシャン。目鼻の鋭敏さだけが売り物の腰巾着、太鼓持ちタイプの男だ。形成不利になれば逃げ足が早い。
平尾元代表監督はWC全敗後、敗戦の原因は「選手が悪い」と選手を詰った無責任の恥知らずの男だが、現日本代表萩本監督も、なんども言うがこれだけ大敗しながら羞恥の一欠けらも持ち合わせていない同種類の男だ。
日本がNZに17−145で大敗、世界に恥を報せた同志社出身の元代表小藪監督がいる。この時も先発メンバー選考で相当ゴタゴタを起こした張本人だった。
代表監督を任命したのが当時の会長金野、専務理事の白井の協力者で実現した。しかし、事実上の監督は当時現役選手の平尾だった。
そろいも揃って、同志社出身代表監督が145,100,98失点のワースト記録をした。マッチョスポーツの典型的なラグビーの日本代表監督、強化委員長らに「男」が見えないのは将来真っ暗だとここに断言する。
粋のよい女性が多い世の中で、「女が腐った・・・」と言う言葉は死語になったと思うが、同志社大学出身の元、現ラグビー代表監督にこれほど適切な言葉はないだろう。
ラグビーは、ピッチの上では究極的な「マッチョイズム」が必要なスポーツだ。
ある人から聞いたが、最近NZの白人の子供がラグビーをする数が激変しているらしい。その理由は、白人の子供がひ弱で頑強なポリネシア系の子供に壊されるらしい。
数年前、どうしても題名を思い出せないが、珍しいNZの素人俳優だけを起用した映画を見た。NZの観光イメージにそぐわないマオリの興廃した若者の暴力、セックス、酒に溺れた無法な「マッチョ」の世界をリアルに描いたものだ。
ラグビーと映画の男たちの「マッチョ」は紙一重だと思う。両極端な「マッチョ」表現は、ある重要な部分でオーバラップしているからだ。ただ、その表し方が違うだけだ。
主役のグループに、オールブラックス現役選手のウマガ、ソーイアロ、コリンス、チュイライイらを彷彿させる「頑強」の顔、強靭な肉体を鼓舞する「生」の世界が存在した。
抑圧されたNZ白人社会の中で、ポリネシア系民族が「黒衣」に袖を通し“ハカ”の儀式が始まる瞬間、鍛えられた頑強な戦士の肉体は、ピッチ上の戦闘が正当化されるのだ。
ラグビーに最も必要不可欠な「マッチョ」の本質が、日本とNZでは全く異次元の歴史的、社会背景から生まれているが、それでも日本ラグビーが世界8強に挑戦、限りなく近づく手段はあるはずだ。
その手始めに、恥知らずの首脳陣の速やかな退陣から再出発しても遅くはない。