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稀代の天才ランナー、ケネニサ・ベケレ3連勝なるか

どの世界でも、つねに新しい「ライバル」が生まれてくるのは必然なことだ。ケネニサ・ベケレ(エチオピア、25歳)は、この若さで10000m五輪、世界選手権2連勝、世界クロカン2種目5連勝の偉業など、世界選手権18個金メダルを獲得。5000,10000m世界記録保持者。ハイレ・ゲブレセラシエの後継者として、エチオピア長距離伝統を継承する史上屈指の才能を持つ長距離ランナーだ。世界中の長距離ランナーが、躍起になってベケレを追っている。昨年、福岡で開催されたクロカン世界選手権で2冠5連勝後、ベケレは「次回の世界クロカンは欠場する。」と公言。しかし、プレッシャーに屈して、モンバサ世界クロカンに出場。ついにセルセナアイ・タデサ(エリトリア、25歳)に、6年ぶり(01年12月から26レース不敗)に王座を明け渡しベケレの世界クロカン「不敗説」が崩れた。最近、半年間で3回アディス・アベバを訪れる機会があった。ケネニサを始め、弟タリク、出身地のベコジ村でかれらの両親に再会、兄弟を発掘したベコジ村の学校の元体育教師を尋ねた。以下はそれらをまとめたものである。

周囲に押し切られて出場した世界クロカン

ケネニサがモンバサ世界クロカン出場か欠場かは、エチオピア国民の重大な関心ごとだった。多少、話が古くなるが、出場までのいきさつを明確にしておこう。アディスで今年から陸連長距離ヘッドコーチに返り咲いたウォルディメスケル・コストレ博士に、ベケレの世界クロカン出場の可能性を訊いたことがある。メスケル博士は口調も荒々しく、「出場辞退?とんでもない!陸連に一言も相談なく、そんな身勝手なことは許さない!」と、怒り出した。昨年、博士はIAAFから最優秀コーチとして表彰されたが、実はエチオピア陸連コーチを解任されていた。スポーツ省の「木っ端役人」どもが、現場に相談もせず人事を勝手に動かすからだ。ぼくが知っているだけでも、かれはこのようなことはいままで3度あった。結局、博士は今年から現場に復帰した。ケネニサは今季クロカンも快調で、セビリアで世界の強豪を相手に弟のタリクと1,2を独占。欧州で世界の強豪と戦って、調子は非常に良く負け知らずだった。エチオピア国民もなかなか一筋縄では行かない難しいところがあるので、あの手この手でベケレにプレッシャーをかけているのが予想できた。世界クロカン6週間前、ベケレの自宅で昼食に招待されながら話した。その時、ベケレはこう言っていた。「出場したくないが、スポーツ省、陸連がなんと言ってくるかわからない」と、トーンが変わってきていた。これは「出てくる」と確信した。IAAF、エチオピア陸連としては、世界クロカン5年間無敗のベケレは、モンバサ大会の目玉だ。是が非でもベケレの出場を望むところだ。最終的に、案の定ベケレが折れた。その状況を「最後に押し切られたような結果になった。」と、そっとぼくに説明があった。レース前日、IAAF会長自らベケレを称え記者会見に臨んだ。ところがベケレはレースを途中棄権した。ベケレは「精神的なショック、肉体的な後遺症は全くなかった。気温35度、湿度90%以上の悪条件の中で、意思とは反対に出場しなければならないレースに、最後まで必死に走る気はなかった。あのままレースを続けていたら死んでいたよ!。」と、ベケレは笑い飛ばした。

