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ヨアキム・オールセン
小国デンマークの雄、世界選手権獲得なるか

「デンマーク」と聞いて、通常なにを想像できるだろうか?「童話のアンデルセン、人魚、バイキング」などかも知れない。中にはキルケゴールの名前を上げる人もいるだろう。デンマークは北欧4ヶ国のひとつ。最南端に位置するため「北欧の玄関口」と呼ばれている。人口550万人の小国ながら、サッカーでは欧州選手権優勝経験を持ち、女子ハンドボールは五輪連勝を誇る。近年、個人スポーツではツールドフランス優勝者、ヨット、ボート、バトミントン、男子卓球で世界のトップレベルの選手が活躍している。しかし、陸上競技では他の北欧に到底及ばない。男子800mの世界記録保持者、ケニア育ちデンマーク国籍のウイルソン・キプケタ―がいるが、昨年から世界トップ男子砲丸投げで急成長したヨアキム・オールセン(27歳)は、陸上競技の背景が少ない土壌に育った異色の選手だ。しかもアメリカ、東欧選手らの強豪と互角に渡り合う種目だ。アイダホ大学で質素を伸ばしたが、帰国後の手首の故障、手術を克服。04年室内世界選手権で3位、アテネ五輪3位、04年アスレティックファイナルで優勝、今年の3月欧州選手権で優勝するなど、大きな大会でコンスタントにメダルを獲得している。今季の目標は「世界選手権優勝と22mの大台」を掲げた。さらに、4年後は世界新記録の可能性をデンマーク人らしく淡々と語った。

10代は陸上競技万能選手だった

デンマークはたくさんの島から成っている。首都コペンハーゲンはシェットランド島にある。欧州大陸から突き出し、首都から電車で約3時間のユットランド半島オーフス市がオールセンの本拠地だ。前日、オールセンはカタールGPから帰国。オーフス駅に到着して電話を入れると「直ぐに迎えに行く」と言った。しばらくすると、野球帽を被った巨体のオールセンが車で表れた。背丈はそれほど高くないが、握手する手は野球グラブのように大きい。車の提供者は市内のスポンサーの一人とか。若葉の森を通り抜けると、新装を終えた競技場の前を過ぎて隣接の投擲専用グラウンドに到着した。すでに、若いオールセンの後輩が練習を始めていた。しばらくすると、アイスランド人の元円盤投げコーチ、ヴェスティン・ハルフステェインセン(42歳、同国円盤投げ記録67・64mの保持者)がきた。この日は祭日、長旅もあって軽い練習だったが、ゴムで包まれている特殊な砲丸(手首のショックをやわらげる)での技術の修正、ウェイトトレーニング後、クラブのレストランで話を聞くことができた。

―カタールGPが今季初の試合ですか?
オールセン―そうです。

―結果は?
オールセン―1回目の投擲が最高記録の20.78m、2位。調子が良かったので、かなりの記録が出るかと思ったが・・・(笑う) 2回目からはフォームが乱れて、不本意な記録に終わってしまった。(注:4回の試技)だが、非常に楽しい経験をした。地元のまだ若い砲丸投げの選手と知り合い、方々を見て回る機会があった。来年カタールでアジア大会を開催するので、地元の力の入れようはたいしたもの。

―ここは投擲専用のグラウンドですね
オールセン―これはアメリカから帰国後、砲丸、円盤、ハンマー、槍投げの投擲専用グラウンドを陸連、オーフースクラブが建設してくれたものです。アメリカの大学陸上部のように、円盤投げでは50mを投げる選手から、ゲルト・カンテル(エストニア)のように70.10mを投げる世界的な選手まで、さまざまなレベルの12名の投擲選手がいつでも練習できる環境です。国際的な雰囲気のなかで、将来良い結果を期待したい。

―デンマークは伝統的に陸上競技がほかの北欧の国と比較すると、活躍が目立たない。あなたの例は珍しいケースですね。
オールセン―まあ、そういうことになりますね。(笑う)でも、これからはわからないよ。

―陸上競技を始めたきっかけは?
オールセン―ぼくが陸上競技に興味を持ち始めたのは11歳のころ。そもそも学校で年に1度行われる大会がきっかけだった。先生が元砲丸投げの選手だったこともあり、陸上競技を教えるのが熱心だった。最初はスプリント、跳躍が得意だったが、16歳から20歳までは円盤投げ選手だった。96年ジュニア世界選手権にも出場した経験がある。このころの記録は54m。

