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世界最強姉妹、エジェガイェフ、ティルネシュ・ディババ

多分、人はこのようなランナーを「天才」と呼ぶのだろう。ティルネシュ・ディババは、すでに、若干21歳で世界女子長距離界の「顔」だ。01年、オステンドで開催された世界クロカンに16歳で初出場。02年、世界クロカンダブリン大会でジュニアで2位、エチオピア史上最年少メダル獲得。03年、14分39秒94のジュニア世界新記録を樹立。さらにこの記録を1年後14分30秒88に短縮。03年パリ世界選手権大会5000mで史上最年少優勝記録を達成して世界を驚かせた。アテネ五輪5000m3位。05年世界クロカン史上2人目の2冠、続く、ヘルシンキ世界選手権大会5000,10000mで史上初の長距離2冠を達成。06年福岡世界クロカンでも連勝して、「女性版ベケレ」、史上最強長距離選手の名声を得るのも近い。2歳年上のエジェガイェフ(23歳)は、妹の活躍が華々しく影が薄いが、シドニー五輪10000m2位、ヘルシンキ世界選手権2種目3位。姉妹同種目でメダル獲得は史上初だ。世界クロカン、GPでの上位入賞の常連でもある。この世界最強姉妹は、バルセロナ、シドニー五輪10000mで優勝した女性版「ビキラ・アベベ」、デラルツ・ツルの従姉妹に当たる。ツルと同じ出身地、首都から300km東南にある2800m高地のベコジ村からは、ツル、ディババ姉妹、ベケレ兄弟らを生んでいる。ティルネシュは、今季の目標をモンバサで開催される世界クロカン3連勝、ライバルのディファーの持つ5000m世界新記録に挑戦、その勢いで大阪世界選手権で2種目連覇を上げている。もちろん、姉と一緒に来年の北京五輪2種目制覇をしっかり見え据えている。新築したばかりの姉のアディス家で話を聞いた。ティルネシュの家は、姉と近くにこれから建築予定とか。

インタビューは姉の豪邸だった。

首都のアディス・アベバの大通り以外、道路に名前、番号すら存在しない。このためティルネシュ(アムハリック語で「あなたは素晴らしい」と言う意味。)が運転手つきの四駆でホテルに迎えに来てくれた。2年半前、彼女らが一緒に住んでいた平屋の貸家で話したことがある。案内されたのは半年前に完成した「ジジ」とニックネームで呼ぶ2歳年上のエジェガイェフの家だ。周囲の建物よりひときわ豪華な3階建ての新築の家だ。アテネ五輪以後、常に妹と一緒の海外レースに出場するが、最近は伸び盛りの妹の著しい進境によって実力差が大きく開いた感がある。エチオピア選手は、国民性なのだろう。ティルネシュが世界選手権、GL,GPなどで勝っても、派手なジェスチャーをするわけでもなく、エチオピア選手の多くがそうであるように、なかなか真っ直ぐに視線をカメラに向けてくれない。また、妹姉はシャイで、物静かで言葉も少ない。こちらから訊かなければ余計な無駄口はしない。通訳のエリアスが根気よく話してくれた。

−凄いのを建てたね!大きさは?
エジェガイェフ−(笑いながら)家の敷地が530平米で、3階建てと半地下の部屋 (注:ここにトロフィーなど置いた部屋がある。また、家の裏には、エチオピアのどこの家でも住み込み使用人の建物がある。外から車で帰宅する時、門を自分から開けることもしない。門の内側には必ず、門番が24時間体制で控えている。)ですから、一体どのくらいなのか?(ティルネッシュの顔を見ながら)全部あわせると350か400平米ぐらいかしら?

−間取りなど、あなたの希望ですか?
エジェガイェフ−そうですね。(嬉しそうに) 建築家にわたしの希望を伝えたので、出来上がったものはかなり満足しています。家のなかを案内しましょうか?
−ぜひ!

:ジジが先に立って、案内してくれた。1階の玄関を入った応接間とダイニングの広間。キッチン、ほかに3部屋がある。階段は建物の中央にある。半地下の部屋にジジのトロフィーのガラスケース、大きなソファー、デスクトップのコンピューターが置かれていた。2階は4部屋。ジジの寝室、シャワー、ジャクジーなど、豪華な設備が完備されていた。屋上からの眺めが良い。周囲は錆びた平屋のトタン屋根が多い。ハイレは別格として、エチオピアで「走る」ことがどれだけの魅力ある「モチベーション」になるのか、現実に改めて驚かざるを得ない。

