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強靭なメンタルがマラソン成功の鍵
完全主義のヴィクトー・ロスリン

1998年、ロナルド・ダ・コスタ(ブラジル)が、10年間君臨したベライネ・ディンサモ(エチオピア)の世界記録2時間6分50秒を2時間6分5秒に短縮した。その後、急激に高速マラソン時代に突入した。その背景に、世界中に起きたマラソンブームとトップ選手の需要がある。スピードあるトラック選手が急激にロードレースへ転向、高速化に拍車を掛けてきた。世界の現状は、6分台は当たり前、好記録と呼ばれるのは4分台の記録だ。世界記録はすでに3分台に突入している。この高速マラソン時代に、トラック記録は日本選手並みか、それ以下の記録ながら堅実な走りを見せ大試合にめっぽう強い異色ランナー、ヴィクトー・ロスリン(スイス、37歳)がいる。大阪世界選手権は3位、北京五輪6位、08年東京マラソンは自己新記録2時間7分23秒で優勝。09年病気を克服して復活レースの10年欧州選手権で圧勝した。1992年ボストンで開催された世界クロカンでデビューした息の長い選手。ケニア選手にあこがれ、ケニアの高地で地元選手らと合宿で鍛え調整するロスリン。トラックからマラソンに転向して今年で12年目を迎える。4月17日、世界の強豪が集結するロンドンで練習の成果を試すと言う。ケニアの西にあるエルドレット市に合宿中のロスリンを訪ね、強さの秘密に迫った。

憧れの土地でケニア選手と合同高地練習

1月4日、ロスリンは慣れたエルドレットでロンドン・マラソンに向けて合宿を始めた。エルドレットはケニアの中・長距離の「メッカ」だ。ロスリンは大手の陸上競技選手のマネージメント会社、「ロサ・アソシエイト」傘下の「キャンプ」と呼ばれる合宿所に滞在、ケニア選手と練習中だった。ロスリンはエルドレットに来て12年目を迎える。かれの契約するマネージャーは、世界でも最も中・長距離選手を擁する会社。この会社の合宿所は、エルドレットを中心に3か所の起点がある。5月ごろには大きな近代的な合宿所が完成する予定だが、クラウディオ・ベラルディ(イタリア、31歳)コーチが、男女の地元選手、英国、イタリア、エチオピア、スイス、キューバ選手らの多国籍(中国からも選手が来るとか)の800m選手からマラソン選手を指導している。ここの選手は五輪、世界選手権メダリストに交じって、「ブッシュランナー」と呼ばれる無名選手らを含め、ひしめき合って猛練習に明け暮れる環境だ。ロスリンは走ることは、「ビジネス」だと、徹底している。

頂点を目指して環境変え

‐今回、ロンドンに向けていつからここにきて練習を始めたのか。
ロスリン‐1月4日です。

‐ロンドン・マラソン出場まで4カ月以上の期間、そんなに長い間の練習が必要ですか。
ロスリン‐いや、通常のレース前、ここまで長くする必要はありませんが、バルセロナ欧州選手権で優勝してから、ちょっとイイ気になって、マラソンを舐めて掛ってNYマラソンに出場したら途中棄権。大失敗だった。そんなことがあったので今回はちょっと気を引き締めて慎重に準備しようと思ったからです。

‐練習は順調に消化しましたか。
ロスリン‐故障もなく順調に練習を消化。調子も上がってきているのを感じています。スイスに戻って疲れを除けばかなりイイ感じで調整ができたと思います。

‐ロンドンの予想タイムは。
ロスリン‐もちろん、当日の気象状況、走ってみなければわからない点があるものの、順位よりも目標の2時間7〜9分台で完走できれば満足です。

‐やはり、ロンドン五輪を念頭に入れて走るのですか。
ロスリン‐Yes or No ですね。五輪は夏場になるので気象状況が違ってきますが、世界のトップ選手と走る経験とちょっとでも雰囲気を肌で感じることができればイイでしょう。

‐なぜ、ケニア合宿ですか。
ロスリン‐これは話が長くなります。1992年ボストンで開催された世界クロカンのジュニアで出場。この時、ケニア選手とユニフォームを交換。これを着て練習したように、ケニア選手に憧れました。わたしの人生のモットーは、「もし、頂点を目指すならば、その環境に自ら飛び込みかれらに習い頂点を目指すこと!」です。