トラック選手でキャリアを終えたい

ベケレとモンバサから同じフライト。ナイロビ経由でアディス・アベバに飛んだ。これまで何度もかれの自宅を訪れながら、なぜかケネニサについて詳しく書いたことがなかった。かれに最初に会ったのは、01年エチオピアの首都のアディス・アベバ市内中心地にある国内唯一の全天候トラックの国立競技場内だった。ちょうどケネニサがチリで開催されたジュニア世界選手権5000m2位(13分45秒43)後だった。現陸連トラックヘッドコーチ、ウォルディメスケル・コストレ博士がこう紹介してくれた。「この子は凄い素質の持ち主だ。近い将来大変な選手になるだろう。」と、自信たっぷりにケネニサの将来を予告した。その後のかれの成長振りをここで説明する必要はなかろう。前述のように、トラック長距離選手として、ほぼすべてのタイトルを獲得した。今後、かれがどこまで世界記録更新と連続タイトル獲得を続けてゆくか楽しみだ。その点を問うと「ぼくはまだ若い。故障しなければ、少なくとも五輪出場2回、世界選手権3回出場が可能だろうと思う。出場するからには優勝したいが、弟のタリク、タデサらの進境が著しいので簡単には勝てなくなるだろう。ぼくの目標は、北京五輪、大阪世界選手権らの連続タイトル保持とできれば世界記録更新があるが、ライバルの力がついてきた。かれらはぼくに追いつき、勝つことが目標だ。追われるものと、追うものの状況は大きく違う。タリクと一緒に練習しているので、伸び盛りのタリクの力が徐々に接近してくるのが手に取るようにわかる。今までなら7〜10秒差があったが・・・、グ〜ンと差が接近してきた。弟と言えど、まだレースでは負けたくない。5000m(12分37秒35)の世界記録更新は、そんな簡単ではないと思う。10000m(26分17秒53)の記録のほうが、まだ少しチャンスが残されているような気がする。ひとつだけ確かなのは、ハイレのようにトラックからマラソンの長いキャリア、40歳過ぎてもなお走り続けるような意思は全く持ち合わせていない。短くパッと!キャリアを終えて人生を楽しみたい。ぼくのフィアンセ(アレム・テシャレ、03年ユース世界選手権1500m優勝)が、2年前練習中にあっけなく死んだ。人の命のはかなさを経験した。走ることだけがすべてではないと思う。選手生活を終えてから、「人生」を楽しみたい。多分、一度ぐらいマラソンを走るだろうが、長い距離は好きではないので、気軽に走るだけにしたい。」続けて、「われわれ兄弟の類似点は、長距離選手としては頑強な身体つきをしている。エンデュランス向きだと思う。ぼくは本能的な瞬発力で相手を殺すスピードを持っているが、弟はロングスパートが強いのが特長だ。弟は、ぼくの年齢の時の記録をことごとく破っている。19歳で5000mの記録が12分53秒81は凄い!弟が来年辺りからぼくの世界記録を破る実力を付けてくるだろうと期待している。」

新居40万ドルキャッシュで購入

ケネニサは、アディス・アベバの目抜き通りに近い高級住宅街に、小さいながらも室内プールつきの豪邸を購入した。弟のタリク(20歳)も同居してもあまる950平米の敷地、建物500平米の室内プールつきの家に住んでいる。ガレージに巨大な日本車の四駆と、05年ブリュッセルGLで10000m世界新記録樹立した時の副賞のシルバーの四駆がデンと収まっている。ベケレに家の値段を聞くと、「40万ドルだよ。」それも「キャッシュで支払った。」と返事が返ってきた。この国ではよほどの不動産を持たない限り、銀行ローンを組むようなシステムはない。一般のエチオピア人の職種による収入例を挙げよう。大学卒でも就職難の国状だ。職があるだけでもいいとしなければ。中学の先生が初任給600ビル。綺麗な絹のスカーフの織機人たちが1日10時間働いて1ヶ月300ビル(4500円)だ。近くの山から薪を拾って、山ほど担いで徒歩で5kmぐらい離れたマーケットに売りに来る。それがわずかに15ビル(約200円)とか。日本のトヨタで訓練を受けたトヨタ自動車輸入会社勤務のメカニックは、2000ビルの高給取りなど、貧富差が極端に大きい。ベケレの持ち家は、これで4件になったとか。3件は貸しているらしい。エチオピアのトップ選手は、とかくホテル、レストラン、建売、貸家など、不動産業が多い。ハイレはアディスに高層ビル4棟を持っている。バルセロナ、アトランタ五輪10000m優勝したデラルツ・ツルがモーテル、レストラン業、シドニー五輪5000m優勝者のミリオン・ウォルディは、やはり不動産業、貸家を数件所有している。あるビルの一室に「Kenenisa Bekele Traiding」と名札が掛っている。ベケレも海外で獲得した賞金をビジネスに投資、運用し始めたと言う。ベケレは「まだ、本格的にビジネスの動きが始まったわけではないが、人材、組織、プランなどを物色中の段階です。田舎のほうには小さいながらも、ホテル、レストランがオープンしました。将来、アディス市外の北10kmの場所に、大きなスポーツセンター、アスレティックキャンプ用の建設を計画中ですが、まだ青写真の作成中です。クリニック、プール、病院、トラック、合宿所などです。これには約500万ドルの資金が必要なので、かなり大きなプロジェクト。投資者からの資金集めが大変です。多くの素質ある選手が金がないために競技を断念しなければならない状況なので、このキャンプ場ができればいろんな形でかれらをバックアップすることができる。また、クロカン用のレース、練習場の建設など、若い世代を育てる環境作りもわれわれの仕事だと思っています。これから5年間で、このプロジェクトを完成したいと希望します。その他、投資者と一緒にアディスにGolden Education Centerと呼ばれる学校を開設する。また、アサラ市に4階建てのビルの建設、ホテル、コンピューターセンター、店舗、レストラン、バーなどを開店する予定です。やることがたくさんあるが、良いアドバイザーが一生懸命仕事をしてくれています。ぼくも少しずつビジネスを習得しなければ・・・。忙しくなるね!」最近、これまでのベケレと違い言葉数も多くなり、自信を持って自己表現をするようになったのを感じる。弟のタリクは、柔和な笑顔のフランクな性格だ。「兄の家に住んでいれば、アパート代が助かる」と笑った。タリクが乗り回している四駆は、2年前、ケネニサが10000m世界新記録を樹立した時の副賞だったものだ。「これは兄から貰ったもの」と言いながら、ホテルまで送ってくれた。