「叔母」は雲の上の存在だったが・・・

−2年前、実はあなた方の出身地ベコジ村(注:首都のアディスアベバから162km南東にあるアセラ(ハイレ・ゲブレセラシエの出身地)までは舗装されていた。しかし、アセラからわずか約60km離れたベコジまでデコボコの砂利道。高地特有の樹木のない美しい高原の平野をガタピシャ走り約3時間掛かった。)にぼくは行ったことがあります。あなた方はあの村出身でしょう?
−(驚いたように、こっくり頷く)

(注:ベコジの環境について少し説明しよう。エチオピア観光局で購入した1994年製作のエチオピア地図がある。ベコジは所要道路上に明確に記入されている。ベコジに到着して驚いた。道路は全く舗装もされていない。掘っ立て小屋の店が数件あるだけでの集落だ。ベケレの両親に家、ツルの実家もすぐに見つかった。ディババの両親の家は建設中だった。訊くと、発電機は夜数時間だけ回る。有料のために、ほとんどの家は灯油生活だ。この辺は主要道路を一歩外れると、交通手段は歩行か、馬の背に頼らなけれならない環境にある。)

−走り出した動機は?誰がどうしてあなた方の才能を見つけたのですか?
エジェガイェフ−ベコジはツルの出身地です。学校で走るレースに人気があります。あそこの学校には芝生(注:高地の平地には芝生に似たような自然に生えた植物がある。)のクロカンコースがあるので生徒に走ることを教えます。

−デラトゥ・ツル(注:アフリカ黒人女性選手最初の五輪金メダリスト。バルセロナ、シドニー五輪10000m優勝、アテネ五輪同種目3位。世界選手権10000m1回優勝。世界クロカン3度優勝。06年に出産、北京五輪マラソンに挑戦する35歳の現役選手だ。)はあなた方の従姉妹に当たると聞いたが・・・?彼女の影響はありますか?
(2人とも頷く)
エジェガイェフ−われわれが子供のころ、彼女はすでに有名で雲の上の輝くような存在で、あの人のように成りたいと思いましたね。
ティルネシュ−ツルがバルセロナで優勝した時は、私が7歳のときだった。やはり凄いことだと覚えています。でも、とても彼女のように強くなれる自信はありません。

−その学校であなた方は早かったと言うわけですね。
(ここでも2人とも頷く)
ティルネシュ−同じ年齢の人なら、誰にも負けなかったわ。

走り始めたのは苦肉の策だった。

−姉妹は何人ですか?みんな走るのが早い?
エジェガイェフ−5人姉妹で1人の兄。このうち半分が、走るのが早く、残りは普通です。現在ベルギーに住んでいる2歳上の姉は、10000mを31分台の選手でした。わたしは上から3人目、ティルネシュは4人目です。

−アディスに出てきたのはいつですか?
エジェガイェフ−ナショナルチームに選考されたので、アディスに出てきたのは16歳です。ティルネシュは1年ぐらい遅れで出てきて、わたしと従姉妹と一緒に住んでいたので、そこから高校に行くためです。
ティルネシュ−わたしが00年アディスに出てきたのは、田舎にない高校進学のためであって走るためではありません。高校入学試験はパスしましたが、入学手続きの締切日に遅れたので無効になってしまったんです。あの時点でとにかく田舎に帰りたくなかったので、友達が刑務所の陸上クラブに入ることを勧めてくれたのです。あのまま田舎に帰っていたら、多分、両親の薦めで結婚させられていたでしょうね。(笑う) ですから、走り始めた動機は田舎に帰りたくないためです。(笑う) 01年国内ジュニア選手権で2位。代表に選ばれてベルギー・オステンドで開催された世界選手権に出場して5位でした。寒くてコースは沼の中を走っているような最悪の条件だったのを覚えています。

−ティルネッシュに聞きたいが、ブレークしたのはいつですか?
ティルネシュ−03年パリ世界選手権5000mで優勝した時ですね。それまで、02年ダブリンで開催された世界クロカンジュニアで2位。キングストンで開催されたジュニア世界選手権5000mでメセレット・ディファーについで2位になって自信をつけました。続く、03年6月オスローGL5000mに出場、ベルハネ・アデレ、ウォルクネシュ・キダネに引っ張られて3位。14分39秒94のジュニア世界新記録を樹立しました。あのころは走るたびに記録が伸びました。代表に選ばれても、世界の強豪と戦ったパリ世界選手権とでは大違いです。。特に、アデレには到底かなわないと思いましたが、思いがけずに優勝したので私自身が驚きましたね。