‐そこで飛んできた。
ロスリン‐そもそもケニアに最初にきたのが1998年。ここに住んでいるスイス人が「面倒をみるからこい!」と、誘ってくれたのできた。彼のところに宿泊して練習。ただ、あのころは欧州の冬場を逃れて、エルドレットの高地と気象条件を十分に堪能、活用しただけだった。また、キプチョゲ・ケイノ(元五輪金メダリスト、現ケニア五輪会長)にアドバイスを受けて練習する程度。当時はケニア選手と本気になって一緒に練習することなど考えもしなかったし、相手が強すぎるのでちょっと引いていましたね。2004年まで同じような状況だったが、2005年、エルドレットで開催されたハーフマラソンに出場。ムズンゴ(白人の意味)が地元の選手に挑戦したので印象付いたのか、ガブリエラ、フェデリコ・ロザらに声を掛けられて合宿参加したことから、練習環境が急激に変化してきた。

‐例えば。
ロスリン‐ロザグループ所属の世界トップ選手たちと同じ練習メニューで始まった。ところが、最初のころは全くついて行けない高いレベルの練習で、ショッキングな現実に遭遇したものです。慣れるまで、と言ってもかれらと同じスピード、持久力は別格なもので、今だって同等にハイスピードのロングランの練習を消化できるわけではありませんが、選手のメンタリティ、練習環境、あの雰囲気、コースなど、慣れるまで相当な時間が掛りましたが、その年のNYで7位に入賞。06年欧州選手権で2位など、たちまち合同練習の効果が表れました。

‐環境だけではなく、合同合宿での刺激ですか。
ロスリン‐ケニアに来て自分たちで練習するだけでは、やはり練習が甘くなります。ここは世界でもトップ選手、マーティン・レル、ロバート・チェルイヨット、パトリック・イヴティ、ジェームス・クワンバイら、2時間4,5分の実力者が在籍していた世界最高水準の環境です。シビアな「ビジネス」に直結している環境、雰囲気はちょっとしたものです。それがイイ刺激ですね。

‐簡単にかれらがムズンゴを仲間に入れてくれましたか。
ロスリン‐始めのころは走りながら大喧嘩。かれらは笑いながら、押したり、肘鉄をくれたり、走りを妨害されて精神的に参りました。ここは実力が総ての世界。強くなければ相手にされません。厳しい経験を2年半ぐらい経験しました。意地悪されても尻尾を巻いて逃げずにまた合宿にやってくる、大阪世界選手権でケニア選手に勝って3位。北京五輪でそれなりの結果を出してくると、「凄い!」にかわってかれらに尊敬されるようになりました。こうなってくると自然と仲間意識が芽生え、親密な友情が深まってきますね。今では、マーティン・レル(NY,ロンドン優勝者)の運転手と友人のランナー、アブラハム・タンドイらが子供に「ヴィクトー」と名付けています。また、09年病気に掛って練習を中断して帰国した時、みんな心から心配してくれました。そう言った意味でも、ここで世界のトップ選手たちとしっかり練習を消化すると、レースに向けて確かな自信が持つことができます。

‐しかし、並の選手ではケニア選手と一緒の練習は容易ではない。
ロスリン‐どこで練習しても、世界のトップランナーとの合同練習は、決して楽ではないが、トップを狙うにはそのくらいの覚悟が必要でしょう。

‐ケニア選手は生活が掛っている。
ロスリン‐それはぼくも同じですよ。だれもが強くなりたい、優勝したいのは同じ目的。ケニア選手全員が走る素質があるとは思わないが、かれらと一緒にレースするわけですから、ケニアと比較して恵まれた環境にいたら、とかく物事を甘く考える傾向になるのは自然の流れでしょうが、それでは絶対に対抗できるような単純なことではありません。地元で同じ商売(走る)をしている外国人に劣ることは、かれらのプライドが絶対に許さないだろうし、妨害しても走らせまいとするんです。しかし、外部から来たものは、その「闘争」を乗り越えて仲間に入ることができれば強くなること受けあいますよ。

