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ステファン・ホルム
トップジャンパーで最も背の低いホルム、五輪を圧勝する
ステファン・ホルム(スエーデン、28歳)は、若くして頭角を表したが01年リスボン室内世界選手権大会でセンセーショナルな優勝を果す。
大型化した走り高跳選手の中で、ホルムは身長181cmとひときわは背が低い。しかし、それを十分に補うスピードある助走から、正確無比の踏み切り、垂直なジャンプ。アクロバット的にバーをクリアーするしなやかさは完成されている。身長より56cmの高さを抜く。3連続室内世界選手権を制覇したが、屋外世界選手権に弱い汚名を返上。「試合は最良の練習」をモットーに歴戦。今季五輪優勝を含む22連戦無敗、現世界最強ハイジャンパーだ。
五輪優勝直後にホルムは「五輪優勝したが、スエーデン記録さえ破れない。」と茶化した。来季パトリック・ショーベリの持つ屋外2.42cm、室内2.41cmに挑戦を宣言した。

ストックホルムからオスローを結ぶ、おおよそ中間点にある湖畔の町、カールスタッドに住む。
屋外は早くも冬将軍の訪れで真っ白だが、ホルムは早くも冬季練習全開。「小さな巨人」世界トップジャンパーのインタビューを紹介しよう。

−スポーツはサッカーから始まったと聞いているが・・・
ホルム−祖父、父親もサッカー選手。4部でプレーしていたので、子供のころの大きな夢はプロのサッカー選手になることだった。1984〜91年、近くのオストラデイェIKでプレー。実際、ぼくはそんなに巧くはなかったし、チームもあんまり試合結果が良くなかったね。時には16―2とか14―0など、ボロ負け。(笑う)また、興味をなくしたのは、こっちが一生懸命に努力しても、仲間に練習からベストを尽くす気もないのがいた。あのころはノルディックスキー、陸上にも興味があった。今もサッカーには深い興味がある。オストラデイェIKを応援するし気にし、国内クラブはIFKヨテボリ、海外ではリヴァプールが好きですね。

−いつ頃から本格的に陸上競技を始め、なぜ走り高跳ですか。
ホルム−走り高跳を始めたのは1982年、友人の家の庭にピットを造り跳んでいた。1986年、10歳のころ1.27cmを飛んでフォーシャガ地域の新記録を作った。87年、同じクラスの女の子からキルスAIKの陸上クラブに誘われたのが、そもそも陸上競技を本格的に始めた動機でしょう。そこで現コーチのケル・ハルステンに出会った。そのころはパトリック・ショーベリが全盛期のころ。かれがストックホルムで走り高跳の世界記録を88年樹立している。91年15歳の時、194cm跳んで国内屋外、室内選手権で優勝してから陸上一本です。

−そのころからキルスAIKクラブですね。
ホルム−そうです。現在ではどこにでも行けるだろうが代える必要もありません。このクラブは家族的な雰囲気があり、ここまでくる前に大きな支援を受けています。

−その時からあなたの父親がコーチですか。
ホルム−最初のころはケルと父親のジョニー・ホルムの2人がコーチだったが、95年以後はジョニーが主力コーチです。91年からクリスチャン・オーガストソンがメンタルコーチ、パトリック・ショーベリのコーチ、三段跳のクリスチャン・オールソンを発掘したヴィルジョ・ヌシアイネンらからも時々指導を受けたが、99年、ショッキングなことに突然、ネウシアイネンが55歳の若さでなくなった。

−ジュニア時代国際試合に出場、世界的なジャンパーになれる見込みを感じましたか。
ホルム−17歳の時が最初の国際試合だった。欧州ジュニア選手権大会で、競争相手は2歳上の選手ばかり。しかし、2.06mを跳んで11位だった。その2年後1995年、自己記録は2.21mで記録的には勝つ自信があったが、兵役中だったので十分な練習ができず、2.12を跳んで6位に終わった。この時、優勝記録は2.19mだった。スタファン・ストランドと一緒だった。これでぼくも努力次第で世界的なジャンパーになれる自信がつきました。この時のライヴァル、ヴォロニン、ヤンク、ブス、ブラヨコ、ストランドらが現在もそのまま続いています。

−そのころの練習量は。
ホルム−ジュニア時代はそんな練習はしていません。週2回の走り高跳の練習、週数回走り高跳に必要な補助練習です。ウエイト練習は19歳になるまで、一切していません。

−いつ頃からプロになったのか。
ホルム−高校を卒業してから、兵役を済ませて大学に入学。統計学、経済、スポーツ科学、情報などを勉強中だった。経済的な余裕がなかったので、生活が最も安くするためには、25歳まで両親と一緒の生活だった。(注:スカンジナビア諸国では、20歳前に独立して家を出るのが一般的だ )23歳ごろからフルタイムアスリートになる可能性はあった。

−パトリック・ショーベリの影響はありますか。
ホルム−かれは私のアイドルだった。走り高跳に専念したのも彼の影響が少なからずある。数回かれと一緒に試合したことがあるが相手にならなかった。しかし、いつまでもかれと一緒に比較されるのは、いい加減勘弁して欲しいね。

−しかし、かれのスエーデン記録が目の上にあるが、どう思いますか。
ホルム−ぼくの記録も悪くはないが、まだ数センチ足らない。時には苛つくこともあるが、04年かれの記録を破る自信、可能性がさらに近づいてきたことを感じる。心理的なコンプレックスがなくなったのが良い。

−同世代の走り高跳選手、スタファン・ストランド、カイサ・ベルグクヴィストらの活躍に刺激を受けましたか。
ホルム−スタファンは89年からのライヴァル、性格や意見の違いはあるが現在も仲の良い友達です。しかし、カイサがシドニー五輪3位になったインパクトは大きかった。特に、スエーデン陸上競技選手に大きな自信と影響力を与えたと思う。

