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男子やり投げ史上初の五輪、世界、欧州選手権タイトルホルダー、アンドレアス・トルキルドセン

アンドレアス・トルキルドセン(27歳)は、ノルウェー国技のノルディックの五輪優勝選手以上に名実ともに「至宝」的存在だ。気が向けばファッションモデルもこなす彼は、男子やり投げ史上初の3大ビッグタイトル(五輪、世界選手権、欧州選手権)、そしてジュニア世界記録保持者だ。12月発売のイタリア『ヴォーグ』誌にはモデルとして登場した。欧州の人たちには、やり投げは「ヨーロッパ人」の種目という自負があり、フィンランド、ノルウェー、ドイツ、チェコ、ロシアなどが強豪と言われる国々だ。ノルウェーもやり投げを国技としているフィンランドほどではないが、伝統的に世界トップクラスの男女やり投げ選手を輩出してきた伝統国。トルキルドセンは父親が元やり投げ選手、母親が100mh選手という家庭に生まれ育ち、父親の奨めで11歳ごろからやり投げを始めた。なるべくして世界の頂点に立つスーパースターだ。クリスマス直前、厳冬下のオスローにトルキルドセンを訪ねた。






今季のターゲットは世界選手権、DL最優秀選手賞連覇、歴代2位の記録への挑戦

昨年末、世界中の注目を浴びるなか、中国人初のノーベル平和賞受賞者劉暁波が不在のまま授賞式を終えたオスロー市庁舎。「オリンピアトッペン」と呼ばれる五輪トレセン、室内練習場はそこからそれほど遠くないオスロー北西の郊外にある。T−バーンと呼ばれる電車の終点駅を降りると、目の前にスポーツ学校、バンディの競技場、陸上競技施設、ホテルらが一面の雪に埋まっていた。歩くごとに雪が軋む。凍てつくような寒さだ。室内競技場の上の宿泊施設にチェックイン。廊下の両脇の壁には、長野冬季五輪で活躍したノルウェー選手の写真が飾られている。宿泊施設の階下は、冬季練習に必要な設備、器具、医療室、食堂らが完備され、1レーンだけではあるが50mダッシュもできる。この時期のオスローは、夜が最も長い季節。16時を待たずに外は真っ暗になり、夜間照明の中でスケート、バンディ、距離スキー選手らの練習姿が見えた。トルキルドセンの練習は、朝10時から14時まで2か所で行われた。ひとつはトルキルドセンのベンツで20分の距離に移動したところ。体操専門のジムで平行棒、鉄棒、マットを使った練習だった。その日は行わなかったが、吊り輪を使っての十字懸垂もできるとか。大柄な男の高度な運動神経には目を見張ったものだ。

‐10年シーズンを振り返って、どのように思いますか。
トルキルドセン‐シーズン始まる前、欧州選手権と新設のダイヤモンドリーグ(注:以下DLと略す)で年間優勝する目標を立て、結果としてこれらのタイトルを獲得できた。年間最優選手賞にも選ばれたダイヤモンドリーグでは、これまでに経験したことがないくらい世界的なトップ選手ら集結したが、これらの7試合は楽しかった。また、ワールドカップ欧州組の男子主将として総合優勝するなど、故障もなくかなり楽しく過ごせたシーズンだった。

‐新設のDLをどう思いますか
トルキルドセン‐われわれやり投げ選手に限らず、比較的地味な他の種目の選手たちにも、国際的で大規模なトップレベルの戦える場を与えられた。収入を増やすチャンスができたことは、新しいモチベーションになるので大歓迎です。
また、欧州人の得意種目であるやり投げも、アジア、アメリカで開催されることによって、世界的な普及にもつながるのではないかと思う。

‐DL男子やり投げ部門で年間最優秀選手になった。これについての感想は。
トルキルドセン‐ある意味で非常に難しい。DLは世界のトップ選手だけが出場できる大会。誰よりもコンスタントに力を発揮しなければ勝てないもの。絶対にゴールデンリーグよりはやりがいのあるシリーズだと思う。