‐マラソンを始めた動機は。
ロスリン‐ぼくのコーチは13〜25歳まで一貫して同じコーチだった。シドニー五輪マラソンに出場でき、2時間20分06秒で36位だった。シドニーでコーチに、これまでの経験を生かして自分でベストの練習法を見つけて頑張るように言われて今日まで来たわけです。

‐自己流で。
ロスリン‐一人でチャンスがあるたびに人に声を掛けて情報を集め。通常、選手は命令されて走る。「コーチは勉強するが、選手は勉強をしない」でしょう。コーチがいなければ自分で積極的に試行錯誤して習い始めます。2000年から今日まで独自の練習でやってきました。1998年、トラック練習をディタ・バウマン(バルセロナ五輪5000m優勝者、ドイツ)と一緒にして、サンモリッツで練習していた時、「何度も良いレースをしてきたが、同じプログラムで調整をしたことはない」と言われたことからヒントを得て、同じような練習を極力避けて毎回プログラムを変えて調整します。同じ練習は単調で機械的な動作の繰り返しに陥り、身体、精神的に刺激、効果に乏しくなりがちです。努力する割には結果が伴いません。

‐どのような情報が役に立ちましたか。
ロスリン‐どのコーチも非常にオープンに知りたいことを提供してくれました。積極的に前向きな態度でアプロ―チを掛けて教えを請い情報を得てきました。ぼくのコーチは世界中にいますよ(笑う) ただ、人の練習プログラムを100%コピーして練習したことはありません。それらの情報を前にすると、一体ぼくにとってなにが不必要で削らなければならないかを考え、自分に合った独自のものを残します。基本的に、ぼくの練習は欧州、ケニア選手らの影響が反映したプログラムでぼく独自のものです。

‐今回、合宿の練習プログラムは、クラウディオ・ベラルディリが全て作成したと聞いていますが。
ロスリン‐そうです。総てクラウディオに任せました。これまでの練習法は、多少なりともガブリエラ・ロザのものに影響されたものだったが、今回は全く新しいものを作成した。実践的で、世界選手権用のレースにピッタリのものです。特に、ファートレック、インターヴァルの組み合わせは、選手権レース独特の、頻繁に起きる急激な緩急のスピードに対抗できる練習で、かなり有効になると思います。

‐マラソンの高速化がはじまり久しくなりますが、トラックのスピードが非常に重要になっています。あなたのトラックの記録をケニア選手と比較するとかなりの差があります。その点をどのように考えますか。
‐マラソンの高速化がはじまり久しくなりますが、トラックのスピードが非常に重要になっています。あなたのトラックの記録をケニア選手と比較するとかなりの差があります。その点をどのように考えますか。

―日本選手も同じような状況ですが。
ロスリン‐先進国、欧州、日本は男子マラソンの衰退が激しい。人に聞いた話ですが、日本は駅伝練習に重きを置いているから、マラソンまで苦労してやる人が少なくなっているとか。日本選手は1年中忙しすぎるんじゃないの。

‐でも、世界選手権、五輪での活躍のチャンスがあると思いますか。
ロスリン‐選手権、五輪には、選手数の出場制限がある。ぼくの場合、大阪世界選手権は、高温多湿の環境下で行われたレースのため、イタリア北部の山の中でロザグループと合宿していたが、ロザ傘下のケニア選手と一緒にロングランは毎回走ったわけではなかった。イタリア北部で合宿していた時、とにかく疲労蓄積に最大の注意をしてきた。レース中、身体の微妙な変化に注意深く耳を傾けて走ったことが結果につながったと思う。

‐あなたの終盤戦の追い込みが凄かった。
ロスリン‐ぼくの40kmを過ぎてからのタイムは最速だった。40km手前でオガタに一度抜かれたものの、かれはあそこで少なからずの体力消耗をするだろうと読んでいました。ゴール前で捕まえる自信がありました。予測通り、最後の2kmで6位から一挙に3位に上がり、オガタらをゴール前1kmで捕まえ、簡単に抜くことができました。

‐尾方には08年札幌ハーフでも競り勝っている。
ロスリン‐ぼくが62分45秒で9位。オガタは63分10秒で10位。レース後、通訳にオガタのコメントを聞いてちょっと失望した。ぼくに2連敗したことについていろんな言い分けがましいことを聞いたからです。