―誰が円盤投げから砲丸投げに転向を薦めたのですか?
オールセン―ぼく自身が考えて決めた。と言うのも、円盤投げ選手にしてはぼくの身長184cmは高くはない。腕が長くはないので、身体的には絶対不向きと考えたからです。砲丸投げをやって見ると、19〜25歳で14.89m〜21.57mに記録が伸びている。(注:20歳、17.11m、21歳、18.40、22歳、19.75m、23歳、20.88、24歳、20.43、25歳、21.57m)これを見ても明らかに砲丸投げの才能がある。円盤投げの最高記録は60.67m。これじゃあどうしようもない。でも、今でも好きなのは円盤投げ。遠くに上手く投げた時の気持は格別だね。(笑う)

デンマーク投擲のパイオニア

―アメリカの大学で素質を開花させた?
オールセン―そうです。ぼくは11歳から20歳まで、生まれ育った町オルボーでコーチに恵まれ、特に、円盤投げを習った。98年、アメリカの3大学からスポーツ奨学金を提供され「ウチの大学にこないか?」と誘われた。多分、インターネットでぼくの記録などを調べてコンタクトしてきたのだろうと思う。アメリカの事情は全く知識もなかったが、アイダホ大学のヒル・テイラー・コーチとなんども電話で話し合い、非常に親切で真意を感じたので最終的にアイダホ大に決定した。98年12月、アイダホ州の北にある小さな大学の町モスクワに飛んだ。大学の環境、スポーツの練習設備は素晴らしく、室内で円盤投げができるほど、なにもかも揃っていました。

―練習法、技術的なことでアメリカと違いましたか?
オールセン―そんなに大きく違うことはないが、練習環境が違うこと。大学間の競争意識は強く、勝敗に強くなる「ウイニング・メンタリティ」を身につけることができた。この強烈なメンタリティ、心構えなどデンマークのような温和な国では到底無理なこと。イイ刺激だった。

―大学での成績は?
オールセン―NCCAで優勝1回、2位が5回、3位が2回の成績、記録は18.40m〜21.57mに記録を伸ばしてきた。引き続き大学に残りたかったが、コーチが引退したので帰国した。

―03年帰国、ここに国際投擲クラブを創立したのか?
オールセン―最初はコペンハーゲンを考えたが、ここのほうが投擲環境は良いのでオーフスに腰を落ち着けた。それは良かったが、帰国後、バーミンガム室内世界選手権大会で8位(20.12m)だったが手首を故障。パリ世界選手権大会で予選通過したが決勝を辞退した。03年はタフな年だったね。

故障、手術を克服して連続のメダル獲得

―新しいコーチはいつから指導を始めたのか?
オ―ルセン―03年の秋からです。スウェーデンでコーチ経験のあるヴェスティエンと知り合い、最初の出会いから砲丸投げを始め、投擲に関するコンセプトで一致した。かれはエストニアの投擲選手もコーチを兼ねているので、冬は南ア、春はLA、夏はデンマークとエストニアで合宿練習をする国際クラブ。ちょうど、シーズンオフに手首の手術を行い、リハビテーションの最中だった。

―1年後に五輪を控えた手術でのリスクは?
オールセン―03年まで毎年順調に成長してきたが、故障は初めてのこと。心理的に、良いも悪いも深いジレンマに落ち込んだこともあります。でも、ポジティブに考えれば、冷静に深く陸上競技を考える時間を持てた良い経験だった。いったい自分にとって陸上競技、砲丸投げに付いて、なにを意味するのか?初心に戻り、突然となにもできなくなって始めて、自分がいかに陸上競技、砲丸投げに愛着があることを改めて実感しました。故障前よりも、遥かに砲丸投げができる幸せを感じます。

―哲学的な砲丸投げのアプロ―チですね。
オールセン―陸上競技ができる幸せ!これは故障して競技をできなかったものにしかわからないかもしれない。スポーツはある面では、全く重要なことではないと思う。ある種の馬鹿げたことかもしれない。古代からスポーツは、代理戦争の一種であった。勝利者は英雄に祭り上げられる。サッカーを見ていると、ふたつの部族闘争にかわりない。ただ、そこにある種のルールが存在して勝敗を決めているので楽しめる。スポーツほど、国籍、文化の違いを超えて、人々が硬く結びつけることはない。それ以外では、例えば津波などの自然災害で、世界がひとつになることもあるが、スポーツを通して、直接参加できることは非常な幸せのことだ。