‐シーズン初め、上海DLでのペーター・フライドリッヒ(チェコ、22歳)、欧州選手権、ワールドカップでのマティアス・ドゥ・ゾルド(ドイツ、22歳)ら、若手の台頭にすこしは刺激されたと思うが・・・。
トルキルドセン−(笑いながら)ホントだね、ペーターがいきなり上海DL2投目で85.50mを投げてきた。3回目にぼくが86.11mを投げて、しっかり応えることができて勝てた。地元ビースレットDLでも食いついてきたが、最後の1投で86.00mを投げてここでも面目を保つことができた。しかし、その後のペーターは良くなかったね。マティアスは大きくブレークスルーした。欧州選手権ではかなり驚かされたし、いい刺激になったよ。彼が2投目に85.60mを投げてトップに立った。ぼくが3投目に86.11mを投げて応え、結果的に勝つことができたが、国際大会で相手に時間を与えるのはよくない。調子に乗ってくるからね。その前に相手を上回る記録で応答して潰すことが大切。かれはいいものを持っているので、今季コンスタントに85m以上を投げてくるようになると怖いね。

‐これまでも85m前後投げる選手は数多くいるが、88m以上になると少なくなり、90mを投げた人はさらに少なくなる。90mを越した投てき回数の最多記録は、ゼレズニーの35回。現役ではあなたの7回が最高で、テロ・ピトカマキ(フィンランド、28歳)が6回、ヴァディム・ヴァレフスキ(ラトヴィア、28歳)が2回と続きますが、90mはやはり大きな壁ですね。
トルキルドセン‐90mはめったなことでは飛ばない。史上でも90mを投げた人は数えるほどしかいない。ゼレズニーは息の長い選手だった。やはり史上最高の選手だね。90m前後をコンスタントに投げられるようでなければ、世界記録は破れないだろう。

‐やり投げは「水もの」の種目と言われるが、あなたは04年アテネ五輪で優勝して以来、常に2位以上をキープしコンスタントな力を発揮する選手。その秘訣は。
トルキルドセン‐この種目はやりという長い物体を投げるので、風などの気象条件、ちょっとした動作、指の引っ掛かり具合によって飛行距離が違うことがまま起きる。秘訣なんてあるものじゃないと思うが、強いて言えば、練習を含めてたすべての段階を経て成長するものだと思う。試合経験の中で学んだことを試行錯誤して、ベストの状態で投げることを習得しなければならないと思うね。

‐国際経験から学ぶことが大切ということですね。
トルキルドセン‐まあ、そうだろうね。特効薬というものはないよ。ぼくだって過去には散々な経験があったさ。02年6月に83.43mという当時で自己2番目の記録を出したけど、その直後のミュンヘンでの欧州選手権ではわずか68cm差で決勝進出はならなかった。自分のリズムを失って、低調な記録で予選敗退してしまった。しかも次の年も同じような経験で大失敗。03年パリ世界選手権前には、ラトビアの大会で85.72mの自己新記録を出して自信があった。選手権の予選では79.44mを投げて、大きな試合で初の決勝進出を果たした。ひそかに期待していたけど、決勝では予選と雰囲気がガラリと変わり、その張り詰めた空気に気後れして自分の投てきを忘れてしまった。決勝では77.75mと期待したほど記録が伸びず11位に終わったよ。悔しかったがどうなるものではない。どんな選手も一度は通過しなければならない大試合の洗礼だろうね。どれほど大きな大会での経験が必要であるかを痛切に悟った大会だった。アテネ五輪の1年前、この屈辱的な失敗経験が下地となって、その後勝負強くなることができたと思うね。