‐35歳になって自己最高記録を更新、自己管理がますます冴えてきた。
ロスリン‐ぼくは国内のメディアに「Mr パーフェクト」と呼ばれている。この由来は、食事、日常生活など、24時間マラソン付けになって徹底した管理をしているからです。ケニア選手のように質素に劣るものは、どこかでかれらに対抗できる可能性を探らなければなりません。ぼくはドイツ系スイス人。国民性が日常生活の管理、徹底した無駄を省く調整能力など、かなり適正しています。そうでもなければ、とても太刀打ちできませんよ。

‐勝負と記録は別物ですが、あなたは勝負に強い。
ロスリン‐マラソンは素質、猛練習が必要なことは言うまでもありませんが、そのすべてを統括する最も重要なことはここです(と言って頭を人差し指で突いた)。メンタルタフネスが素質以上に大切だと思います。マラソン練習も、レースも長丁場できつい。現在のマラソンの選手層、競争率は、10年前と大きな差があります。ますます激化する頂点争いは、半端じゃありません。

‐日本は30年前の強かったエポックにノスタルジアを求める傾向が強いです。
ロスリン‐あの時代、ケニアはマラソンを始めていなかったし、わずかなエチオピア選手が細々と走っていた程度でしょう。最近10年のマラソン界での急激なビジネス化、プロ化、進歩は目を見張るものがあります。日本選手が駅伝に力を注いでいる傾向が強いらしいが、駅伝とマラソンは同じ競技ではありません。

‐高地練習の必要性は。
ロスリン‐ぼくは高地練習を行いますが、それより前述したように、高地の恩恵よりもケニア選手らの日常生活、合同練習など、総合的な効果を期待しているわけで、単純に高地練習効果を求めているわけではありません。だから、一概に高地練習効果だけを称賛するものではありません。圧倒的に数は少ないだろうが、平地だけで練習している人たちも存在することは確かですね。

‐欧州選手の落ち込みが激しいが、復活のチャンスはありますか。
ロスリン‐お先真っ暗!アフリカ勢を前にレース前から諦めている。現状じゃあ、ケニア選手並みのハード練習をする人もいないだろうからあまり多くは望めないだろうね。

‐ケニア選手と練習パートナーとしての個人的な専属契約をしているとか。その理由は。
ロスリン‐友人のアブラハム・タンドイ(37歳)と、練習パートナーとして個人的な契約を結んでいます。ケニアでの練習は言うまでもなく、旅費、食事、ギャラを支払ってスイスまで同行。4,5分台の世界トップクラスのケニア選手らの練習に無理してついて行かなくとも、自分のペースで練習できる利点があります。

‐ケニアでも独自の練習をするのですか。
ロスリン‐かれらとプログラムは同じでも、一緒にがんばって潰されないように、質、要するにペースを落としてプログラムを実行しています。特に、毎回ハイスピードでロングランに付いて行くのは厳しいので避けます。アブラハムと一緒に走ることができるのは助かります。

‐スイス国内練習の環境は。
ロスリン‐小さな村に住んでいるので、家の前から走りだすことができますが、ケニアの練習スタイル、車で1、2時間かけてスタート地点に到着するような、ケニアで日常的に同じような環境を作ってスイスで実行しています。そうすることによって、ケニア合宿中の精神的な核をキープすることができ、身体のリズム、思考回路まで継続できるように感じるからです。もちろん、朝食もケニアの生活と同じく、始めのころは空腹になって非常に辛かったが、練習前にはなにも食べず、練習後の10時ごろに「チャイ」(紅茶にたくさんのミルク,砂糖が入ったお茶)とトーストを取るようにしています。

‐世界選手権出場の予定はありますか。
ロスリン‐故障しなければ出場するでしょう。

‐3年前、東京で自己新記録を更新、昨年は欧州選手権で優勝。次の大きな目標はロンドン五輪ですね。練習、レースともに充実していますね。
ロスリン‐今までの努力が少しずつ実を結んできたようです。自分の力を過信することなく、マイペースで練習、レースに完全燃焼できるように最善を尽くしたいと思います。

―ロンドン、がんばってください。

 
(2011年月刊陸上競技5月号掲載)
(望月次朗)

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