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無名の中距離ランナー
マリアム・ジャマル、世界ランキングトップに躍り出る

04年、女子1500m世界ランキング22位に、ゼネベチ・コツ・トラ(エチオピア)の名前がある。05年、改名、国籍変更したマリアム・ユスフ・ジャマル(バーレン)は、1500mと3000mで世界ランキングトップに立った。02年3月、ジャマルは17歳の時、エチオピアの首都アディス・アベバから寒いスイスに到着。今日まで一度も帰国のチャンスもなく、不慣れな生活環境で苦労に耐えながら走り続けた。04年にエチオピアからの亡命者と結婚。精神的な安定と共に、わずか1年の短期間で世界選手権5位、ワールドア・スレティック・ファイナルで優勝。800,1500,3000、5000mの4種目で、世界に類を見ない驚異的な記録向上をなした。今季、GPの活躍,アジア大会中距離2冠を目標に新たな活動を開始した。ブリュッセルクロカン、ローザンヌでジャマルの夫、元1500mランナーのタリック・サベト・ヤクーブ(28歳)、コーチのジャン−フランソワール・ポード(66歳)と話す機会を持った。

世界選手権大会5位、悪夢のファイナル

国民性によるのだろうが、エチオピア選手は寡黙だ。今まで遭った雄弁なエチオピア人選手はハイレ・ゲブレセラシエとハブティ・ジファー(アテネ世界選手権10000m7位)ぐらいなもの。一緒に居ても、こちらから話しかけなければ口を開かない人たちが多いので、かれらの考え方を引き出すことはなかなか難しい。マリアムも物静かで、訊かれなければ自分から決して話そうとはしない。幸い、夫タリックは父親の政治亡命と共にスイス滞在11年。西欧の生活に慣れている。インタビューにコーチのジャン−フランソワー・ポードを同行してきた。これには助かった。1500mで3分55秒の記録保持者。元スイス中・長距離ナショナルコーチ(72〜84年)。ローゼンヌGP創設者の一人だ。五輪博物館長を20年間(81〜01年)務め引退。タリクの要望でジャマル選任コーチに就任。この2人が話を盛り上げてくれた。

−ハナから申し訳ないが、これはぜひ最初に訊きたかったこと。ヘルシンキ世界選手権大会1500m決勝で、あなたは2位に入ったユリヤ・チゼンコ(ロシア)と接触。「オブストラクション」で彼女は失格。レース中に、一体なにが起きたのですか?
マリアム−明らかにロシア選手は、決勝で意図的に私を狙ってきました。残り350m付近で足を蹴られ、次に、残り250m、バックストレッチの真ん中付近で、これから前に出ようと言う矢先、ロシア選手に背中を押され、かなりきつい肘鉄を受けてショック!これでバランスを崩しました。
タリク−ロシア4選手がマリアムを警戒して、故意に潰しに掛かったのは明らかだった!チゼンコが失格になったのも当然なこと。ヘルシンキの後、あるロシア人コーチと話す機会があった。本当かどうか知らないが、かれは「あの状況ならロシアの選手の一人が犠牲になってマリアム潰しに掛かるのは当然だ。それをしなかったら、コーチが罰せられる」と言っていた。
コーチ−(笑いながら)ロシア選手4人が決勝進出。レース前から、決勝レースは、必然的に厳しいレースになることは予想できたね。中距離のポジション争いは、故意、事故的なものを含む、さまざまな状況展開がしばし起きるもの。誰もが勝ちたいから、接触事故が起きないのが不思議だ。マリアムは大きな国際大会の経験が少ないし、あのような熾烈なレースで彼女の走りは優しすぎる。(注:マリアムに向かって)レースは肉体的な闘争でもあるんだよ。もっと、アグレシブルに走らなければ勝てない。

−5000m出場を考えなかったのか?
コーチ−出場はどちらでも良かった。1500m出場決定は、彼女が決めたが、多分、ベストの選択ではなかった。と言うのも、マリアムは大レースの1500m経験が少ない。特に、この種目は難しいもの。1500mにはロシア勢が圧倒的に有利だ。ただ、敗因は練習法、彼女の才能などに関係あるのではない。レース中の事故がメダル獲得を妨げたと見るべきだ。5000mはヘンゲロで始めて走ったレースで14分51秒68だった。今なら、これより少なくとも15秒早く走れるだろう。

