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アフリカ大陸最大のロードレース

海抜2400mの高地。「Etiopia is the Land of Runners」と誇るエチオピアの首都アディスアベバで、第5回Great Ethiopian Runが開催され、2万5000人のランナーが参加した。

ローマ、東京五輪2連勝を飾ったエチオピアの「英雄」ビキラ・アベベに始まったマラソン、長距離の「遺産」は、不安定な国内政状、飢饉など、幾多の危機を乗り越えて半世紀を経ても生きている。世界でも有数な最貧国のエチオピアが、アフリカ最大の10kmロードレースを開催せしめたのも、単に、娯楽に乏しい国のレースとは異なる意味を持つ。

日本企業の全面的なバックアップ

不思議に思ったのは、「TOYOTA 」Great Ethiopian Runの冠スポンサーだ。おおよそ通常の日本企業は、なんらかの見返りを期待できない国に、ビタ一文でも出すような無駄な投資は滅多なことではしないからだ。この大会の主催者リチャード・ネルーカは、94年サンセバスチャンで開催した第5回マラソンワールドカップで優勝。元英国マラソン代表の実績を持つ。01年から医者の奥さんが首都アディスアベバで講師勤務のため同行。ジョギング好きな、マイルス・ウィクステッド、当時の英国大使らが賛同。英国大使館がスポンサー、大会をバックアップして、レース開催が可能になったいきさつがある。第1回目大会には、国内で滅多に走らないハイレ・ゲブレセラシエ、女子はベルハネ・アデレらが優勝した。

この大会参加者は地元の世界トップクラスの選手と、誰でも参加できるよう2400m高地レースを短い10kmに設定したのが特徴だ。ここでは平地レースよりは3分遅くなる。大会1ヶ月前、よくある話だが現政権が選挙で大敗した結果を、不正があったとして強引に選挙結果を勝手に無効にした。これに反発したデモが相次ぎ、武力鎮圧に出たため数百人の死傷者、数千人に及ぶ知識階級の逮捕者を出す政情不安定な予断を許さない状況が続いている。夜になると戒厳令並みに、兵士、警官が武装して町中いたるところに立っている。集会は禁止され、開催事態が危ぶまれたが、権力者も市民に愛されている恒例の10kmレースを中止する蛮行からは手を引いた。

コースはアディスアベバで最も有名なメスケル広場をスタート。市内の目抜き通りを一巡するコース。ここにレース当日の早朝6時半に出かけると、リチャード・ネルーカ、ハイレ・ゲブレセラシエ(アトランタ、シドニー五輪10000m優勝)も手を貸し最後の準備に大忙し。陸連の知ったコーチ連の顔が見える。ミリオン・ウォルディ(シドニー五輪5000m優勝)、アセファ・メズゼブ(シドニー五輪10000m3位)、ゲタ・ワミ(シドニー五輪10000m2位)らの、地元スター選手、リュクード・キプチョゲ(ケニア、パリ世界選手権5000m優勝)現ルーマニア陸連副会長のガブリエラ・ザボー(シドニー五輪5000m優勝、現スポーツ科学学生)が夫ともに招待されて大会に花を添えた。さすが長距離が盛んな国。一般の人たちが、かつてのエチオピア女子選手のライバルの顔を覚えている。たちまちザボーはサイン攻めに会った。

また、日本・エチオピア友好協会50周年記念とか。日本からこの協会メンバーの人たちがレース前、エチオピアダンスを披露。中にはレース参加した人もいた。

女子はゲネト・ゲタネがアハザ・キロスを最後のスプリントで競り勝ち、僅差で優勝。男子はケテマ・ネグシエが、ナサン・ナイベ(ケニア)を28分24秒13のコース新記録で優勝。優勝者は賞金2万5000ビル(1$=約8.5ビル)をそれぞれ獲得した。ケニア選手が2位に入賞し、外国選手が男女上位入賞は始めて。

ハイレ・ゲブレセラシエの人望の広さで英国、フランス、スウェーデン、EC大使らがレース参加した。自他共に誇る長距離王国は、戒厳令下(?)を吹っ飛ばすトップ選手、市民ランナー楽しい「10kmロードレース祭」であった。

(06年月刊陸上競技誌1月号掲載)

(望月次朗)

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