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稀有の才能を持ったサミュエル・ワンジルの事故死
五輪優勝後、金、名声、酒、女が絡む顛末

無名から五輪優勝、近年トラブル続き

5月16日、取材先の上海ダイヤモンドリーグを終えた翌朝、サミュエル・ワンジル(ケニア、亨年24歳)は、妻と口論してバルコニーから転落、頭を強打して救急車で病院に運ばれたが意識を回復せずそのまま死亡したと、選手関係者の滞在するホテルに衝撃的なニュースが広まった。

筆者がワンジルの走りを最初に見たのは、2005年恒例のブリュッセルで開催されたファンダムメモリアル大会10000mだった。この時、かれはトヨタ九州に所属していた。このレースでケネニサ・べケレ(エチオピア)が26分17秒53の世界新記録を樹立したが、無名のワンジルが最後まで食いつきベケレを本気にさせた強烈な印象を残した。それまでのボンフェース・キプロップ(ウガンダ)の持つ27分04秒00の記録を大幅に破る26分41秒75のジュニア世界新記録を樹立。ワンジルが日本から世界の舞台に躍り出た最初のレースだったと言えよう。この年フレデリコ・ロザと海外レースの代理人契約を結ぶ。同年9月11日、わずか18歳の若者が先輩のポール・タガートの持つハーフマラソンの世界記録59分17秒を1秒更新する59分16秒の世界新記録を樹立。2007年2月9日、ハイレがフェニックスで樹立したハーフ世界新記録58分53秒。ワンジルは3月17日、デン・ハーグで開催されたハーフマラソンでこの世界記録を破る58分33秒の世界新記録を樹立。なるべくしてロードレースの才能が開花した。五輪を前にトヨタ九州を退社して帰国。同年福岡マラソンでマラソンデビュー。2時間6分39秒のコース新記録で優勝。08年ザヤッド国際ハーフを58分53秒で優勝、賞金30万ドルを獲得。強豪相手にロンドンマラソン2位。半年後、マラソン3回目にして、あの高温多湿の悪条件下で驚異的な2時間6分32秒(それまでの記録はカルロス・ロペスの2時間9分21秒)の五輪新記録でケニア選手で初めて五輪マラソンで優勝。一挙に名声を高めた。名声と五輪優勝後に獲得した出場料、スポンサー、賞金の数々は、それまでと比較して莫大な金額になっていった。しかし、名声が高まるに従って、ワンジルが次第に酒に溺れて行ったのも事実だった。

短命に終わった栄光と陰の人生

ワンジルとエルドレッドで最後に逢ったのは、3月11,17日日と2回だった。15日の2度目の約束は連絡なしで見事にすっぽかされた。17日もあれほどくどく約束した時間にも表れないで1時間も待たされ、ニヤニヤ笑うだけで「悪かった」の一言もなかった。筆者は日本でのワンジルのことは全く知らないが、帰国後のワンジルは、簡単な男ではなかった。この事件が起きる前、代理人のフェデリコ・ロザ、コーチのクラウディオ・ベラルディリらがワンジル救済策を始めたばかりの矢先だった。

日本で覚えた酒だが、日本いるときからワンジルの酒癖が悪いことは周知の事実だった。ワンジルに「日本で覚えたことは走ることと酒だね」と言ったら苦笑していた。これまでに伝説の名選手と言われたヘンリー・ロノ(70〜80年代前半)らの例をみるまでもなく、酒はケニア選手に起きる典型的な「問題」だ。ワンジルは五輪優勝後、「5年後にサブ2時間を走る」とまで断言したが、急変した生活に、自己管理ができなかった日常生活が破滅した最大の原因だと言えるだろう。近年、酒量が増えて練習もおろそかになり、10代から日本の駅伝で走っているため予想以上に足腰を酷使しているし、体重増加もあって体調は年々悪化してきていた。昨年は腰を痛めながら、まともな練習も消化できず、代理人、コーチからも無謀だと言われながら出場したシカゴマラソンで、ツガエ・ケベデ(エチオピア)に競り勝って優勝。周囲をあっと言わせた希有な才能の持ち主だ。今年は左ヒザ靭帯を痛め調整不足でロンドンマラソンを棄権した。しかし、今秋NYマラソンを走ると宣言。エルドレットにきて練習をまじめに消化。酒を一滴も飲まない生活が1週間続いたと言う。ワンジルはクラウディオに、「ニャフルルで弁護士と逢う約束あるので車を貸してくれ」と言って、友人のミカエル・カガヨと一緒に帰宅した。しかし、その夜ワンジルは行きつけのバーで泥酔状態になって女と帰宅。その女性と寝室にいたところを帰宅した妻に見つかった。妻と口論の末、部屋に閉じ込められたワンジルは、妻を追って2階バルコニーから転落。頭を強打して救急車で病院に運ばれたが意識を回復せずそのまま死亡した。クラウディオは、「これまでなんどとなくワンジルの再起(禁酒)を期待したが・・・今回も期待を大きく裏切ってくれた。自殺は全くありえない」と電話の声が沈んでいた。

これまでワンジルにリスボン、ロンドン、ケニアでインタビューをした経験がある。困ったことに、ワンジルはダグラス・ワキウリ、フィレス・オンゴリらのように日本語も英語も達者ではない。ちょっとした突っ込んだ会話になると共通する言葉が見つからないもどかしさがあった。時には日本語、英語を交えて話しても、十分に意図が伝わっていないことが度々あったことは言うまでもない。誘導尋問的な話し方になってしまったケースが多い。なん億円と稼いだ金も、「不動産は少しあるだろうが手元に残った金はほとんどないだろう」と代理人が明かしてくれた。酒と女性問題のもつれから、波瀾万丈の短い人生の幕を閉じた。

 
(2011年月刊陸上競技7月号掲載)
(望月次朗)

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