‐アテネ五輪の優勝は予想外か。
トルキルドセン‐アテネ五輪は、断トツの優勝候補がいなかったので、だれが勝つかわからない混戦状態だった。五輪前、ビースレットGPでは、好調のブリュックス・グリーナー(アメリカ)が87.39mを投げて優勝。ぼくはそこで84.12mを投げて五輪標準記録を突破して2位。その後のDNガランではグリーナーを破って優勝。さらに、3日後のロンドンGPでは84.45mを投げてシーズンベストを更新して調子は良かった。アテネ五輪の予選は、予選通過記録81mを45cm越して決勝進出を決めた。予選トップの87.25mを記録したグリーナーが足を痛めてしまったけど、あれがなかったらかれが優勝したかもしれないね・・・。1投目を終えて、84.95mのヴァディム・ヴァレフスキ(ラトヴィア)がトップ、84.84mのサルゲイ・マカロフ(ロシア)が続き、ぼくは84.82mを投げて3位。ぼくは2投目に自己新記録の86.50mを決めて、あの時点で少なくともメダル獲得を確認したので、5、6投目はパスしたが、待っている時間はとても長かったのを覚えている。でも、まさかぼくが優勝するなんて…!国中が驚いた!ああいうことが起きるんだよね。だから試合は面白いのさ!(笑う)

‐08年、北京五輪はアテネ五輪とは違った勝ち方。
トルキルドセン‐調子は良かったが、ちょっとナーバスになっていたのかな。79.85m(予選通過記録は82.50m)で最下位の予選通過だったけど、拾われた感じで決勝進出。運が良かった。決勝になって本調子が戻って、90.57mの五輪新記録で勝てたときは最高の気分だったね。

‐このとき国内のプレッシャーは。
トルキルドセン‐フィンランド選手に掛るプレッシャーほどではないが、国内では始めから勝つものだと思っているから、プレッシャーは感じていた。五輪連覇の期待は半端じゃあなかったね。(笑う)

‐五輪4連覇できるんじゃあないの。
トルキルドセン‐若手の台頭があるし、そんなに簡単なものじゃあないよ!五輪連勝の可能性はともかくとして、好きなことだから、故障さえなければ35,6歳まで続けられたらと思う。結果は後からついてくるものさ。

‐スピード、パワー、距離を伸ばすに最も必要なのはどちらですか。
トルキルドセン‐われわれはスピード、リズムだと思っています。

‐まだ、ポテンシャルは先にあると思いますか。
トルキルドセン‐まだまだやることはたくさんあります。まず自己記録の更新。それを歴代2位の記録まで伸ばすのが今目の前にある目標です。あと1メートル半ぐらい。チャンスは十分にあると思う。さらなる技術の習得、経験を生かした投てきができれば投げられるんじゃないかな。

‐ライバルは。
トルキルドセン‐われわれのレベルになれば、最大のライバルは自己との戦いだろうね。陸上競技は個人種目。日常の練習にしても個人の努力だし、自分自身との戦いであって、だれから強制されるものでもない。試合中も自分との闘いですべてが決まると思っています。少なくとも自分の場合はそうです。

‐年毎にヤン・ズレズニーと比較されるようになると思うが、どのように考えているか。
トルキルドセン‐ぼくとかれは違う世代の選手。ゼレズニーは92,96,00年五輪3連覇、88年五輪2位、世界選手権3回優勝、5回の五輪出場を果たした偉大で尊敬する選手。98.96mは今も世界記録だし、かれのベスト5の記録がそのままこの種目の歴代ベスト5の記録だ。キャリアの長さから見ても、まだまだ比較されてもが困るね。これはもう少し後回しにしてほしい。

‐ノルウェーのスポーツ界の至宝、大きな選手権の度に国内のプレッシャーが強く掛る。
トルキルドセン‐まあ、いつものことだがノルディック・スキー選手並みの結果を期待されるからね。勝って当たり前で、負けると何を言われるかわからない。ノルウェー男女のノルディック・スキー選手は、世界のトップクラスで常勝を期待されるけど、フィンランドのやり投げ選手はもっと凄いプレッシャーだよ。(笑う)

