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才能の宝庫
エチオピアが誇る世界最強マラソングループ「デマドンナ・キャンプ」に密着

〜主力3選手に聞く「今後のターゲット」〜

 1980年代中盤にニューヨークシティ・マラソンの男子でイタリア勢が3連覇。オーランド・ピツォラートが84年、85年のレースに連勝し、86年はジャニ・ポリが優勝。翌87年はケニアのイブラヒム・フセインが制したが、イタリア国内で無敵だった小柄なクロカン出身のジャニ・デマドンナが終盤までフセインと争い、2時間11分53秒で2位に入った。
 そのデマドンナは現在63歳。現役引退後、エージェントに転身したのだが、彼の長距離・ロードレースに対する情熱は衰えない。主に才能豊かなエチオピア、ケニアのランナーを発掘・育成する世界屈指のエージェントに成長。ここ数年間の実績は目を見張るものがある。
「Demadonna Athletic Promotions社」を設立して大活躍。特に、エチオピアの首都・アディスアベバにあるデマドンナ・キャンプは、選手歴のない元体育教師のゲメドゥ・デデフォ(39歳)を専従コーチとし、育成の全責任を持たせて成功した。現在の所属選手はマラソンを中心に男子36人、女子28人の計64人という。男子は昨年9月のベルリンで初マラソン世界最高の2時間3分46秒を記録したグイェ・アドラ(27歳)を筆頭に、2時間4分台ランナーが6人、5分台と6分台も各4人がひしめき合っている。コーチ自身が2時間6、7分台以下の選手の名前はうろ覚えの状況だ。女子も2時間19分台を持つアセレフェチュ・メルギア(32歳)とティルフィ・ツェガエ(33歳)の両ベテランをはじめ、2時間20分台が4人、22分台が2人。これだけすごいメンバーがいるのだから「世界最強マラソングループ」と言って過言ではあるまい。
 ちなみに、ケニアのイテンにもデマドンナ・キャンプが設立されている。昨年4月のロンドン・マラソンの女子に世界歴代2位の2時間17分01秒の好記録で優勝したメアリー・ケイタニー(35歳)も彼が手塩にかけてきた選手だ。
 12月上旬にアディスアベバのデマドンナ・キャンプの朝練習を2日間取材。旧国立競技場(新国立競技場は現在建設中)でのトラック練習と、「ジャン・メダ」と呼ばれる旧馬場でのクロカン練習に同行した。その練習後、チームの主力である3選手、連覇がかかる1月のドバイ・マラソンで世界記録更新に挑むタミラト・トーラ、2度目のマラソンに注目が集まるアドラ、ロンドン世界選手権男子5000mで地元・英国のモハメド・ファラーを破って優勝したムクター・エドリス(23歳)に話を聞いた。



タミラト・トーラ(26歳) Tamirat Tola
ドバイ・マラソンで世界新に挑戦
1月26日に注目のレース


 2018年は男子マラソン世界新記録のニュースに沸くだろう。1月26日に開催されるドバイ・マラソンでタミラト・トーラ(エチオピア、26歳)が、デニス・キメット(ケニア、33歳)の保持する2時間2分57秒(14年)の世界記録に挑戦する。彼はリオ五輪の10000mで3位。昨年のドバイ・マラソンでは、エアレ・アブシェロ(エチオピア)が12年に出したコースレコードを12秒短縮する2時間4分11秒で優勝。8月のロンドン世界選手権はマラソンで2位に入った伸び盛りの選手だ。新年早々、世界新のニュースが飛び込んで来るのを心待ちにしたい。
 トーラの走りを最初に見たのは、13年に彼が母国・エチオピアのハワサ・ハーフマラソンで優勝した時だった。小柄なランナーが多いエチオピアには珍しく、181cm・59kgのスリムな長身ランナー。無駄のない華麗なランニングフォームが印象的だった。
 彼のマラソン初戦は14年1月のドバイ。2時間6分17秒で4位だった。同年10月の慶州マラソン(韓国)を経て、3回目は15年9月のベルリン。エリュード・キプチョゲ(ケニア)らが前半61分53秒の高速で通過。トーラは後半激しく失速し、途中棄権に終わる洗礼を受けた。
 2ヵ月後、エチオピアの若手の登竜門と呼ばれるアフリカ大陸最大のロードレース「グレート・エチオピアン・ラン」(アディスアベバで開催)の10kmで優勝。以後、16年は3月の世界ハーフマラソン選手権で5位。5月のダイヤモンドリーグ・ユージン大会(米国)10000mに26分57秒33の自己新記録でエチオピア勢トップの3位に食い込み、そのレースで代表権を得た8月のリオ五輪で銅メダル。着実な成長を経て17年はマラソンで確固たる結果を残した彼への期待は高い。18年は4月のロンドン・マラソンを蹴って、熟知しているドバイで世界新記録に挑戦する予定だ。