−優勝レースを覚えていますか?
ティルネシュ−もちろんです。わたしはただ前についてゆくだけ。ペースは普通でしたが、終盤になっても、トップ集団は7人ぐらい。最後のスプリントが勝負でした。残り300mでアデレが飛び出したが、ドミンゲスに追いつかれ、わたしは最後の100mで勝負を掛けて、前を行くドミンゲスを捕まえて抜くことができました。まさか、わたしが優勝するとは夢にも思いませんでした。

−話が前後するが、04年ローザンヌ開催の世界クロカンで、初日のジュニアに出場して優勝。2日目のシニア・ショートに出場して7位になっているが・・・なぜこのような変則をしたのか?
ティルネシュ−シニアでどこまでやれるか・・・、陸連のコーチが決めたことです。

大阪世界選手権で2冠連勝を狙う

−あなたはアテネ五輪で叔母のツルと一緒に10000mを走って2位。あのレースの印象はどうでしたか?
エジェガイェフ−始めての五輪で2位になったのですが、エチオピアは優勝を狙っていましたので、中国選手に負けたのでそれほど喜べません。しかし、わたしがまさか偉大なツルに勝てるとは思いませんでした。でも、妹も5000mで3位になったので・・・、良しとします。

−ティルネシュ、あなたの初五輪出場はジュニアの19歳。五輪の感想は?
ティルネシュ−メダル獲得が目標だったので満足しています。あのレースではメサレット・ディファー、イサベラ・オチチ(ケニア)らは、わたしより豊富な経験者、実力も上でした。

−これまで最高の成果はヘルシンキ2種目制覇ですか?
ティルネシュ−そうですね。

−大阪世界選手権も同じように2種目を狙いますか?
ティルネシュ−調子次第ですが・・・、できれば挑戦したいと思います。

−咋年、ディファーと熾烈な戦いを続けてきたが、それまでGL5戦全勝しながら最後のベルリンGLはスプリント争いでディファーに敗戦。125万ドルを逃しましたね。あの1週間後、アスレティックファイナルで5000,10000mでディファーと再び対戦。短いほうは負けたが、10000mで勝った。アテネワールドカップでディファーが5000mで優勝、あなたが3000mで勝った。熾烈なライバル関係ですね。
ティルネシュ−ほんと!ジュニアでは負けていましたね。ベルリンGLでメサレットに3000mでやられましたね。メサレットが他国の選手であって欲しいのですが・・・。彼女も5000mが得意ですから、困ってしまいます。トラックに立てばお互いに負けたくないですから、容赦なく勝敗に徹底的にこだわります。わたしたち最近、メサレットとほとんど口を聞いたことがありません。アスレティック・ファイナルではメセレットに3000mでは負けましたが、5000mでは勝ちました。

−世界選手権、五輪など、ディファーはあなたの最大のライバルの一人ですね。
ティルネシュ−そうですね。スピード、耐久力、レース経験も豊富ですから・・・、その日の調子で勝敗が決まるでしょう。

−5000mレースの最終ラップがあなたもディファーも56秒ぐらいで走る。その秘訣は?
ティルネシュ−わかりません。
エジェガイェフ−わたしはスプリントではとてもかないません。ティルネシュ、メサレットらは、最後の1周スプリントは凄いですね。

―06年、オスローGL5000mで自己最高記録の14分30秒40、エジェガイェフも自己最高の14分33秒52を出していますが、今季5000か10000mの世界記録挑戦はありますか?
ティルネシュ−わたしは10000mを走る回数が少ないし、10000mの世界記録更新は非常に難しいと思います。しかし、メセレットの持つ5000m世界記録(14分24秒53)はやぶることはできます。調子が良ければ世界記録に挑戦したいと思います。

−あなた方は勝敗と記録では、レースでどちらを優先しますか?
エジェガイェフ−まず、勝敗を優先にしますね。

−姉妹でレース前に作戦を作りますか?
エジェガイェフ−今では妹のほうが強いので、わたしはただ前につくような走りだけです。でも、やはり一緒に練習しているので、外国遠征、レース出場は一緒のほうがお互いに気が楽ですね。

―今まで多くの外国に行ったことがあると思いますが、どこの町が好きですか?
ティルネシュ(姉と顔を見合わせながら迷わず)−サンディエゴの町が素敵です。

最後に、今年の抱負は?
エジェガイェフ−まず、国内世界選手権選考会突破が非常に難しいので、がんばってエチオピア代表になることです。
ティルネシュ−世界クロカン、世界選手権5000,10000m2種目優勝、チャンスがあれば5000m世界新記録の挑戦です。

−楽しみに期待しています。

(07年月刊陸上競技誌3月号掲載)

 
(望月次朗)

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