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望月次朗のエチオピア紀行
フェイサ・リレサ

亡命先の米国から母国に帰還
ドバイでサブ4分台*レ指す


フェイサ・リレサ(エチオピア、28歳)は、2016年リオ五輪男子マラソンで優勝したエリウド・キプチョゲ(ケニア)と終盤争って2位だった。彼はこの時、ある意味では優勝したキプチョゲ以上に世界的な注目を浴びた。
 本来のマラソン銀メダリストの実績ではなく、彼がゴール直前、頭上に両腕を交差した「バツ」サインを世界に向けて発信したからだ。この「バツ」サインを見た瞬間、エチオピアのごく一部の人たちは理解できただろうが、テレビを観た世界中の何億もの人たちはリレサの意図がまったくわかっていなかっただろう。
 しかし、彼の意図が世界中に飛ぶまでにそれほど時間はかからなかった。エチオピア国内で最大のオロミア州の人たちが、他州と比較すると政府から不当な扱い、弾圧を受けて、これまで数百人の人が虐殺されたと、リレサがエチオピア政府に命懸けで抗議したのだ。彼の勇気ある行動を称えて、優勝者のキプチョゲよりスポットライトを浴びた。彼は「もし、このまま帰国すれば投獄されるか、殺されるかもしれない。亡命しなければ身が危険にさらされる」と、レース後の記者会見で述べた。彼は亡命先に米国を望んだ。米国政府はリレサの意向を確認すると、迅速に亡命手続きを完了。また、世界中から集まった「リレサ救済基金」は、10万ドルを超えたという。
 リレサは、米国の高地練習のメッカと呼ばれるアリゾナ州のフラッグスタッフ市に居を構えて練習を始めた。数ヵ月後にはエチオピアから家族も亡命先で合流。リレサ一家は亡命先の米国で幸せに選手生活を送って、早くも2年が経過した。
 ところが、2018年の初めごろからエチオピア国内で政情が急変。2月に、これまで政権を握っていたエチオピア北部の部族から、エチオピア最大のオロミア州出身のアビー・アハメド新首相の体制になった。エリトリアとの関係改善、エチオピア国内の一党支配が続いてきた政治改革、複数政党による民主制の実現……。新首相は就任以来、政治犯を釈放したり、改革を矢継ぎ早に実行している。エチオピア国内状況の急変は、リレサ帰国に大きな追い風になった。早朝6時からの朝練習に2度付き合いながら、米国の生活、帰国後の新生活プランなどを聞いた。