――あなたのチームのメンバーの凄さに驚きました。
トーラ 今は新シーズンに向かうビルドアップの時期。週に3回ほど中距離の800mランナーからマラソンランナーまでが合同で、基礎的な走り込みをしています。
――コーチ(ゲメドゥ・デデフォ)から、あなたは今度のドバイ・マラソンで世界新記録に挑戦すると聞きましたが、本気ですか?
トーラ 悪くても自己記録更新、調子が良ければ世界記録に挑戦します。世界選手権からすでに4ヵ月が経過。ドバイで走らなければ良い国際レースは4月まで待たなければならず、それでは世界選手権から8ヵ月も実戦から遠ざかり、レース感覚が薄れてしまう。練習だけの継続はとても退屈。精神的にも良くはないでしょう。ドバイのコースは何度も走った経験があり、平坦で、高速レースが期待できる。調子が良ければ世界新挑戦へのチャンスがあるでしょう。
――ドバイはエチオピア選手が好んで出場するレース。それはなぜですか?
トーラ ハイレ(ゲブルセラシェ)が2008年に出場し、2時間4分53秒で優勝。それから2010年まで3連覇。ドバイ・マラソンは一気に格が上がり、世界中から注目を浴びるようになりました。また、ハイレの活躍により、ドバイで働く多くのエチオピア人がゴール付近の観客席に詰めかけて応援。大会の雰囲気を盛り上げ、男女のエチオピア人ランナーが毎年数多く出場し、好成績を上げるようになりました。
――今度のドバイには練習仲間も一緒に走るのですか?
トーラ この大会は記録への挑戦が最も重要。気象条件は常に安定しているし、コースは平坦で走りやすいので、うまくいくと予想以上の結果が期待できる。また、エチオピア勢が大挙して参加するのでライバル意識も高く、お互いに意地で走ります。
――出場料は出ないレースですが、世界新ボーナスが25万ドル(約2800万円)、優勝賞金も20万ドル(約2260万円)と高額で、2位で8万ドル(約900万円)、3位でも4万ドル(約450万円)という賞金はモチベーションになるでしょう。
トーラ 当然です。賞金は世界一なので高いモチベーションにもなります。このレースはコースが単純なので、マラソン未経験者でもがむしゃらに突っ走り、2時間4分台をマークすることもあり得ますね。
――世界新記録を期待しています。
トーラ ベストを尽くします。


グイェ・アドラ(27歳) Guye Adola
昨秋のベルリンで初マラソン世界最高
次戦はプレッシャーの少ないレースを物色中


 昨年9月のベルリン・マラソンでリオ五輪王者、エリュード・キプチョゲ(ケニア)と終盤まで競り合い、初マラソン世界最高の2時間3分46秒で2位となった27歳の伏兵、グイェ・アドラもジャン・メダでのクロカン朝練習に元気に参加していた。



――次回のマラソンはどの大会ですか?
アドラ 方々から招待を受けるのですが、次回が僕の2回目のマラソン。まだどこで走るか決めかねていて、ロンドンより気軽に走れるレースを探しています。
――かなり慎重ですね。
アドラ マラソンはそんなに甘いものではないので慎重にならざるを得えません。初マラソンの成功は運が良かっただけで、2回目以降もうまく走れる保証はない。練習、数回のロードレースを経て、次のマラソンの出来がある程度読めるようになってから出場したい。そうすることによってなるべく失敗を回避できます(苦笑)。
 2018年は世界選手権、五輪などの世界的な選手権大会がないので、トップ選手は記録を狙う絶好のチャンス。4月のロンドンはキプチョゲと、マラソンに本格的に転向するファラーとの対戦が注目の的で、キプチョゲはチャンスがあれば積極的に世界記録に挑戦するようです。正直なところ、今の僕にはロンドンでキプチョゲに対抗して走る自信はありません。そのロンドンでは優勝を望めないと判断したのか、ウィルソン・キプサング(ケニア)は2月の東京マラソンに出場予定とか。ほかのトップランナーもロンドンを避ける傾向にあります。
 キプチョゲがロンドンの気象状況の悪化で世界記録のチャンスを逃すようなことになれば、ベルリンで再挑戦か。キプチョゲは現在9戦8勝を誇る史上最強マラソンランナー。残るターゲットは驚異的な世界記録樹立と、2020年東京での五輪マラソン連覇だと思います。


