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朝原、為末、伊藤ら、スプリンターのアリゾナ高地練習

今回の長旅は総て後手に始まった。パリを発つのが遅れたため、ヒューストンで経由便のフェニックス行きを逃す。航空会社がすでに乗り換え便の搭乗券を用意して待機していたが、約4時間遅れてフェニックス最終便に乗れた。

フェニックス到着は、西海岸で1週間降り続いている豪雨の中、真夜中の12時過ぎだった。タクシーの運ちゃんはエチオピア人。深夜で大雨、足元を見られて20ドルぼられた。

生きるためと言え、どこも新移民の連中が悪いことをするのが圧倒的に多い。フランスではアラブ、アフリカ、日本では中国、イラン、トルコ人の犯罪が多くなった。

2日目、最終目的地に到着

ベッドに入ったのは2時だった。やっと今日の長旅が終わった感じだった。夕食なし。寝ようとすると、時差のために目が覚めた。うとうとしているうちに、たちまち夜が明けた。そとは大雨が降り続いていた。

ホテルの車で飛行場に行く前,シャトルバス会社に電話してどこがバスの乗り場か確認を入れる。アメリカのこういう手順、連絡のよさは、ほかの国がなかなか真似のできないところ。ホテル、シャトルバスの予約など、全くに信用ができる。バスが時間通りにくる。これがフランスでは必ずどこかで手違い、連絡不足で混乱が起きる。運ちゃんもぼくの名前を知っていた。連絡は完璧だった。乗客はわずか4人だった。

飛行場からフラッグスタッフまで約200km。車で約3時間の予定。ワイルドな大きなサボテンが立っている山岳地帯を約1500m登る。5000フィート登ると、そこからは雪が積もっていた。

予定時間に終点到着。幾昔も前TVと映画でヒットした「ルート66」という作品があった。町はこの有名な道路沿道に発展したもの。小さなAMTRAKの駅がシャトルバスの終点。その中に観光所がある。そこから無料電話でタクシーを呼んでホテルに向かう。道路は雪で歩けない。

ホテルチェックインも全く問題なし。総てインターネット1本で予約されたもの。昨夜のホテルは飛行場の側なので、少しは高級感が出ていたが、ここは同じ系列のホテルでもサイズも小さく部屋代も安い。

ホテルの人に選手宿泊ホテルを聞くと、運良くも2軒先のホテルだった。電話を入れると朝原君が出た。その日の練習は休み。高地なので3日練習して4日目を休養日に当てている。夕食を食べる約束を取ってホテルで休む。高地に入り選手の体調が悪いとのこと。雪が多くて驚いていた。

3日目、新雪が積もっていた

朝、見ると外は一面新雪が積もって真っ白だ。朝練の待ち合わせは10:30。その前に太陽が雲間から顔を出したので、チャンス到来とばかりに外に飛び出て写真を撮る。地図を頼りに駅に向かい歩く。

町は小さい田舎町の感じだ。オリジナル「ルート66」は交通量が多い。北アリゾナ大学構内を通ると、「Navaho Code」と呼ばれる、ナバホインディアン伝統的かつ独特な暗号を使って、第二次大戦中密かな連絡に一役関わった功労碑があった。

しばらく行くと、あの大陸横断鉄道(AMTRACK)が通過する。何kmも続く長い貨物車の写真を撮りたいと思って駅でチャンスを待つが、時間がきたのでホテルに戻る。

それまでは青空も見えていたのが、突然天候が急変、吹雪に変わる。体中に雪が吹き付けられて張り付く。たちまち身体が真っ白になる。しかし、それも30分で終わった。

ホテルで10:30に待ち合わせ。合宿総勢は朝原、為末、伊藤(秋田ゼロックス)の五輪選手と練習パートナーの法大生、田中、西村ら5名だ。大(為末)ちゃんの運転する車で、2km先の大学構内にある「高地練習スポーツ競技場」で、練習を始める。

風がありかなり寒いが、太陽が出ると暖かい。練習は10:30〜13:30.100mを全員で軽く3本流してから、朝原は伊藤、田中、西村らの若い選手、為末は後輩の400mH専門の男と観客席のスタンドを使用して基礎練習。

金網フェンスの外側の公道で、朝原、伊藤、田中の3選手は、車がこないのを見計らって坂上り。短い距離のダッシュなど、3種類を約20本走る。為末は、数本走った後に、トラックに戻り200mをハードルを使用して3本。最後の1本は昨年のスーパー陸上以来のスパイクを履く。