−優勝を狙っていましたか?
マリアム−(ウ〜ン)メダルは狙っていましたね。
コーチ−予選は非常にいい形で走ったが、決勝はマリアムにとって、初めての経験のため、かなり硬くなっていた。ライバルのロシア選手を警戒しすぎたのかもしれない。決勝前の練習タイムでは、優勝は難しいと思ったが、2か3位になるチャンスは十分にあった。レース中の「事故」はつきもの。あのオブストラクションがなければ、別の展開ができた。マリアムは残り250mでスパートするチャンスだったし、彼女のスピード、スタミナはロシア選手を抑える力を十分持っていた。

世界ランキングトップ2冠の好記録

−5位はショックだった?
マリアム−(消えるような声で)そうですね。あのレースに掛けていましたから・・・。あのような形でメダル獲得ができなかったのは残念です。
コーチ−非常に残念なこと。私も失望したが、あの事故も「人生」のひとつだと思う。この先、北京五輪優勝を視野に入れた長期的なプランを考えれば、ヘルシンキであの事故によって優勝できなかったことが、むしろ、精神的な正常性をクールにキープできると思う。無名の選手が、短期間で頂点を極めると勘違いを起こして、ろくなことにらないからね。(ワッハッハと、豪快に笑う)むしろ、今回の「事故」は、マリアムだけではなく、私もよい試練と考えています。

−その反動がアスレティックファイナルで圧勝、レイティGPで1500mで今季世界最高を樹立した。少しは溜飲が下がりましたか?
マリアム−そうですね。でも、ヘルシンキ後はかなり落ち込みました。
タリク−ヘルシンキから帰国してから1週間後、チューリッヒGL3000mに出場。ベルハナ・アデレ(エチオピア)、イサベラ・オチチ(ケニア)らを相手に 今季2度目(注:オスローGLで05年世界最高記録8分28秒87を記録)のサブ30秒、今季世界第2位の8分29秒45で優勝。それでもまだまだヘルシンキの後遺症が強かったので、マリアムが大好きな高地のサンモリッツに気分転換を兼ねて、8月28日のリエティGPに備えたのが成功した。結果的に、1500mで3分56秒79、アスレティックファイナルで、ロシア勢に圧倒して、ヘルシンキのリベンジを果たしたと思う。
コーチ−気分転換は大成功だった。マリアムの1500mの自己最高記録は、04年は4分7秒32。コーチの私が驚く3分56秒79は驚異的な記録です。また、アスレティックファイナルは、いつものように最後の200mで勝負をかけるような、判を押したような作戦は止めて、試験的にどこからでもスパートするように指示を出しておきました。マリアムは、残り450mでスパート。大差で優勝しました。やはりマリアムにとって、世界選手権はかなりのプレッシャーがあったと思います。

−マリアムの短期間で著しい成長をどのように考えますか?
コーチ−私がマリアムを見始めたのは、タリクの紹介で04年の9月から。正直に言うと、05年は私にとっても、マリアムを始めてフルシーズンコーチした最初の年。いろんなことが目新しいことだった。800mから5000mまで、自己記録を大幅に更新する驚異的な記録、方々のGPで優勝、シーズンが終了してみると、1500,3000m世界ランキングトップになっていた。これはシーズン開幕前、到底予測したものではなかった。

−なぜ、800〜5000mのレースに出場したのか?
コーチ−これはあくまで1500mの練習の一環。3〜4週間の練習成果を見るために、例えば、ジュネーブで800mレースに出場したのは、2週間後の6月14日にアテネで1500mレースを予定していたので、スピードのチェック。結果は、800mで初のサブ2分、1分59秒69。アテネで1500mで初のサブ4分、3分59秒13の自己新記録だった。マリアムがどのような状態であるか?確実に調整、管理をするためのレース出場だった。また、マリアムにとっても十分自身を持たせる大切なことだ。05年シーズン、練習、総てのレース、テストを繰り返しながらを彼女のポティンシャルを探りながらやってきた。