ムクター・エドリス(23歳) Muktar Edris
ロンドン世界選手権5000m制覇
「ファラーに勝った瞬間の映像を母親に見せたい」


 この1月で24歳になるムクター・エドリスは、ロンドン世界選手権の男子5000m決勝で地元の英雄、モハメド・ファラーをロングスパートで下し、4大会ぶりにエチオピアへ栄冠をもたらした新星だ。
 エドリスを最初に取材したのは、2012年にバルセロナで開催された世界ジュニア選手権5000mで優勝した時。その後は、期待されながら予想外に伸びが遅れた。リオ五輪は、エチオピアの伝統を一身に背負って出場した5000m決勝で無念の失格(レーン侵害)。運に見放された。しかし、ファラーが2017年のシーズン限りでトラックレースに区切りを付け、ロードレース転向を表明。エドリスがトラックスター≠ノなるチャンスが訪れた。新たなトラック王者の筆頭候補に、今後の抱負などを聞いた。



――ロンドン世界選手権は5000mに優勝し、リオ五輪の無念を晴らしました。
エドリス いろんなことがありましたから、とにかく勝って良かった(笑顔)。
――あなたの出身地は「アディオ」という村と聞きましたが、世界選手権後、故郷での歓迎ぶりはいかがでしたか?
エドリス アディオは首都のアディスアベバから南に280qの距離にある、まだ電気も引かれていない農村。世界選手権後、郷里の母親に会いに行くと、村を挙げての盛大な歓迎パーティーで祝福してくれました。電気がない村ではテレビ観戦などできません。結果はラジオで知っただけなので、母親は僕が勝った瞬間の映像をまだ見ていないのです。
――近年、「(報酬の少ない)トラック競技では食えない!」と言われていますが、あなたも近い将来、ロードレースに転向する考えはありますか?
エドリス 東京五輪までトラックを続け、リオで果たせなかった5000mでの優勝を狙いたい。2018年から10000mも本格的に走りたい希望はあるのですが、10000mのレースそのものが非常に少なく、走るチャンスは限られてくる。僕はまだ若いので、ロード転向は東京五輪後になるでしょう。
――自己記録は5000mが12分54秒83、10000mは27分17秒18と、それほど速くない。記録についてどう思いますか?
エドリス それらの自己ベストは順調にいけば2018年のうちに更新できるはずです。ただし、トラックの長距離レースは以前のようにお金が出なくなっているため、いいレース≠ェ少なくなっている。素質のあるランナーはロードレースを走り、トラックにはあまり興味がない。今はトラックランナーを育てようとする環境がないと言えるでしょう。
――あなたには専任のコーチはいないとか。練習メニューは自分で作るのですか?
エドリス 専任コーチはいませんが、ゲメドゥ・コーチがいるので、気軽にいつでもアドバイスを受けられます。これまでトラックランナーとの合同練習は週に3回ほどです。僕はアディスアベバの郊外に住んでいるので、基本的には他の日は単独か友達と一緒に森の中でクロカン練習をしている。練習メニューは目的によって自分でコンディションに合わせながら作る。トラックを使用しての練習は主にイマネ・メルガ(10000mで2009年ベルリン世界選手権4位、11年テグ世界選手権3位。11年世界クロカン優勝/自己ベスト5000m12分53秒58、10000m26分48秒35 /29歳)らと一緒にやっています。
――世界選手権の優勝で人生は変わったでしょう。
エドリス 変わったかどうかわかりません。それよりも今後は世界チャンピオンとして恥ずかしくないレースをしなければいけないので、それを続けるのが大変なプレッシャーですね。

 

 

 
(月刊陸上競技2018年2月号掲載)
●Text & Photos / Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

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