長距離選手の「宝庫」ベコジ村

昨年11月、エチオピ映画会社がレバノン制作会社を使って「ケネニサ・ベケレ」の自伝映画を製作中だった。今年の3月いっぱいで映画が完成、国内で封切りになる予定だったが、これを書いている時点でもまだ製作が完成していない。映画制作会社が資金難で、80%まで出来上がったが、そのあとが続かないのでペンディングとか。いつ製作再開になるかめどが立っていないらしい。5〜6年前にディズニー映画会社が製作したハイレ自伝映画「エンデュランス」とほぼ同じようなアイディアのものらしい。ベケレ自身出演した映画について「ハイレの映画を見たことがあるが、自分のものが映画に作られると相談されたときは驚いた。オフシーズンだったので、出演も承諾した。映画作りは今まで全く経験したことがないので楽しかったが、未完成で終わって欲しくない。あともう少しでクランクアップするばかりだったのに。」と苦笑いした。

3年前、アディスから南へ約250kmにある高地2800mにあるベコジ村を訪ねることにした。この村は「知る人ぞ知る」エチオピア長距離選手の「宝庫」とも言える環境にある。デラルツ・ツル、ツルの従姉妹、エジャガユ、ティルネシュ・ディババ姉妹、ケネニサ、タリク・ベケレ兄弟らの選手を輩出した村だ。ハイレ・ゲブレセラシエ(アトランタ。シドニー五輪10000m優勝)、ゲザヘンゲ・アベラ(シドニー五輪マラソン優勝)、アサファ・メズゲブ(シドニー五輪10000m3位)、エルフェネッシュ・アレム(シドニー五輪マラソン6位)、テスファイェ・トラ(シドニー五輪マラソン3位)ら、世界選手権大会でのメダル獲得者が多い。前回ベコジを訪れた時は時間がなく、車もオンボロのミニバスだった。かなり怪しい車で事故が起きなかったのが不思議だった。今回は四駆の車で、気の利いた親切な運転手が案内してくれた。約180km南のアセラ市は、アルシ州都でハイレの出身地だ。そこで一休みするため、偶然車を乗り入れたのは、バルセロナ五輪10000m優勝者のデラルツ・ツル所有の新築ホテル兼レストラントだった。ここから先の60kmが舗装されていないデコボコ道で大変だ。2時間後、南米の「アルティプラノ」のような高原にあるベコジ村に到着した。村の入り口にツルの走っている看板が立てられていた。前回訪れたベケレ兄弟の両親の家も、簡単に見つかった。前回は父親が不在で、母親に逢っただけだが、父親とはアディスのケネニサの家で会ったことがある。ケネニサからぼくらが行く連絡が入っていた様子で、両親は快く中に招じ入れてくれた。82歳と言う父親は「最初の妻が4人の女の子を産んだが男の子が生まれなかった。男の子が欲しかった。2番目の妻がケネニサ、タリクらの6人の子供を産んでくれた。わしらの時代は、スポーツなんてとんでもない。ケネニサは子供のころからスポーツが大好きだった。かれもツル、ハイレの活躍に刺激されて学校で走り出した。まさかケネニサが世界選手権、五輪で優勝するなんて夢にも思わなかった。そして、タリクまで世界的な選手になるなんて!神様のお陰です。この家もケネニサが建ててくれたもの。元はここから数km離れた郊外にある農場に住んでいた。大阪世界選手権、北京五輪に行くかって?3年前ヘンゲロ大会に行ったが・・・ね、大阪行くのはとうてい無理さ。この年じゃあ足手まといになるだけ。テレビ観戦のほうが楽でいいよ。大阪では息子たちが、5000mと10000mでそれぞれが優勝すれば最高だ。」ジュースなどをご馳走になり、短くも楽しいひとときを過ごした。