練習の間、雲の流れが異常に早いために天候が頻繁に変わる。風はコンスタントに西から東に吹く。それほど寒くはないのが幸いだ。日が雲間から顔を出せばかなり暖かい。

練習終了後、その足で中国飯店に昼食をとりに行く。食事を終えてホテルに戻ると2:30、その1時間後にはジムでウェイトトレーニングを再開した。

ジムは学生用のリクリエーションを兼ねた近代的な設備を完備したもの。撮影の許可は取ったものの、日本人以外の選手の撮影は禁止。練習は各器具を使って約1時間半。

ホテルに戻りジョッグする。競技場まで走り、トラックを2周して帰る。ジョッグ正味25分22秒。松森林が大きいので酸素がいっぱいのためか、2100mの高地を全く感じずに気持ちよく走れる。

同じ高地でも「森林と砂漠のような草木がないところとでは、酸素の量が相当に違う」と、チベット高原の青海省にある“高原訓練基地”と呼ばれるところで科学者から聞いたことがある。

7:30、大ちゃんの運転する車でレストランに行く。沿道にはたくさんの食事するところがあり、毎回食べるものを変えることができる。この夜の夕食に選んだパスタは大失敗。美味しくはない。ここ3ヶ月でアトランタ、ハワイ、ここにきたが、どこで食べてもチェーンストアーは同じ味がする。これほど広大な国で味を統一することは、徹底した管理で無駄を省くことになろうが、ここまでできるのは恐ろしいことだ。

学生までが「合宿所より酷い!」とたまげていた。

2月21日 朝から雨

朝の撮影は中止してホテルでeメール。10時半から練習開始。屋外のスカイドロームで練習。室内練習場は一周330m。「伊藤は五輪後自信をつけて一回り大きく成長、今季の活躍を期待できる」と朝原、為末らが口を揃えて賞賛する。

練習そのものは基本練習に徹している。今日からTBSのTVカメラが食いつくように為末に張り付くと、たちまち雰囲気が違ってくる。遠くから撮影するよう事をしないし、録音も入るのでワイドだと録音マイクがレンズに入ってきてしまう。

The High Altitude Sports Training Complex(HASTC)のアシスタントディレクターのショーン・アンソニーと話す。日本の水連が五輪前に合宿したとのこと。

事務所の中に日本からのいろんな贈り物がある。贈り物は日本の習慣。これまでがどんな形にせよ、外国で、個人または会社、団体が日本と関わりを持つ人たちなどに合うと、必ずいろんな日本からのみやげ物で室内を飾ってある。ここもその例に洩れない。

贈り物がその場所、人にうまくマッチするものであれば良いが、おおかたは外国に行くのだから“手土産を”と言った気軽に購入したもの。方々の国からのお土産もあるが、圧倒的に日本からの手土産が並んでいた。

かれ曰く、一昨日までラドクリフがここで合宿していたが、やはり雨が多いので車でアルバカーキーに発ったとのこと。外で走れなければ、マラソン選手の練習にはなるまい。

午後の練習は、スカイドロームのなかのジムでウエイト練習。3:30〜5:00までだった。

朝原が時差ぼけ、高地ボケ、その上に風邪気味で練習を始めた。為末は肝臓が痛く、眠れない、食欲がない、頭痛など、最初の1週間は大変だったがかなり高地に慣れてきたとか。

日本人夫婦がやっているすし屋に行く。ネタはそれほど悪くないが、サイズが飛び切り大きい。一口で食べきれない。まあ、アメリカ人には質より量だろうが・・・それにしてもメシが悪いのは閉口した。あれは炊き方が悪いからだろう。

22日、朝から大雪。外は新雪で真っ白。今日も練習は室内。「走るのはなんとなく軽く走れるが、止まると非常にきつい」と感じるらしい。今日で3日間連続して練習したので疲れが出たため、午後の練習を中止して休養に当てた。

山の中腹にある、冥王星(Pluto)を見つけた天文台のある丘に行ってもらい、街を見下ろせる丘から写真撮影をした。そこまでは雨混じりでドンより曇っていたが、撮影直前に突如雲が割れて日が差し始めた。奇跡的な幸運に恵まれて、この10分ぐらいの間に、懸念していた見開き写真が撮れた。

昼食後、夕方5時から7時まで朝原、為末選手らのインタビューで仕事はひとまず終了した。

朝原は400mHの引退した山崎を欧州GP転戦の「先駆者」と言う。頭と身体の動きに「ズレ」を感じない間は「理想の走りを追って」現役を続ける。自らに厳しいリアリストの中にも、「幻」の走りを追い続けるある種のロマンチストの部分があるのだろう。

為末は、平地練習で身体を破壊するまで自らを追い込んだ昨年の経験から、量を少なくして「負荷」をいかにするか。高地練習にわずかな打開策の光明を見つけ、身体に聞き耳をたてながら手探り状態で暗中模索、試行錯誤を続けている。高地練習は北京五輪への大切な鍵を握っていると、明確な方向性を示している。

かれらの前向きな競技者の姿勢が、新たな今季の目標に向かって駆り立てるのだろう。

(月刊陸上競技誌05年4月号掲載)

(望月次朗)

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