思いもよらぬホームシック≠ナ帰国決意

—エチオピアに帰国したのはいつですか。
リレサ 10月21日です。
—リオ五輪前と比較して、街中の方方で変貌を遂げていたでしょう。
リレサ リオ五輪前から、アディスアベバは中国の援助で劇的な変貌を遂げました。
路面電車(トラム)工事、道路拡張工事、ビル建築など、これまで何もなかったアディスアベバの町をひっくり返すような大きなプロジェクト。しかし、道路が良くなっても交通状態は以前よりはるかに悪化。街中はどこも渋滞で、市内の大気汚染は排気ガスの影響で最悪です。トラムや道路を拡充しても、日常生活で市民が最も必要な公共の乗り物はまったく改善する気配もなく、朝夕のラッシュ時は長蛇の列。辛抱強く待たなくてはなりません。
—帰国した日、飛行場に政府の高官が出迎えたとか。
リレサ まさかと思いましたが、現在の財務大臣で、以前は別のセクションの官僚トップの人です。機外に出ると2人が「ようこそエチオピアへ! よく帰ってきた」と出迎えてくれたのには驚きました。以前の政権なら、まずありえない態度の変わりようですね。
—田舎で町を上げて英雄の帰国歓迎レセプションが開かれたとか。
リレサ 予想以上の人出でした。伝統的な衣装をまとって騎乗。町中を練り歩きました。お祝いに駆けつけた人は、たぶん数千人にも及んだと思います。2年遅れのリオ五輪銀メダルと、亡命先から凱旋帰国の2つの祝賀パレード。とても名誉なことだと思います。
—リオ五輪でゴール時に、頭上で「バツ」印を示して命懸けで当時のエチオピア政府に抗議をしましたが、リオ五輪後、わずか2年間の米国亡命生活を切り上げて母国に戻ってきたのはなぜですか?
リレサ あの抗議を行動に起こせば、亡命しなければならないというのは覚悟の上でした。しかし、亡命先の米国では完全に自由の身でありながら、新しい環境の日常生活は言葉に言い表すことが難しい。なじめず、孤独で厳しかった。エチオピアは貧しい国だけど、僕はエチオピア人。エチオピアのすべてに深くつながりがあります。そんな母国の生活が日ごとに恋しくなりました。現実的に米国の生活は物質的に恵まれているでしょうけど、簡単になじめない世界は存在する。物質豊かな生活でも、精神的な不満が限界までふくらんだのです。この事実は亡命前には思いもよらなかったことで、精神的な苦痛でしたね。最終的に、投獄されてもいいから帰国しようとまで思い詰めましたが、政権の交代が追い風になりました。僕にとって米国の生活が肌に合わなかったのです。
—米国での拠点は?
リレサ アリゾナ州のフラッグスタッフです。高地練習ができる素晴らしい場所だけどモチベーションを高く持てず、練習に集中できませんでした。これは僕自身の精神的な問題です。
—リオ五輪後のマラソンは、3度しか走っていません。レース数が少ないけど、新生活の影響ですか?
リレサ そうですね。練習環境には問題なかったのですが……。満足できる練習はあまりできませんでした。多くのエチオピア人が米国で幸せに暮らしていますが、僕にとってエチオピアは文化、食べ物などすべて切っても切れない深い関係があります。
—亡命の際には世界中から寄付があり、10万ドルを軽く超える金額が集まったとか。
リレサ 世界中の人たちから金銭的な援助を受けたお陰で、米国で新生活をスタートできました。本当にありがたく思っています。
—生死を懸けた抗議は、少しは新政権に影響があったと思いますか?
リレサ 直接にはなかったでしょうが、新政権のアビー・アハメド首相は、これまでのような一党独裁的な政治家ではなく民主主義化を強く進める人ですから、政策がこれまでと違います。

ドバイに向けて心身充実
 取材日初日の朝練習は、アディスの東南30kmの交通量の少ないロードだった。標高2500mで坂上り200mのインターバルを20本(32秒ペース、下りをジョグつなぎ)。翌日の朝練習は、真っ白く霜をかぶった海抜2600m以上のあるアディス郊外のゲチェルサの広大な天然芝の大地を、弟のアドゥグナと一緒に90分走った。かつては市内にも自然の地形を走る練習コースが豊富にあったが、年ごとにその確保が難しくなった。交通量が増したアディス市内、近郊の大気汚染が悪化。車で少なくとも30分以上の郊外に練習場所を求めるが、人口増加のため、これまで長距離選手が好んで走った森や天然芝の土地は住宅、工場に変わった。そのため、さらに遠隔地に練習場所を求める状況に変わってきた。2017年12月9日はエチオピア全土での自動車運転禁止日だった。ハイレ・ゲブルセラシェがエチオピア陸連会長に就任した当初、政府にクロカン用の郊外練習場の設置を申請したが、「資金不足」と言われて却下された経緯もある。今朝、彼らが走った自然の練習場も、近い将来開発の犠牲になる可能性は十分にある。

—次のレースはどこですか。
リレサ 調整がうまくいけば、1月25日のドバイ・マラソンを考えています。帰国したばかりですが、久しぶりのレースに向けて意欲的に挑戦しています。まだまだ本調子ではありませんが、この時期(11月半ば)では基礎的な走り込みが多い。調整の時間がやや少ないように感じますが、今は心身ともに充実しています。
—今日の練習後、写真を撮った時のサインの意味は?
リレサ 同じポーズですが、意味が違います。エチオピアは歴史の古い多民族国家です。異色な民族がお互いを尊敬して、「団結」してエチオピアを建設しなければならない。民族「団結」のシンボルです。
—2019年はドーハ世界選手権、20年には東京五輪が控えています。
リレサ まずドバイで、6年前にシカゴで出した2時間4分52秒の自己記録を更新することが目標です。でも、3分台を狙いたい。ドーハ世界選手権のマラソンは、真夜中に行われるので興味はありません。これからの1年は再生の1年≠ニ考えて、ベストを尽くします。リオ五輪前の調子に戻し、2時間3分台を出せれば、その先に東京五輪が見えるでしょう。

 

 
(月刊陸上競技2019年2月号掲載)
●Text & Photos / Jiro Mochizuki(Agence SHOT)

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