16歳で予測できたケネニサの才能

ここまで来るとき、方々で路肩に交通事故の残骸を目撃している。暗くなって事故多発のエチオピア「死のハイウエー」を走るのは極力避けたい。時間に追われていたが、ツル、ベケレ兄弟、ディババ姉妹らが通った学校の体育教師のシンタイユ・エシェツ(49歳)に、インタビューを申し込んだ。かれは、現在このベコジにあるスポーツ省に勤務している。かれの薄暗い事務所で話した。ベコジで20年間教師を務め、その間、子供たちに「走る」ことを教えた。その子たちが大きく成長、世界陸上競技史上に燦然とした足跡を残す選手に育っている。かれのつけた選手名簿、子供たちの学校時代の最高記録を記録したものを見せてもらった。エシェツはときおり笑顔を見せながら「デラルツ・ツルも、子供のころから素晴らしい素質を持っていた。彼女がバルセロナ五輪で優勝してから、一躍、ここのベコジ村にも陸上競技、走ることへの興味が、男女区別なく子供たちに広がった。ツルの優勝は、エチオピア女性の地位向上と女性のスポーツ進出に大きな貢献をした革命的な足跡を残しました。その後、ハイレの強烈な活躍で、ケネニサ世代の選手に強い影響を与えています。ハイレの出身地は、このベコジ村があるアルシ州。この州出身者は、エチオピア長距離選手の65%以上を占めています。ケネニサはわたしが教えた子供の中で、最も素晴らしい才能を持った男の子です。すでに16歳ごろから世界のトップクラスに成長するだろうと読んでいました。かれのメンタルの強さも抜群です。しかし、弟のタリクがあそこまで成長してくるとは、わたしも全く予想もできなかった。これはわたしの判断間違いです。」と正直だった。ありきたりだが、「ベコジ村出身者の選手が強い秘訣は?」の質問に「ベコジの高地に生まれ育ち、心拍機能が長距離に適している。長距離環境に適している。デラルツ、ベケレ、ディババ姉妹らを生んだこの村には、国内で最も身近に刺激的な高いモチベーションを持てる。(注:ツルの実家、ベケレの両親の家、ディババ姉妹が両親に建ててあげた新築の豪邸など、実家は選手の活躍でおおいに潤っている。)陸上競技を愛し、国、自分の名誉のため猛練習を続けること。金は後から付いてくるものです。」と、結んだ。一通りの話を終えてから、学校内で校長と一緒に撮影を希望したが、突然の訪問は校庭内に遊んでいた生徒にワッ!と囲まれ、揉みくちゃにされ身動きができなかった。大きな自然の芝生の校庭で、体躯の時間だろうか子供立ちがグループになって体操、ジョギングなどしていた。もしかしてあの中からも、次代の世界的ランナーがでるかも知れないと思ったら、なんとなく楽しくなった。帰途、美しい夕日を見ながら事故もなく、アディスに明るいうちに戻ることができた。

大阪で3連勝、タデッサにリベンジを果たす

アディスに帰り、ケネニサに電話を入れてベコジのお礼を伝える。電話の向こうで元気なベケレの声が返ってきた。「今年のシーズン開幕は、ユージンで弟と一緒に行き、ぼくは短い距離を走ることになると思う。世界選手権が控えているが、GLに長距離種目はないし、それほどきついシーズンとは思わない。大阪もタデッサ、その他ケニア、ウガンダらの選手との争いになるが、ディフェンディングチャンピオンとして勝たなければならない。大阪も高温多湿と聞いているが、暑さ対策などは十分に準備して、10000m3連勝を狙ってゆく。2種目制覇は、全く考えていない。タデッサに必ずリベンジを果たす。5000mは弟のタリクがなんとかしてくれるだろう。また、欧州のどこかで合いましょう」

 
(07年月刊陸上競技誌6月号掲載)
(望月次朗)

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