−急激な成長の背景は?
マリアム−スイスに4年前(02年3月)に来てから、初めて練習に集中する生活ができるようになったことです。それまでのスイスの生活は楽ではなかった。言葉もできず、家族とも遠く離れての生活だったし、ホームシックにもかかり、総てが慣れるまでに、最低1年間以上掛かりました。他の仕事の合間に練習。食べることに精一杯だった。身体も疲れるし、精神的にもあまり余裕のない日常だった。ただ、好きな走ることは続けていました。特に、バーレン国籍獲得をしてから、結婚、生活が安定。練習が十分にできるようになりました。
コーチ−まず、マリアムは猛練習に耐えられる精神、肉体的な強靭さの持ち主。そして才能を加えた、これらのコンビネーションが好成績の元でしょう。経済的なバックアップ体制が確立できた生活の安定、結婚、練習に集中できる生活、モチベーションなど、大きく変わったためだろうと思う。

−バーレン国籍を獲得した利点となぜ変更したかの経緯を教えてください。
タリク−まず、マリアムも五輪出場は夢ですから、まず、エチオピア国籍の選手が外国に滞在しながら、エチオピア代表になる可能性を問い合わせると、完璧に拒否されました。そこで、アテネ五輪前から国籍変更の可能性をチェックしました。スイス国籍を申請したが、返答はいつになるかは皆目わからない。ある人がフランス国籍を薦めてくれたが、スイス在留からの申請は不可能など、最終的に、元エチオピア人で現バーレン国籍を獲得した知人の勧めもあって、スピーディーで最も簡単で条件も良かったのバーハレン国籍を変更しました。バーレン陸連が毎月の給料を保証、合宿、旅費、経費らは総て支払ってくれるし、年末には結果によってボーナスが支給されます。スイスは世界でも有数に物価高い国。ここで選手が選手生活を維持するには大変なことです。

−改名、改宗も国籍獲得の条件ですか?
タリク−名前は変えなければならないが、改宗はその条件には入っていません。

−エチオピアの出身地はどこですか?スイス滞在歴は?
タリク−アディスから西に130kmアンボ町の出身。高地にあるので世界的な長距離選手のフィタ・バヤサ(バルセロナ五輪5000m3位)ハブティ・ジファー兄弟、アベベ・ディンケサらの故郷。父親が政治亡命したので家族全員、11年前からスイスに滞在しています。

−マリアムの出身地、競技歴は?
マリアム−私の村はアセラ市(ハイレ・ゲブレセラシエ)の郊外にあり、本道から徒歩で約1時間掛かる小さな村です。16歳の時,アディスの警察クラブに入り、首都で開催された1500mレースで3位。スイス在中のエチオピア・マネージャーから、スイス国内のロードレース招待されてきた。

−あなたの経歴も異例ながら、エチオピア選手が中距離で活躍するのも珍しい。
タリク−エチオピア中距離選手の才能も、ケニア選手に引けをとらないと思うが、エチオピア中距離練習は、長距離練習法と大差がない。例えば、中距離選手でもジョッグを2時間走など、とにかく長い距離を走らされる。スピード練習を無視した持久力をつけるプログラムでスピード練習が少ないからです。

−今年最大の目標はなんですか?
マリアム−まず、室内世界選手権大会、GP,アジア大会が12月で行われるので、非常にシーズンが長くなります。モスクワで開催される室内世界選手権1500mで優勝を狙いたいが・・・、ロシア選手を相手には難しいでしょう。(笑う)アジア大会で800,1500mの両種目を走るのか、1500mだけに絞るかは、シーズンに入ってから決めることになるでしょう。
タリク−モスクワで地元勢に勝つのは難しいよ。

−コーチ、今年の目標は?
コーチ−05年はゼロからのスタートだった。練習、競技会出場、走るたびに記録更新など、総て新鮮な経験だったが、今年はそうは行かない。どこの主催者でも、彼女が勝ったり、記録を出すのは当然だと期待する。目に見えないプレッシャーは大変なこと。しかし、アジア大会優勝など、すべて道は、1500mか5000mのなにを選択するかわかりませんが、08年北京五輪優勝へのためへと繋がっています。

(06年月刊陸上競技社2月号掲載)

(望月次朗)

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