―手術の経過は順調だった?
オールセン―経過は問題なかったが、身体を動かすようになってからも、一体本当に今までのように砲丸を投げることができるだろうかという心理的な不安があった。手術から5ヵ月後、軽いウェイトトレーニングから始まり、5kgの砲丸から投げ始め、6kg、6.5kg、少しずつ重い砲丸を投げて、慎重に手首を馴らしてきた。2月には自己最高記録をだして完全復帰。その勢いでブタペスト室内世界選手権は20.99mを投げて3位。2位とは6cmの僅差だった。

―五輪でメダル獲得を予想していましたか?
オールセン―メダル獲得は考えていた。ダントツに強い選手はいない。少なくとも6〜7人の選手、誰が勝ってもおかしくはない状況だった。ぼくもその一人だった。調子は良かったのでメダル獲得は十分に予想できたことだった。

―古代オリンピア競技場の闘いの印象は?
オールセン―最高の舞台だった。1.5万人の大観衆の前で、しかも、古代五輪を行った場所!!一生忘れられない感激の瞬間だった。しかし、それとは逆に、われわれは精神、肉体的にもタフで長い1日だった。あの暑さの中で朝の予選から午後の決勝まで、あの状況下での激戦は、人は記録が低いと言った人もいるが、ぼくには到底そうは思えない。しかも、1、2位が21.16mの同記録、3位のぼくと9cmの差だった。

今季の目標は22mの大台突破、世界選手権優勝

―アスレティックファイナルで優勝、今年3月の欧州選手権大会第1投目で優勝を決めた。あなたはタイトル戦に強い。
オールセン―大きな大会になればなるほど、絶対勝ちたくなる。モナコで21.46mを記録して、やっと故障前の記録に迫ってきた。マドリッドで開催された欧州室内選手権は、最初の1投目がいい形で投げれたので、地元の期待のマルティネズに勝てた。

―小柄な砲丸投げの2人、あなたとアダム・ネルソン(アメリカ)は「静かなデンマーク人」と「激情のアメリカ人」で好対照です。アダムのサークルに入る前は、猛々しい猛牛を想像する。
オールセン―面白い比較だね。(笑う)、確かに、ぼくとアダムスは他の選手と比較すると小柄かもしれない。ぼくだって内心はアダム以上にカッカッと熱くなっているが、感情を外に出したらたちまち冷静さや集中力を乱すからぼくにはできない。

―今季の目標は?
オールセン―世界選手権優勝と22m突破かな。22mは円盤投げで70m越えと同じ大台の記録。世界選手権前、6大会出場予定。冷静なハードトレーニングと忍耐が必要なシーズン。世界選手権大会10日前、ここで行われるオーフス大会で、多分、地元のバックアップで22m突破ができれば最高の形でヘルシンキに飛べる。そうすれば、世界選手権大会で21.50m以上が期待できるね。

―強敵は?
オールセン―世界選手権は、五輪よりタフな闘いになる。ここでも優勝争いは少なくとも6人以上いるね。USトライアルを通過した3選手、アンドレイ・ミフネビッチ(ベラルーシ)ユリー・ベロノグ(ウクライナ)らかな?

―ヘルシンキ開催の世界選手権をどう思いますか?
オールセン―ヘルシンキは最高の舞台。フィンランド人は陸上競技を良く知っている国民。地元砲丸投げ選手も、素晴らしい選手揃いだ。昨年は良くなかったが、もし、地元勢が好調なら、1投ごとにスタジアムが熱狂的な雰囲気になるだろう。凄く楽しくなるね。

―コーチがあなたのポテンシャルを、4年後に世界新記録の可能性があると言っています。
オールセン―ぼくもそのように信じている。完璧なショットの瞬間、砲丸は想像以上に遠くに飛ぶだろう。03年22mを越せる自信があったが、手首の故障で後退した。今年は、上手く行けば22.30mぐらい飛ばせる。そうなれば最高だね。4年後、世界新記録を作れる。ぼくだけではない。クリスチャン・カントネル(USA)、アダム・ネルソンらにも同じような状況であるとも言えますね。

(月刊陸上競技誌05年7月号掲載)

(望月次朗)

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