‐現ジュニア世界記録保持者、すべてのタイトルを獲得したが、これからは世界記録への挑戦ですね。
トルキルドセン‐今は世界記録への挑戦は考えていない。世界記録より、まず、アキ・パルヴィアイネン(フィンランド)の持つ歴代2位の93.09mの記録を破ることに全力を挙げたい。これは比較的現実性のある距離だと思っている。でも世界記録ともなれば、もっとコンスタントに90m台を投げる力を付けないと・・・、そんなに簡単に出るものじゃない!まだまだ大きな距離がある。それと気象条件がやり投げに有利な場所を選んで投げる必要性がある。やり投げや円盤投げには気象状況が大きな影響を及ぼすからだ。だが、風のある競技場を探して記録を狙う気は毛頭ない。公認記録に異議を唱えるものではないが、ゼレズニーが世界記録を出したイェナ競技場、パルヴィアイネンの歴代2位の93.02m、91.69m(同5位)のコンスタディオス・ガツイオウティス(ギリシャ)、91.53m(同7位)のテロ・ピトカマキ(フィンランド)の記録も、囲いのないフィンランドのクオルタネス競技場で記録されたもの。また、歴代3位の92.61mのセルゲイ・マカロフ(ロシア)はシェフィールド、同4位の92.60mのレイモンド・ヘクト(ドイツ)、ぼくの91.59mらは、いずれも屋根のないビースレットの競技場で出したもの。これらはだれも知っている事実だ。風のある競技場で記録を狙うのは理解できるが、それは実力とは違うね。最近の大きな競技場で開催される国際大会では、ほとんど風のアシストを期待できない環境だ。

‐現存する大きなタイトルはほぼ獲得したが、ここまできても高いモチベーションを維持できる秘訣はなんですか。
トルキルドセン‐少なくても現状では、勝てば勝つほど欲が出る状況だよ。

‐大柄な投てき選手が平行棒などの器具を使った練習をなぜするのか。
トルキルドセン‐ひとつには身体の全てを鍛えることによって、さらに潜在能力を呼び起こすことも可能だと思うから。故障防止にもなるしね。ある一定の筋肉だけを鍛えるのは間違い。基本的な練習は大きく変えないが、練習に飽きがこないように新しい物を順に取り入れてやっている。

‐父親(71.64mの記録を持つ元やり投げ選手)の奨めでやり投げを始めたとか。現在のマーティンセン・コーチとはいつから指導を受けるようになったのか。
トルキルドセン‐投げ始めた11歳ごろは父親に、今のコーチには16歳ごろから見てもらっている。01年にオースモンド・マーティンセン(38歳、94年ノルウェー選手権3位。最高記録68.12m。肩を壊して引退)の奨めで南部のクリスチャンサンド市からオスローに移り、今日に至っている。この年、ベルゲンで自己記録を83.87mまで伸ばすことができ、この記録が現在まで世界ジュニア記録です。

‐冬季練習は順調でますか。
トルキルドセン‐11月1日から冬季練習に入りました。毎年この時期は基礎練習を行います。過去7年間、年が開けると南アで練習してきたが、今年の1月から練習環境をサンディエゴに移す予定です。あそこは天候も良いので家を購入しました。シーズンに入るまで行ったり来たりしなければならいですね。

―今季の目標は。
トルキルドセン‐世界選手権、DLの連覇、チャンスがあれば歴代2位の記録を出したい。

ドーハDLで再会を楽しみに。

オースモンド・マーティンセン談

「アンドレアスのコーチを始めて12年。中年の夫婦同様な長い付き合いさ。(笑う)室内の冬季練習は、ウェイトトレーニングと動きの中でそのウェイトトレーニングの効果がでるような練習をする。投てきの選手にしてはトレッドミルやダッシュなど走ることも多い。常に新鮮な形で練習に集中できるようにプログラムを組むことを心掛けている。投てき選手としては珍しい体操を取り入れた練習は、身体全体の筋肉を使うことでさらに能力を高めることと、故障防止を期待して行っている。」

 
(2011年月刊陸上競技1月号掲載)
(望月次朗)

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