−シドニー五輪前、メダル獲得の自信はあったのか。
ホルム−同じ年に開催された欧州室内選手権で2.32mを跳んだが4位だった。6人が同記録の激戦だった。自己記録2.34mを跳んだので、この一角に食い込めばなんとなくメダル獲得が近いと思っていた。予選通過1位。調子は良かったし、2.32を跳んでメダル獲得一歩手前だったが、最初の2.35mジャンプが欲しかったがクリアーできなかったのが失敗だった。そのうち雨も降り出し、結局、非常に残念ながら4位に終わった。悔しかったね!試合後、ソトマイヨ−が五輪前、突然、“特別な配慮”と言うわけの分からない理由で出場停止期間が短縮されて、出場して2位になったのでメダルを横取りされたような気がした(笑う)ソトマヨ−は、疑いもなく史上最高のジャンパーだろうが、かれの偉大な功績には、常にいろんな疑惑が付着している。私とはタイプが違う。長く、スローな助走なために、踏み切りパワーが必要だ。かれと対戦して3度勝ったことがある。

−最初の五輪経験がその後に役立った。
ホルム−一度あの雰囲気を経験すれば怖いものなし。4位になった事実が「どの試合でもメダル獲得」のチャンスぼくに回ってくる自信が生まれてきた。

−それがリスボン室内世界選手権大会の優勝に繋いできた。
ホルム−要するに、頂点を極めるには、長い時間、ハードな練習、試合経験など、いろんな要素が良い形でミックスされなければ結果が出てこない。あの時の優勝の感激は、それまでなんども躓いてきたので、ソトマイヤーに勝てたし、アテネで優勝した時よりも遥かに嬉しかった。今までキャリアの延長総てが、あの瞬間に凝縮したと思います。

−すると五輪優勝は、試合前に計算されていた。
ホルム−五輪に勝って嬉しくない人はいないでしょうが、初めての大きな選手権で勝った瞬間とある程度の読みができて成功したものとは違いますね。トップ選手は常にいろんな状況を読んでくる。ぼくは試合がベストの練習だと思っているので、試合数が非常に多い。その1試合ごとにアテネに直結していた。勝つためになにをしなければならないのか、それまでの経験から状況を読んできていますからね。五輪優勝は、スエーデン走り高跳最初の五輪優勝者です。史上初めてはいいものです。

−走り高跳に背が高いことは有利にならないことを証明しているが、どのようにしてフィジカルハンディを埋めていますか。
ホルム−大きな選手に勝つのは気分がいいもの(笑う)特に、五輪の表彰式台で両脇にはマット・ヘミングウェイは2m、ヤロソロフ・ババは1.96mの身長とぼくが比較できるからね。背の低い選手は身長のある選手より、身体をコントロールするのが容易だろう。背の低い選手はスピードのアポロ−チと高い技術マスターが必要になる。ぼくの強さは走り高跳に必要な基本的な体力、技術の上に、狂いが少ない技術だろうと思う。

−メンタルタフネストレーニングは。
ホルム−これも技術のマスター同様に、長い試合経験から学ばなければならないが、ぼくは時によってスペシャリストからメンタルトレーニングを行っている。走り高跳は、非常に微妙な競技ですから、ちょっとしたことでもジャンプに大きな影響が生じます。そのためには、スペシャリストが必要でしょう。年毎に良くなるが、ぼくの場合は、メンタルトレーニングが非常に大切で、クリスチャン・オルソンやカロリナ・クリュフトらはそんなに苦にならないようです。

−メンタルの準備も完璧だった。
ホルム−まあ、かなりこちらの理想的な展開でした。予選から決勝、競技が終わるまで、集中力も掛けることなく、自分の競技ができました。2,34mを2回失敗したので、周囲がナーヴァスになったらしいが、本人は失敗の原因を分かっていたので、あそこで修正できる自信があった。それも数多い経験が教えてくれるのです。五輪出場前の調整、メンタルの準備が完璧でなければ、勝つことは難しい。

−まだ、技術的な訂正部分があるのですか。
ホルム−ありますね。助走が時には不安定なことと、バーをクリアーにするのも訂正の余地がある。今年の目標は2.40mを掲げています。04年になんどもこの高さに挑戦しているし、完璧な助走をマスターできる。2.40mをクリアーすれば59cmを抜くことができる。この記録は非公式ながらフランクリン・ジェイコブの持つ非公式世界記録と同記録ですね。かれは身長1.73mで2.32mに成功している。もし、これが成功できれば、ショーベリの記録を破ることもできればいいのですが、ほぼぼくの限界の高さではないだろうか。

‐05年、クリスチャン・オルソンが走り高跳に挑戦してきます。どう思いますか。
‐いいんじゃあない。室内は走り高跳に世界中の注目を浴びる。かれと対戦するにはトップコンディションで望まなければ勝てない。少なくともかれは2.30mを跳べるだろうね。

‐TVクイズ番組の物知り博士、趣味は読書とか。
ホルム‐読書に凝りだしたのは兵役の時。手当たり次第に読む。TVクイズ番組出演も、ぼくが走り高跳以外の能力があることを知ってもらう良いチャンスです。幸い、ぼくのチームは非常に強い。負けるのは嫌ですよ。

‐父親になり、来年早々から欧州室内選手権、世界選手権、2.40mジャンパーを掲げていますね。
ホルム‐ガールフレンドのアナは国内大会でのラジオのレポーターだった。父親になったのは、大人として非常に大切なこと。来年を目指して、10月18日から本 的な冬季練習を開始した。来年も総て勝ちたい。どうやら忙しい年になりそうです。

(望月次朗)

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